第53話 初代工部卿と長州ファイブ 2


「自分の生命は鉄道をもって始まり、鉄道をもって老い、鉄道をもって終わる」


 勝はそう口にするほど、鉄道に熱い気持ちを持っていた。


 『文明開化ぶんめいかいか』の象徴である鉄道をひっぱったのは、まさに勝であった。


 工部省が出来る前は、伊藤が兵庫県知事の後、大蔵省おおくらしょうで働いていたこともあり、勝も大蔵省の中で鉄道の仕事をしていた。


 今でこそ鉄道があるほうが便利なのは当たり前と思うのだが、明治のはじめは反対が多かった。


 異文化いぶんかへの恐れということではなく、仕事が無くなると恐れた庶民も多かった。


 江戸時代は参勤交代さんきんこうたいというものがあった。


 大名だいみょうがたくさんの部下たちを連れて、自分の土地と江戸を一年おきに行き来する制度である。


 この決まりのせいで大名は大変だったが、その大名たちが通る街道かいどう発展はってんした。


 街道には宿屋やどやがたくさん出来て、宿に泊まる人や寄る人のための食堂や茶店も増え、駕籠かごを運ぶ人や馬に荷物を運ばせて稼ぐ人など、たくさんの職業が生まれた。


 その仕事をする人たちからすれば、鉄道は恐ろしいものだった。


 なにせ人も荷物も鉄道が運んでしまい、街道の宿に泊まる人も店に寄る人も鉄道で通り過ぎてしまうかもしれないのだ。


 ただでさえ、江戸幕府がなくなり、参勤交代がなくなったことで、団体のお客さんがいなくなっている。


 鉄道が出来てすべてのお客さんが鉄道に乗って通り過ぎてしまったら、仕事が無くなり、生きていけなくなってしまうのだ。


 明治政府には五百通を超える鉄道反対意見があった。


 政府内の強力な反対者は西郷隆盛だった。


「人々の知識を開こうと、電信をかけ、鉄道を敷いて、蒸気仕掛けの機械を作って。それで人々は驚くかもしれないが、なぜそれが電信や鉄道がないとかなわないのか。それは無いといけないものなのか?」


 薩摩さつまの中でも大久保は進歩的な考えを持つ人で、大久保に近い官僚かんりょうたちは西洋の真似事だということは言わなかった。


 だが、西郷に近い軍人たちは西郷に近い考えの人たちが多かった。


 特に鉄道反対の考えが強かったのは薩摩の黒田清隆くろだきよたかだった。


「鉄道を建設するなんてとんでもない」


 もっとも黒田もむやみに反対したのではなく、理由があった。


 明治政府にはお金がなかったため、鉄道は外国から借金をしてくことになったのだ。


 鉄道の計画が進んでいる時、博文は大蔵少輔という職にあったのだが、その上の大蔵大輔は佐賀の大隈重信だった。


 大蔵省は先進的な考え方の若手政治家がたくさん揃っていて、新知識が集まると同時に、先進的な流れに反発する人には敵視てきしされた。


 黒田も鉄道を作るために外国からお金を借りるという計画を立てている大隈を日本をほろぼす悪者だと考え、政府から追い出そうとしていた。


 黒田は明治4年に欧州おうしゅう視察しさつに行くのだが、その出発直前まで大隈を追い出したいと思っていた。

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