第42話 聞多、斬られる 1

 長州と四か国の戦いを止めることは出来なかったものの、その戦いの講和の通訳として、俊輔は活躍の場を得た。


 しかし、この講和はみんなに歓迎されたものではなかった。


「なぜ攘夷を行わないのか!」


 外国の文明がどれほど進んだものか知らない人たちは、外国人になど負けるものかと息巻いきまいていた。


 攘夷を叫ぶ人たちの声は大きく、藩の上層部は批判を避けるため、こんなことを言い出した。


「今回の講和は、高杉、井上、伊藤が勝手にやったことだ」


 俊輔たちに責任を押し付けたのだ。


 攘夷派はその話を信じて怒り出した。


「高杉たちは悪い奴らだ! 斬ってやる!」


 その話を聞いた久保清太郎くぼせいたろうは高杉と俊輔に暗殺あんさつ目論もくろんでいる者たちがいると伝えた。


 清太郎は俊輔の通っていた久保塾の先生の息子である。


「僕たちを斬ろうなんて、なんて奴らだ!」


 高杉は切れ長の目を吊り上げて怒り、俊輔に顔を向けた。


「俊輔、しばらく身をかくすぞ。藩が僕たちに責任を押し付けて、見殺しにする気なら、この上、今の藩のためにがんばって何の甲斐かいがあるか。状況が変わるまで危険をけ、僕たちが動けるようになる機会きかいとう」


「それがいいです。お二人のために逃走資金とうそうしきんも用意しました」


 準備のいい清太郎は、高杉と俊輔に百両ずつくれた。


 お金だけでなく、とりあえず身を隠せる場所として、豪農ごうのうの家を用意してくれた。


 この時は藩主のとりなしで、先に書いたように高杉たちは講和の場に戻ったのだが、このようなことが長州内ではたびたび起きた。


 長州には外国の力を認める開明派もいれば、外国人を追い払えと考えているガチガチの攘夷派もおり、同時に、俊輔のように元々は攘夷派だったけれど外国の力を知って開明派になった人間もいた。


 そして、そこに幕府に従うか、幕府と戦うかという派閥問題もあった。


 下関の講和が終わった頃、長州は『禁門きんもんへん』の罪を幕府に問われていた。


 禁門の変は長州藩の兵と薩摩さつま会津あいづ桑名くわなの兵が、天皇陛下のいる京都の御所の門のところで戦った事件である。


 元々は久坂玄瑞たちは長州藩と藩主親子の名誉回復のために京都に行った。


 朝廷と幕府の命令に従って攘夷を行なっていたはずの長州が、なぜか独断で勝手に攘夷をおこなったと責められ、京都での立場もどんどん悪くなっていってしまっていたのである。


 それを回復しようと京都に行ったのだが、京都の朝廷内でも派閥争いがあって、長州と関係の良かった公家たちが政治の場から追い出され、かつ、池田屋事件もあり、どんどん長州が過激な方向に傾いていた。

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