キミを踏破する旅
海沈生物
プロローグ
思考発見――ロゴス・ユーリカ――
「異世界転移をしたいんだけど!」
彼女――
「論理的に考えて。異世界は存在しないの。議論するだけ無駄よ」
「無駄じゃないよー。実在したら絶対楽しいじゃん!」
「楽しくないわよ。考えてもみなさい? 何の知識もない大学生二人が中世の世界に放り込まれたら、”対話”へ持ち込む前に殺されて終わりよ」
「そこはほら……全部アタシに任せてもらって。対人とか交渉とか色々アタシがやってあげるし、鈴木は付いてくるだけで良いしさー。ねっ?」
「それ、わざわざ私が混ざる必要ないでしょ。大体、キミは一人で優秀なんだから私の手助けなんていらないわよ」
「いるよ、いるいる! 大体、一人だとつまんないしさぁ」
呆れる気すら失せた。クーラーで冷えた手をコーヒーで温めると、今回はどうやれば諦めてくれるかを考える。いつも「地下世界アガルタを探しに行こ!」とか「クトゥルフを探しに行かない?」みたいなぶっ飛んだ提案をぶつけてきて、実際に自家用ジェットやクルーザーで私を連れ回していた。だけど、今回は違う。今までの探索は全て失敗続きだったが、それでも生きていたのはお金のパワーがあったからだ。だがこと「異世界転移」になると違う。「死」ありきとなる。一度向こうへ行ってしまえば、もうこちらの世界に戻ってくることはできない。
「……死ぬことを、甘く見過ぎているんじゃないの」
コーヒーの温度が三度ほど下がった。いつもあーだこーだとうるさい佐藤だったが、さすがに理解したのだろう。表情から明るさが消えていた。目蓋を落とし、オレンジジュースの色を珍しくぼんやりと見つめている。間違ってない、正論を言ったはずだ。なのに、どうしてこんな感情に陥ってしまうのだろうか。彼女は飲みかけのオレンジジュースをあと一口分だけ残して立ち上がると、机の上に一万円札を置いた。
「おつり、返さなくていいから……さ。ごめんね? 迷惑かけて」
「曾祖母から教育されたんだ」と自嘲気味に自慢していた背筋を猫背にすると、そのまま帰って行った。残された私はお札を掴むと、考える。いくら彼女がお金持ちで私が金無しだとはいえ、こういう形でお金を貰ってしまうのは嫌悪感を持ってしまう。最初に出会った時から今まで、そういう細かい理屈を言わなくても理解し合える関係性だと思っていた。だが、”変わってしまった”のだろうか。少し、悲しくなる。
とにかく、明日になったらさっさと返そう。どうせ、明日になれば嫌なことなんて忘れているのだろう。すっかり冷めてしまったコーヒーを飲むと、微かに感じる酸味が私の喉を痛めつけた。なんだか、不吉な予感がしていた。
# # #
翌日、早朝バイトの最中にスマホへ電話がかかってきた。バイト中は絶対に電話をかけてこないようにとシフト表まで渡していたはずだ。昨日からの例外続きにイライラしながらも、同じ時間に入っているバイト君へレジを任せて裏に行くと、スマホから聞こえてくる声が全く違うことに気付いた。この声は佐藤家の執事でもあるメリープさんだ。世界探索中に様々な分野のお手伝いをしてくれ、私も海外料理でお腹を壊した時によく効く整腸剤をもらった助かった経験がある。いつも冷静沈着でまさに執事の鑑とでも言うべき彼だったが、今日は様子がおかしかった。
「あの……どうかなされたんですか?」
「はい。実は昨晩、晩杯亜お嬢様が……自殺を、図られました。幸いにも致命傷には至らなかったのですが、少し妙な事態に陥りまして。先程、車を回しましたので至急こちらの方へと来ていただけないでしょうか?」
「それは……一応、今バイト中なんで終わってからでも……あっ、ちょっ」
