祭りのあとで

ふさふさしっぽ

祭りのあとで

 お祭りが終わった後の神社は、とても静かだった。夜店にはシートがかけられて、中央のやぐらから放射状に伸びた提灯の明かりは、もちろんとうに消えている。


(夢が覚めたみたいだ)


 守は少しぼおっとする頭でやぐらを見上げながら、そう思った。ほんの一時間前までは、笛の音と太鼓の音と、人々の笑い声でいっぱいだったのに。


 ひゅうと風が吹いて、守はパジャマの襟を押さえた。急に気温が下がったように感じて、やっぱり真夏とはいえ夜中の十二時だからだろうか、と守は思う。見上げると空には月が守を見下ろすように明るく輝いている。


 ふと目を凝らすと、やぐらのすみに、同じ年くらいの子供が立っているのが見えた。


(何をしているのだろう)


 守はそう思いながらも声は掛けなかった。こんな夜中にこんなところにいる子供を(自分のことは棚に上げて)不気味に思ったのだ。すると子供の方から「やあ。こんばんは」と守に声を掛けてきた。声変わりする前の少年の声だった。


 守はびっくりして動けずにいたが、少年はにこにこしながら近づいてきた。


「今日のお祭りで鞄に付けていたキーホルダーを落としちゃって、探しに来たんだよ。君、知らない?」


 やあ、だの、君、だの、キザなやつだなと守は思ったけれど、悪い奴じゃなさそうだとなんとなく感じた。なので「僕も今来たばかりだから、ちょっと分からない。一緒に探そうか」と答えた。


「悪いよ」


「いや、どうせヒマだし」


「ふふっ」


 少年は少女みたいに笑った。守はなんだかどきどきしてしまい、焦って、


「何年生?」


 と聞いた。


「四年生」


「僕と同じだ」


「そうなんだ。奇遇だね。ところで君の方は、どうしてこんな夜中にこんなところにいるの」


 守は一瞬考えたけれど、この全然知らない見たこともない不思議な少年に、今の気持ちを話したくなった。


「僕、小さいころから体が弱くてね、あんまり学校に行けないんだ。お祭りだって、今まで一回も行ったことないんだよ」


「なんで? お祭り、ちょっとくらいいいじゃないか」


 少年は不思議そうに首を傾げた。


「なぜかその時期になると風邪ひいちゃうんだ。夏風邪なんだって。だから、今日のお祭りもお母さんが行っちゃダメだって、ずっと僕を見張ってるんだよ。ずっとだよ? 神社のお祭り、お店を出す人が減っちゃって今年が最後だっていうから、ちょっとでいいから来たかったのに」


 話し出すと止まらなかった。心の中のどうしようもない不満を、守は少年にぶつけた。話し終えて一息つくと、少年は特に何の感情も出さずに言った。


「で、名残り惜しくて今ここにいるの?」


「名残り惜しいっていうか、眠れなくて」


 少年の、自分の心を見透かしたような言葉に守は恥ずかしくなって顔を赤らめ、下を向いた。足元に、お祭りが終わる頃に子供たちに配られるアイスの包装紙が落ちていた。


(アイス、食べたかったな)


 唐突にそう思った。


 綿菓子やチョコバナナ、焼きそばだって食べたかった。お母さんが寝ている僕に袋入りの綿あめを買ってきてくれたことがあったけれど、そうじゃない、僕はお祭りに参加したかった。なんでそれがお母さんには分からないんだよ。なんでちょっとくらい自由にさせてくれないんだ。


 一度心に浮かんだ不満は、ぐるぐると、とめどなく守の中に渦をまいた。


「お母さんに、君の気持ちを言ってみたら」


 守がはっと顔を上げると、少年は守のすぐ近くに近づいていた。少年の目は守をまっすぐに見つめている。


「言ったことがあるけど、無駄だよ。すぐお説教」


「お母さんが、嫌い?」


「うん……。たまに」


 口にしてからとんでもなく悪いことを言ってしまったと、守は後悔した。お母さんは僕のために毎日働いて、ご飯を作ってくれて頑張っているのに。けれど、思わずそう言ってしまったということは、それが自分の本当の心なのかもしれない、とも思った。自分の本当の気持ちに驚くと同時に、守は少し悲しくなった。


