宝もの
先にいつもの店へと到着した私は、2人掛けの席に通されて美奈子を待っていた。
遅れる連絡がないということは、少なくとも約束の時間までには美奈子も到着するであろう。ここ『ヴェローナ』は女性客やカップルに人気なイタリアンレストランで、週末はいつも満員だ。
ほどなくして店の入り口に人影が見えた。美奈子だ。
美奈子は私の姿を認めると、口角をくっと上げて笑みを湛えながら、ゆっくりこちらへ歩いてきた。
「春香、久しぶり」
「美奈子~~~、久しぶりだね~~~」
彼女の性格を表しているかのように直線的にさっぱりと切り揃えられたショートボブヘアの黒髪は美奈子によく似合っていて素敵だ。親友との久しぶりの対面に思わず私も顔が綻ぶ。美奈子は革ジャンを脱いで、私の前の席に座った。
「前に会ったのはお盆のときだったっけ?」
「いや、ゴールデンウィークだよ。だから半年近く空いちゃったね~」
「もうそんなに経つのかー。なんかでもあんまり久しぶり感ないや」
「ふふ、私も。一週間ぶりくらいの感じ」
「一週間ぶりは言い過ぎだって!一か月ぶりくらいの感じだよ」
そんなとりとめのないことを話しながらメニューを眺めて注文を考える。実際、私たちは前回遊んでから間に一週間空こうが半年空こうが変わらないテンションで前回の続きを会話できる。多分それが本当に親しい友だちっていうやつなんだろう。
美奈子は忙しい人だ。学生時代もなにかと活動的に色々とやるタイプで、部活にバイトに委員会と、泳ぎ続けていないと窒息してしまう魚のようにとにかく一生懸命やっていた。社会人となった今も化粧品メーカーの営業としてバリバリ働いている。
一方の私はなんでも面倒くさがりな体質でどちらかというと部屋にこもって読書や手芸にまったり勤しむタイプだったが、勉強だけは美奈子よりもできたので、勉強を教えるときだけは立場が逆転して得意になっていたものだ。そんな私も今は社会人として、医療事務の仕事に携わっている。
私と美奈子が最近なかなか会う機会が減った理由は、単純に美奈子が忙しい人だということ以外にもう一つある。美奈子の左手薬指に光る銀色の輪。そして私の左手を見れば、同じ個所に異なるデザインの指輪がはめられている。
美奈子は二年前に、そして私は一年半前に結婚した。互いに子どもはいないが、既婚者なのだ。最近は落ち着いてきたものの、いろいろ生活が落ち着くまではちょっと時間を作りづらかったのだ。
ウェイターに注文を伝えてメニューを下げてもらうと、ちょうど話題が切れたので違う話題を切り出す。
「そういえばさ、こないだ久しぶりに地元帰ったんだけど」
「うん」
「『オアシス』、潰れてたよ」
「マジで!?」
美奈子は驚きに目を見開いた。『オアシス』とは我が母校の近くにあった喫茶店で、私と美奈子にとっては思い出の店だ。正直全然客の入っていない寂れた古臭い喫茶店ではあったのだが、ファミレスよりも静かだし、同級生に出くわす心配もないので学校帰りに寄っておしゃべりをしたり、待ち合わせに使ったりしていた。
「マジかー……ショックだなー。まぁこのご時世じゃ仕方ないのか」
「マスターの道楽でやってるようなお店だったしね」
「マスター大丈夫なのかなー。体壊してとかじゃなければいいけど」
「うーん、どうだろうね。看板とか無くなってたし潰れてるのは一目でわかったけど、特に閉店の理由とかはわからなかったな」
「そっかー……。潰れるってわかってたら潰れる前に一回行っときたかったな」
美奈子は少し遠い目をしてため息をつく。その目は思い出のお店が無くなってしまったことへの驚き、悲しみと、しかし残り半分は昔の記憶を久しぶりに掘り返して愉しんでいるような色も浮かんでいた。
私もそうだった。思い出のお店がなくなってしまったことは悲しいし、寂しい。しかし、目の前にいる美奈子とそれを分かち合い、そして二人であの頃の記憶を思い出して、共有できる喜びは、それと同じかそれ以上のものだった。
