第4話 俺は武士だ! 3

 利助は一人っ子で大事にされると同時に、両親に主命を大事にするという責任を教えられたのだった。


 ほどなくして父・十蔵が仕えていた家の主人から養子にならないかと持ち掛けられた。


 この養子の話はちょっと複雑で、十蔵の主人・水井武兵衛は、水井家の中嗣養子だった。


 中継ぎとして水井家を継いでいたのだが、本来の後継ぎである嗣子・武右衛門が成長したため、武右衛門に永井家を渡し、武兵衛は本姓である伊藤家を立てることになった。

 

 そこで武兵衛は伊藤直右衛門と名乗るのだが、家を再興しても直右衛門には後継ぎがいなかった。


 十蔵に養子にならないかと持ち掛けたのは、跡継ぎが欲しかったからである。


 しかも、妻子と共に養子にならないかという話だった。


 この頃は『家』を存続させることが大事で、実の子であるかどうかは、さほど重要視されなかった。


 利助の先輩となる桂小五郎も、和田家に産まれ、桂家に養子に行っている。


 しかし、実の子でなくても、遠い親戚であるとか、近所の子であるとかが一般的で、違う土地から来た、しかも家族のある人間をまとめて養子にするというのは珍しく、親戚たちは反対した。


 そんな反対の中、伊藤直右衛門は十蔵夫婦は実直で信用できると話し、その子供である利助も並々ならぬ能力がある子供だから心配に及ばないと反対を退しりぞけて、十蔵一家を養子にした。


 利助、十四歳の時である。


 伊藤家の養子になったことで、利助の家は一気に生活が楽になった。


 百姓の出だった十蔵も、伊藤家の養子となることで、百姓から中間ちゅうげんという身分になった。


 中間は武士に奉公する人で、種類分けすると武士に属するものではあったが、武士ではなく、武士の家来だった。


 大名に仕える家老や代々家臣の家である人とはまったく身分が違い、軽輩けいはいと呼ばれる立場だ。


 生活が楽になったと言っても、豪邸に住んだのではなく、小さくみすぼらしい家に祖父母、父母、利助と三世代が住む家だった。


 それでも、奉公に出ないと食べるものすらなかった生活に比べれば、ずっと良かった。


 九歳の頃に萩に移った後、利助は母の伯父から読書習字を習う機会はあったものの、奉公で忙しく、勉強をする暇がなかった。


 しかし、伊藤家に入って生活が安定したことで、伊藤は久保塾という近くの塾に通えるようになった。


 勉強を出来る環境が整った利助は、塾でその才能を発揮していった。


「利助は字がうまいな」


 久保塾で利助はそう褒められた。


 利助は字が綺麗きれいで、文章を書くのがうまく、国語力では特に他の子供たちより優秀だった。


 塾には席次せきじという成績順による役割があり、利助はその上位五人に入るほど優秀だった。


 ここで利助が知り合った人に、後に松下村塾の四天王と呼ばれる吉田稔麿よしだとしまろがいた。

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