「別のお祭りへ行こうよ」


「え?」


 少年が突然提案した。暗がりの中、少年が笑っているのが守には分かった。


「別のお祭り?」


「こことは違うところで、お祭りやってるんだ。明日も家をこっそり抜け出せるだろう? ここで待ち合わせよう。連れて行ってあげる」


「こことは違うところって、どこ?」


「遠くだよ」


 いつのまにか月を分厚い雲が隠していた。夏なのに、とても冷たい風がうねるように吹きぬけて、守はとっさに自分の体を抱きしめた。


「うーん、ちょっと、お母さんに相談しないと」


「お母さん、嫌いだって言ってたじゃないか」


「そうだけど」


「じゃあいいだろ。とっても楽しくて、気持ちのいいところなんだ。口うるさいお母さんもいないし、君だってたくさん遊べるよ」


 そう言って少年は守の腕を両手で取った。相変わらず守をまっすぐ見つめて、その綺麗な整った顔に、満面の笑みを浮かべている。


(なんだこいつ。気持ち悪いな)


 守は身を引こうとしたけれど、少年は強い力で離さない。


「明日はダメだよ。観たいテレビがあるし」


「は? テレビ?」


 少年は拍子抜けしたような、間の抜けた顔をした。


「それに、友達が遊びに来るんだ。一緒にゲームするんだ」


 守のその言葉に少年は目をこれ以上ないくらい大きく見開いた。


「友達、いるの? 学校にはあんまり行かないって」


「病院でできた友達だよ。一緒にテレビゲームしたり、大人になっても困らないように一緒に勉強するんだ」


「大人に、なる」


 真顔で少年は抑揚なくそう言うと、なにやらぶつぶつ呟きながら俯いてしまった。守は早く手を離してくれないかなと、少しイライラした。少年の手はとても冷たくて、正直嫌な感触だったのだ。しかもその手が今はぶるぶる小刻みに震えている。


 どれくらいそうしていただろうか。


「友達、いるのか」


 突然、そう言ってやっと顔を上げた少年は拗ねたような顔をしていて、ひどく幼く見えた。そして、守の腕を力なく離すと、何も言わず、とぼとぼと鳥居を潜って帰って行ってしまった。守は夜の神社に一人ぽつんと残された。


(なんだったんだろう、あいつ)


 守は不思議に思いながら少年に掴まれた腕をさすった。まだあの冷たい感触が残っている。しかしふいにそうだ早く帰らなきゃと思い、家に急いだ。


 いつのまにか雲が消え、空にはまた月が明るく顔を出していた。


 守は鳥居の方へは向かわず今は閉まっている社務所の裏に回った。守の家は神社のすぐ隣なのだ。毎年、行けないお祭りの音を聴きながら眠るのは辛かった。


 神社と自分の家を隔てる柵を乗り越え、一階の自分の部屋に面している窓を目指す。お母さんが気が付いて起きていませんようにと、守はびくびくしながら忍び足で窓をそっと開けた。願い通り自分の部屋は抜け出した時のまま、母親が眠る隣の居間も静まり返っていた。守はほっと息を吐き出して、緊張を解いた。


 しかし、靴をしまいながら今何時だろうと時計を見て、守は再び息を止めた。守が家を出た十二時から五分も経っていなかったのだ。そんなはずない。三十分以上神社にいたはずなのに。守はそう思って時計を何度も見返したけれど、時間は変わらない。


(祭りの後を見て、すぐに帰ってくるつもりだったんだ。なのに、あの変な奴がおかしなこと言いだしてさ)


 守は立ったまま少し考えたけれど「別のお祭り」に心当たりはなかった。隣の神社のお祭りが、この辺では一番大きいお祭りなのだ。考えれば考えるほど頭の中に靄がかかって、出会った少年の顔も、話した内容もおぼろげになっていった。まるで夜見た夢を起きた後、いつまでも覚えていられないように。


 トイレに行ったついでに居間で眠る母親の様子を窺うと、母親はすやすや規則正しく寝息を立てていた。守は母親の顔を見て、胸が熱くなり、なぜか無性にほっとした。


 自分の布団に転がると、すぐに眠気が襲ってきた。


 微かに覚醒している頭の中は、明日友達と遊ぶことでいっぱいだった。何のゲームをしよう。お母さんも友達が来ているときは甘いからな。たくさんおやつが食べられるぞ。貸し借りしたいマンガもいっぱいあるし。


 目を閉じると、少年のことは、すべて忘れてしまった。

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