第39話 下関戦争と講和 1

 長州に戻った俊輔と聞多だったが、説得はうまくいかなかった。


 二人がイギリスの新聞で見た長州と外国の戦争の結果、長州の人々は熱心に攘夷を叫ぶようになってしまっていた。


「我々は将軍が天皇陛下に約束した攘夷を実行した」


 第十四代将軍・徳川家茂とくがわいえもち孝明天皇こうめいてんのう攘夷実行じょういじっこうを約束しており、長州は馬関海峡を通過する外国船を砲撃することで、その攘夷の約束を守ったというのである。


「それは国際的には……!」


 俊輔たちはなんとか説得しようとしたが、もう事態は動いてしまっていた。


「我々は攘夷を実行し、朝廷からもおめの言葉を頂いた。それなのに、我らの行動は問題とされてしまっている。この事態を挽回ばんかいするために久坂玄瑞らが兵を率いて京都に向かっている」


 孝明天皇が攘夷をしろと言った。

 幕府の将軍も天皇に攘夷をすると約束した。


 だから、長州は外国の船を砲撃し、攘夷を実行した。

 天皇のいる朝廷は褒めてくれたのに、長州の行動は幕府に問題視された。


 朝廷のある京都から長州が追い出されようとしている。

 これはおかしいじゃないか。

 

 おかしいと訴えに行こう。

 そして、攘夷もきちんと実行し続けよう。


 これが長州の人たちの考えだったのだ。


 俊輔たちは長州の人たちの熱意を止められなかった。


 それどころか外国かぶれになったのではと俊輔たちは睨まれることになった。


 二人は悔しい思いを抱えながら、長州がイギリス・フランス・オランダ・アメリカの四か国と戦い、負けるのを見ているしかなかった。


 京都では禁門の変が起きて、俊輔と同じく松下村塾で学んだ久坂玄瑞・入江九一らが亡くなった。


 下関戦争でも外国の連合艦隊に下関の中心部や彦島の砲台が徹底的に砲撃を受け、破壊され、選挙された。


 俊輔たちの出番は、戦争の後だった。


 四か国の連合軍と長州との講和こうわの通訳として、講和の使者を命じられた高杉晋作に付いていくことになったのである。


「つい最近まで謹慎させられていたのに、いきなり外国との講和に行けとはな」


 高杉は口の端を釣り上げてそう笑った。


 ここで少し高杉晋作のことを書いておく。


 下関戦争の前半戦、文久三年の戦いの時に、高杉は下関防衛を命じられた。


 高杉は攘夷志士を支援してくれていた商人・白石正一郎しらいししょういちろうの屋敷で、奇兵隊きへいたいを結成して、戦いに参加する。


 奇兵隊は正規の武士ではない、足軽あしがる中間ちゅうげんといった下級武士や武士奉公人、農民・町民、さらにその下層の人たちも入ることが出来る、身分を問わない部隊だった。


「奇兵」はれっきとした武士の「正規兵」とは逆の言葉だ。


 奇兵隊結成後、正規兵と奇兵隊が揉めてしまい、高杉はその責任を負って、奇兵隊総督の座を河上弥市かわかみやいちらに託して総督をやめることになるが、間違いなく奇兵隊の創設者であった。


 その後、高杉は脱藩だっぱんして、京都に潜伏するものの、桂小五郎に説得され、長州に戻る。

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