第一章 オオカミなんて怖くない (12)

「ただ、冬になるとギルドを通して指名依頼が入ることが多くてな」

「指名依頼?」

「つまりだな、個人を指定して、依頼をすること。その分野が得意な者、つまり強い奴に指名がくることが多い」

 ネリーは少し自慢そうにそう言って、しかし声を落とした。

「もちろん、断ることはできる。強い者に依頼がくるということは、危険な仕事でもある。それを強制はできないからな。基本的には」

 基本的には。ネリーはそう言った。

 つまり、ネリーが頼まれているという指名依頼は、強制、またはそれに近いということだろうか。

「おととしと、去年は断ったんだ。今年も断ろうとしているんだが」

 ネリーは苦笑した。

「圧が強くてな」

「そうなんだ」

「サラのためということではない。私がこの小屋にいたいから断っているんだ。丘の上のこの小屋にな」

 ネリーが手を伸ばしてサラの頭をなでた。

 そうはいっても、本当はサラのため、いや、サラのせいだということは伝わってきた。だから口にしたくなかったのだろうということも。

 サラはこの世界に来て二年たった。年も一二歳になった。体力もついた。初級魔法だってクリアして、なんなら雷撃だって撃てる。

 確か一二歳になれば、ギルドで登録もできるはず。

「三泊しか」

「サラ?」

「まだ三泊しかできないけど、あと二日くらいなんとか歩き切るから。だから、一緒に町に行こう。そしたらネリーだって!」

「ダメだ!」

 もともと、来年の春には町に行けるだろうとサラは思っていた。それが半年早くなるだけのことなのに。

「サラはローザの町がどんなに冷たいか知らないからそんなことを言うんだ。あそこはダンジョンの町。元からいる町の住人と、ダンジョンで稼いでいる強者以外には、暮らしにくい町なんだ」

 そう言われてみると、確かにサラはローザの町に行くことだけを目標にしていて、そこでどう暮らすかなど何も考えていなかった。そもそもダンジョンに潜ろうとはこれっぽっちも考えていなかったし。

 ギルドの登録をしようと思ったのも、ただ、今まで集めたスライムの魔石がギルドで売れればいいと思っていたからだけだった。

「住むところを用意するのにも時間がかかるだろう。下手をすると町の外になるかもしれない。それに、私は依頼を受けたらサラと一緒には……」

 サラを置いて仕事に行かなければいけないということなのだろう。今とどう違うの? サラには、それがここを離れられない理由には思えなかった。

「それなら!」

 サラはネリーを途中で遮った。

「指名依頼に、一緒に付いていくのは?」

「それは……」

 ネリーはそれは考えてもみなかったという顔をした。

「私が依頼に出ている間、王都の誰かに預ければ……。しかし、そのまま引き離されてしまうかもしれない……」

 サラはかしたいのを我慢した。王都とはどこなのか。ローザとはどう違うのか。なぜ町の役に立っているネリーが町の外に住まなければならないのか。

 疑問に思うことはいくらでもある。

「サラ、すまない。すぐには決められない。今度町に行ったとき、信頼できる奴に相談してみる。ほら、薬師のクリスって、言ったことあっただろ」

 サラは頭の中をさらってみた。

「クリス。ローザの町で唯一信頼できる人って」

 今まで名前が出てきたのはその人だけだったのでサラは覚えていたのだ。

「そうだ。まあ、ギルド長も、いや、あいつは間抜けだから……」

 ギルド長とはハンターギルドの長のことだろうか。魔物と戦うギルドの長が間抜けでいいのか。ネリーの話は気になることばかりだ。

「相談してみれば案外道が開けるかもしれない。そうだ、一緒に行けるかもしれないんだな」

 ネリーの顔が明るくなった。なんでも人に頼らず一人で考えてしまうのだ、この人は。

 サラは明るい顔になったネリーにほっとした。しかし、ほっとするのではなく、いろいろな疑問を、この時にもう少しちゃんと聞いておけばよかったのだ。

「ちゃんと相談して、今後のことを少し考え直してみるよ」

「うん。町まで頑張って歩くから!」

「そうならないといいんだが」

 そんな話をしたすぐ後の買い出しの時、ネリーは真剣な顔をしてサラに言い聞かせた。

「いいか、サラ。三日。いや、四日だ。いつもは三日で帰ってくるが、今回は少し時間がかかるかもしれない。もし、四日過ぎても私が戻らなければ、ローザの町に行くんだ」

「ネリー?」

「一人でも、必ず。そして薬師ギルドのクリスを頼りなさい」

 ネリーが何を覚悟していたのかわからない。しかし、サラは不安に思いながらも、しっかり頷いた。

「帰ってきたら、今度は四日の宿泊訓練だ。そして、何がなくても来年の春には、一度一緒にローザの町に行こうな」

「うん」

「じゃあ、行ってくる」

 ドアの前の階段の下で一度振り返ったネリーに、サラは笑顔で手を振った。

「いってらっしゃい」

「キエー」

「ガウ」

 ワイバーンが飛び、高山オオカミが付きまとうなか、いつものようにネリーはさっそうと町に買い出しに出かけていった。

 一日目。いつものように、ネリーの部屋の掃除をする。

「どうしてほんの少しの間にこんなに散らかるんだろう」

 洗濯物はきちんとたたんで手渡しているし、ネリーの部屋で食事をするわけでもない。それなのに、洗ったはずの服はベッドの布団に巻き込まれているし、何かの紙やクズ、それに本が床の上にばらまかれている。