切れてしまった。あと数分でバイトが終わるし、せめてそれまでは来ないでほしい。そんな小さな祈りも、道路交通法を完全に無視したスピードの高級車が見えた瞬間に砕け散る。車から店内へ黒服で身長が180cmはありそうな男が二人が入って来たかと思うと、無言でレジに侵入し、私の両手を掴んで拘束してきた。せめて制服ぐらいは脱ぎたいと思ったが、ただのフリーターに振り払う力などあるはずもない。退屈さにあくびをしていたバイト君も空いた口が塞がらないという顔をしていたので「誰にも言わないで」とだけ注意しておくと、心の中で「あとは任せた」と言って親指を立てる。これが十度目のクビの原因になったら嫌だなともう慣れた感情を持て余してつつも、車の中へと引きずり込まれた。
数分もしない内に佐藤の住むマンションへと着いた。これが「娘のための贈り物」というのだから、五畳のアパートで三人の私からすれば”驚く”以上の感情が生まれない。本館……というか他多くの家族が住んでいる場所は「バレると不味いから」と私にすら詳しく教えてくれなかったが、どこかの山奥にあるらしい。マヨヒガか。車から降りると、中からメリープさんが出てくる。黒服さん二人との身長差は何度見てもびっくりするが、今はそんな場合じゃないと自分を律する。
佐藤の容態だが、悪くはないらしい。「自殺を図った」と一口に言っても首吊りもしていないし、市販薬を大量に服用したわけでもない。それじゃあどうして自殺を図ったと評したのかと思っていると、部屋に倒れる彼女の姿を一目見て、分かった。分からないけど分かった。
佐藤の肉体を蝕んでいたのは、摩訶不思議な植物だった。特に酷い部位を言うなら、胃の上部・右の肺・左目・右足・脳全体だろうか。まるで空想の産物みたいな、その部分から生えている、摩訶不思議な植物。花自体をそれほど知らないので種類までは分からないのだが、直感的にそれっぽいなと思ったのは「アサガオ」だろうか。だがよく見るアサガオとはまた違う見た目をしている気はする。佐藤の肉体と結びつき、まるで「拡張された人体」のようだ。右の肺から咲く花は呼吸と一緒に開閉しているし、左目から咲く花の先には人間と同じ「目」が生えている。右足は「義足」のようになっているし、胃の上部に関しては張り付いた虫を溶かし、維管束を通して胃の中へと流し込んでいた。
「あの……不謹慎なのは承知なんですが、何があれば一日足らずでこんなことになるんですか?」
「原因は分かっております。いつか旧支配者の探索へ出かけました時、お嬢様と不思議な種を見つけられましたのを覚えておられますか?」
「はい。太平洋のど真ん中をクルージング中に突然空から落ちてきて。どうせどこかの飛行機にでも貼り付いていた種が落ちてきただけだと思っていたんですが……もしかして?」
「それを、お嬢様”ご自身”が食べてしまわれたのです」
メリープさんは何も言わず、ただ頷いた。落胆の声とそんなものをどうして食べたのかという気持ちで頭が痛くなってくる。いつも破天荒気味な彼女だが、さすがに拾い食いはしないと信じていたのだが、昨日今日と嫌な方向へ予想を裏切ってくる。
一度その花に触れてみてほしいと言われたので、一番害がなさそうな右足の花に触れてみる。触り心地は悪くなかった。だが、感覚として得るものが違う。手触りと脳内に誤差が生まれ、全く別の存在に感じてしまっている。
「これって……治療できるものなんですか」
「はい。そのために、鈴木様をお呼びしました」
メリープさんが手を叩くと、部屋の外で待機していた黒服さんたちが奇妙な帽子を持ってくる。一見すれば建築現場のおじさんが付けているヘルメットにしか見えない。だが、良く見てみるとヘルメットの裏に赤色の花が入っている。少なくともバラやチューリップみたいなポピュラーなものではない。渡して来られたので掴もうとすると、ついさっき起こった現象と全く同じことが起きる。思わずヘルメットを落としかけたが、メリープさんが上手くキャッチしてくれる。ほっと一息。
「このヘルメットについている花ですが、同じ種類の種を飲み込んで亡くなられたご遺族から頂いたものです。当然ですが、この花も肉体へ取り込んでしまえば、今の晩杯亜お嬢様のような状態になるものと思われます。ですが、脳に近い部位でもある頭に触れさせた場合は違います。近くにある同種の花と”共鳴”現象……『
「佐藤を助ける手段でもある、ってことですか」