あの頃。高校時代、私と美奈子は恋人同士の関係だった。
付き合っていた期間は2年にも満たない。1年生のときに知り合い、2年生に上がることには既に親友と呼べる仲になっていた私たちは、2年生の半ば頃になって付き合いだして、卒業と同時に別れた。
告白は、美奈子のほうからだった。でも、私のほうが先に好きになっていたと思う。ただ私には告白する勇気がなかった。そして、美奈子にはあったのだ。
別れのタイミングは互いに合意の上だった。ちょっぴり、というかかなり泣いたりしてしまったが、それでも別れは必要なことだった。
私たちはいつまでも手を繋いでいるままではいられなかった。美奈子が目指す場所と私が目指す場所は離れていて、手を繋いだままでいるためにはどちらかが自分の目的を手放す必要があった。それが互いにとって良くないことであるのはわかっていた。
私たちのあの頃の関係について、思春期特有の性倒錯だとか、女子校という特殊な環境が生み出した幻想だとか思う人はいるかもしれない。だけど、私は本当に美奈子のことが好きだった。男も女も関係ない。誰がなんと言おうと、私たちは確かに恋人だった。
料理が届いてからも、ぽつり、ぽつりと『オアシス』にまつわる思い出を互いに語り合った。美奈子が覚えていて私がすっかり忘れていることもあれば、逆に私だけが覚えていることもあった。マスターを除けば、私と美奈子二人だけの記憶だ。忘れてしまうのはたやすい。
しかしそれを思い出していく作業は、あのかけがえのない時間が、私たちの関係が、本当に存在していたことを確認していくようで、嬉しいような、誇らしいような気持ちになった。
不意に美奈子が、「将来の話をしよう」という。スティーブジョブズかよと思うが、そもそも私たちはあまり普段思い出話をしない。そう決めたのだ。私たちは前へ進むために互いの手を離したのだから、過去はなるべく振り返らない。
私は少しうーん、と考えて、
「『オアシス』、復活とか?」と、つぶやく。
「へ?」
「私たちで、『オアシス』を復活させるの。マスターが美奈子で、私はウェイトレス」
それを聞いて、美奈子は吹き出す。
「笑わないでよ~。私、結構真剣なんだから」
「はいはい。でもいいね、そういうの。老後の目標にしようかな」
「道楽でね」
「そうそう、道楽で。くっくっく」
いたずらっぽく美奈子の表情は、あの頃と何も変わってはいない。少女のようにかわいい笑顔だった。
「ふふふ。それでね、その喫茶店も廃業して自分のシモの世話もできないような年齢になったら、美奈子と同じ老人ホームに入る」
「そんな先のことまで話す?」
「将来の話をしようって言ったのは美奈子でしょ」
「たしかに、くっく。ま、でもそれもいいね。だけどどこのホームに入るかなんて自分の都合だけじゃ決めれなくない?」
「だから、希望の話だよ。将来のことなんてわかんないから今のうちに希望しておくの」
「希望し続けたら叶うかもな」
「そうそう。ふふふ」
ワインを飲みながらその他にも趣味の話やら美奈子の海外出張の話やらいろいろ話しているうちに気づいたらもういい時間になっている。
二人で駅まで歩いて、帰る方面が違うため改札でお別れになる。
「じゃ、またね。春香―」
「またね~~、マスター」
美奈子が今度はあっはっはと笑い声をあげながら、エスカレーターを下りていく。
私は今も美奈子が大好きだ。あの頃以上に好きかもしれない。だけど、別れ際に寂しくはならない。
美奈子は私に勇気をくれた。もし私が美奈子と出会っていなかったら、今も部屋に閉じこもっていたかもしれない。美奈子と出会い、あの1年半があったからこそ、今の私がある。
私はもう、かけがえのない宝ものを持っている。それでもうきっと十分なのだ。
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