 やれやれと肩をすくめながら、ネリーの部屋だけでなく、山小屋を一通り掃除をした。

 二日目。時間がなくてそのままにしていた魔物の肉を料理して、パンに挟んだり、煮込んだり、フライにしたりして収納ポーチにしまった。

 三日目。ネリーが帰ってくる時間に合わせてスープを作る。

「遅いなあ。今日はもしかして帰らないのかも」

 サラはすぐ食べられるように温めていたスープの火を止めた。サラの魔法の力ならいつでも温め直せるのだが、帰ってきたときに温かいスープのにおいがしたらほっとするではないか。

 しかしその日のドアの外の夕暮れに、ネリーの影が映ることはなかった。

 四日目、夜の間にネリーが帰ってきているということはなかった。いつもネリーが町に行っている間に済ませている家事は全部終わり、することもない。

「薬草でも採るか」

「ガウ」

「オオカミはいらなーい」

 この三日間、サラに声をかけてきたのはオオカミだけだが、別にかわいくなんかない。

「町までは街道があって一本道のはず。いよいよ覚悟を決めないとだめか」

 四日過ぎても戻らなければ、とネリーは言った。

「私は、ローザの町に行く」

 たった一人で。

「ネリー」

 きっとできる。

 そして五日目の朝のこと。

「何かトラブルがあったんだろうな」

 独り言をつぶやきながら、サラは出発の準備の最終確認をしていた。

 これからサラは、昨日決意したとおり、ネリーとの約束を守って町へ向かう。

「入れ違いになったときのために、備蓄は半分は残していく。ネリーが一人で三ヶ月過ごせるように。その代わり、私の三ヶ月分は持っていく」

 ギルドのお弁当箱に、自分で詰め直した温かいお弁当。ガーゴイルのローストを薄切りにして、ピリリとしたクレソンと一緒に挟んだサンドパン。ネリーの好きなコカトリスの胸肉に、しっぽの煮込み。ゴールデントラウトのフライ。スープあれこれ。果物を生のものも、干したものも。

「町に行ったら、黒パン以外も売ってるかな」

 何かを楽しみにしないと、不安で手が震えそうだった。

 備蓄の食べ物は小さいほうの収納ポーチの半分近くの場所を取った。そのほかにキャンプ道具や着替え、たまったスライムの魔石などで、収納ポーチは三分の二は埋まっている。

「でも心配ない。私にはワイバーン三頭分のリュックがあるし、リュックはほとんどからっぽだし」

 独り言を言いながら片付けていくと、ネリーが心配で涙がこぼれそうになる。

「ネリーは大丈夫。ネリーは強いもの。トラブルがあっても、身体強化があればたいていのことはなんとかなる。高山オオカミにだって、ワイバーンにだって負けないんだから」

 小屋の管理は任されていたから、部屋はいつだってきれいにしていた。ネリーの部屋だってちり一つない。サラは玄関から部屋を振り返った。もう服が乱雑に散らかっていたりしないし、何かの骨も落ちていない。

「いつ帰ってきてもいいように。またネリーと暮らすんだから」

 サラは最後に自分の格好をチェックした。結局ネリーは女の子の服は買ってきてくれなかった。だから袖を折り返したシャツに、裾を折り返したズボンの上からチュニックを着て、そのウエストはベルトできゅっと締めている。ベルトには収納ポーチが付いていて、必要なものはすぐ出し入れできるようになっている。

 リュックを背負って、上着を羽織ったら、出発だ。

 サラは何かを振り切るようにドアを開けた。

「ガウ」

「オオカミはいらなーい。どうせすぐ下でお別れだよ」

「ガウ?」

 どうせ誰も来ないから、鍵はかけない。

「次来るときは、ネリーと一緒。だから平気」

 階段から下りて、結界の前で止まる。深呼吸をして、大きな声を出す。

「はじめのいーっぽ」

 これがサラの異世界生活の、本当のスタートだ。


   ~試し読みはここまでとなります。続きは書籍版でお楽しみください!~

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【書籍試し読み増量版】転生少女はまず一歩からはじめたい 1 ~魔物がいるとか聞いてない!~ カヤ/MFブックス @mfbooks

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