「その通りでございます。ただし、共鳴自体は誰にでも起こせるというわけではございません。私や黒服の二人では”拒否”されてしまうのです。おそらく、”自分の思考の中へ入れる”のですから”信頼”できる相手でないと入らせない……そのようなギミックがあるのではないか、と」
信頼、なんてもの存在するのか。昨日と今日であると思った関係性はズタズタだというのに佐藤は私を受け入れてくれる。だが同時に、私以上に信頼している人間がいないというのも理解していた。確信があった。二律背反の思考だ。どちらにしても、私が拒否されたなら誰も彼女にロゴス……なんちゃらで思考の中に入ることはできないだろう。それで無理だったのなら、この摩訶不思議な植物人間として生かすのか殺すのか決めるのは、私ではなく佐藤の両親だ。ふと、昨日の言葉を思い出す。
『いるよ、いるいる! 大体、一人だとつまんないしさぁ』
彼女を評す言葉。良く言えば「自由人」だし、悪く言えば「
だったら、私が彼女を助ける「理由」なんてあるのだろうか。走馬灯みたいに記憶をたどって行く。嵐の中で転覆しそうなのに悠々と眠る佐藤。快適な自家用ジェットでも、宿泊交渉が成立したお世辞にも快適ではない民家でも、同じ寝顔をしていた佐藤。思い出されるのは何か馬鹿なことを言っている姿か、あるいはそんな寝顔ばかりだ。いつだって私を連れ出す時は、そのバカみたいな元気さが目を焼いてきた。仕方ないと思わせてきた。あやふやな記憶たちは思い出すだけで鬱になりそうだったが、同時に胸を震わせた。バイトしかない日常に、明かりを灯していた。忙しいしかない日常に、潤いが。それはさすがに誇張しすぎ、だろうか。私は思いっきり頬を緩めた。
「要するに、その……ロゴ……ロゴス・ユーリカ! で、夢の世界に行って、佐藤を起こしてくれば終わりなんですよね?」
「正確に言えば、”こちらの世界へ戻ってくる意思を持たせる”でございます。中がどのようになっているか分かりませんが、そこにさえ至って意識さえ取り戻すことができましたらこの植物は分離するもの、だと調査の結果として分かっております」
一度入れば一か月は出てくることはできない。その間の延命処置は何が何でもこちらでやっておく。成功報酬は求めるなら「何でも」。最後の条件でびっくりしたが、一人娘を助けることができるのだ。お金持ちなら何でもできる、のだろう。断るのも難なのでひとまず何にするか保留しておくと伝える。
私は佐藤のベッドの隣に置かれた簡易ベッドの上へと寝転ぶ。かなり柔らかい。簡易ベッドなのにこんな睡眠に適したものなんて羨ましい。成功報酬はこれでも良いなと思っていると、ちょうど彼女の左手が私の届く範囲にあることへ気付く。膝を摺り寄せて近付くと、そっと手を握った。相変わらず、肌が白い。陽射しが苦手みたいな話をよくしていたし、クルージングでも夕方にならないと室内から出てこなかったことを思い出す。ここまで白いと「現代の白雪姫」なんて雑な評をしても違和感がないなと思う。
手を離すとヘルメットを被る。デザインは本当にどうにかならなかったのかと思いつつベッドに横たわると、あのズレた奇妙な感覚が脳に直接やってくる。だが、何か様子がおかしい。脳の中に直接異物が入ってくる感覚がする。まるで「根を張られている」ような状況で、メリープさんも気付いていない。声を出して気付いて貰おうとしたが、金縛りへ遭ったみたいに身体が動かない。握った手の余韻だけが思考の中で強烈なほど熱くなってくると、やがて私の身体から花が咲いていく。胃の下部・左の肺・右目・左足。それと、脳全体。やっとメリープさんが気付いてくれたが、もう遅い。身体はどんどん熱くなっていくと、鼓動の早さが他の誰か……いやこれは、彼女の……と重なっていく。自分が、どんどん、消え、て、い、く。
『思考発見――ロゴス・ユーリカ――起動。ミュトス・プログラムを構築します』
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