第9話 吉田松陰の死 1

 『安政あんせい大獄たいごく


 幕府の大老たいろう井伊直弼いいなおすけ尊王攘夷派そんのうじょういはに行った大弾圧事件だいだんあつじけんである。


 一橋慶喜ひとつばしよしのぶ(後の徳川慶喜)、松平春嶽まつだいらしゅんがく山内容堂やまうちようどうといった大名たちが謹慎させられ、水戸の徳川斉昭とくがわなりあき永井尚志ながいなおゆきらは永蟄居えいちっきょという一生外出を許されない重い処分。


 大名だけでなく、京都の公家くげ近衛忠煕このえただひろら高い身分の者たちも処分を受けた。


 利助が京都で会った梅田雲浜うめだうんぴん頼三樹三郎らいみきさぶろうといった高名な儒学者も、高潔こうけつな思想家として知られていた橋本左内はしもとさないもこの『安政の大獄』で殺されてしまった。


 日本の多くの英知えいちを葬ったこの安政の大獄に、吉田松陰も巻き込まれたのである。


 利助が江戸に着いて半月もたたない内に、突然、松陰が斬首されたと聞き、利助は頭が真っ白になった。


 しかし、呆然ぼうぜんとしているひまはなかった。


「伊藤君、松陰先生しょういんせんせいのところに行こう」


 来原の兄・桂小五郎かつらこごろうは利助に準備をするよう命じた。


 麻布の長州藩邸には利助と同じ松下村塾の門下生である飯田正伯いいだしょうはく尾寺新之丞おでらしんのじょうがやってきていた。


「飯田君、尾寺君が幕府の役人と交渉して、松陰先生のご遺体を受け取ることができるよう約束を取り付けてくれた。松陰先生をきちんと埋葬してさしあげよう」


 小五郎に連れられ、利助は小塚原こづかはらへと向かった。


 小塚原とは今でいう東京荒川区南千住あたりにあった刑場けいじょうである。


 刑場とは死刑を行なう処刑場のことだ。


 今の南千住は新しいマンションとショッピングセンターが並ぶ明るく綺麗な町だが、この頃の小塚原は暗く恐ろしい雰囲気だった。


 小塚原に向かう道すがら、小五郎が事情を話してくれた。


「松陰先生は梅田雲浜が萩を訪れた時の話を幕府に質問されたそうだが、そこで老中・間部詮勝まなべ あきかつの暗殺計画を自ら幕府の役人に話したそうだ」


「朝廷に許可なく結んだ日米修好通商条約にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく破棄はきさせて、攘夷じょういの実行をせまり、それが受け入れられなかったら間部を討ち取ると松陰先生言ってましたからね……」


 間部の暗殺、倒幕のために藩を動かして武器を借りる。


 そういう松陰の過激な行動を、高杉・久坂らの松下村塾の生徒や桂小五郎は強く止めた。


 松陰に味方したのは、入江九一いりえくいち野村靖のむらやすしの兄弟だけで、武器を借りたいという松陰からの手紙を受け取った長州藩実力者・周布政之助すふまさのすけは松陰の暴走を心配し、再び、野山獄のやまごくに入れた。


 松陰に協力した入江も野村も牢獄に入り、それで落ち着くかと思ったが、井伊直弼の政策により幕府呼ばれ、松陰本人が自分の間部暗殺計画を口にしてしまったのである。


「うっかりではないでしょうね。松陰先生は孟子もうしの『至誠しせいにして動かざる者はいまだこれ有らざるなり』を本気で信じてらっしゃいましたから……」

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