第一章 オオカミなんて怖くない (11)

「疲れてだるい体にむち打って、一生懸命稼いだお金なんだよ。そんなに多くなかったけど、こっちのお金に交換して持たせてくれてもよかったのになあ。女神様、サービス悪いと思う」

「サービス。サービスだと? サラ、さすがに女神にそれを求めるのはちょっと……」

 駄目だろうか。まあ、実際にサービスは特になかったので、いまさら求めても仕方がない。

「家族はなんとかしてくれるって、女神様が言ってたから、私は大丈夫」

「そうか」

 ネリーは顔を戻すと、夜空を見上げているようだ。

「今はネリーが家族みたいなものだもの」

「そうか。そうだな」

 ネリーの口の端が少し上がった気がした。

「家族か。では、家族としては、サラにはもう少し修行を増やさねばならないか」

「それ普通じゃないから」

 サラは思わず突っ込んだ。ネリーの家族に会うのが怖くなるではないか。

「家族って、ただ一緒にいて、ただ仲良くしてればいいんだよ」

「そうか。それだけか」

「それだけだよ。ふわ、あ」

 家族の定義について考えるのが面倒になったサラは、適当に返事をしたせいか、気が抜けて思わずあくびがでた。

「そうだ、慣れないうちは寝ている間に魔法が切れてしまうから、毛布は掛けておいたほうがいい」

「うん、わかった」

 結界越しに夜空が見える。もう少しおしゃべりをしたかったのだが、疲れていたせいか、気がついたら朝になっていた。ネリーの言うとおり、いつの間にか魔法は切れていて、朝のひんやりした空気で目が覚めたのだ。

「ガウッ」

 目を開けたら森オオカミと目が合った。最悪だ。

「オオカミは、いらない」

「ん、サラも起きたか」

「ネリー、起こしちゃった?」

「ちょうど起きようと思っていたところだ。おお」

 ネリーは眠そうながらもすっと体を起こすと、町のほうを見て感嘆の声をあげた。

「久しぶりに見る。朝焼けだ」

「きれい」

 ただ一日、小屋から足を延ばしただけで、今までと何も変わることのない朝の目覚めだ。

 でも、今まであまり話さなかった日本の話をしたせいか、ネリーと並んでおしゃべりをしたせいかはわからないが、サラは何かが変わった気がしていた。

「そうか、ここが私の生きている世界か」

 朝焼けのなか、ワイバーンが飛び、オオカミがうろうろし、そしてネリーがいる。

 快適な生活の日本は、サラにとってはただの思い出にすぎなくなった。

「よし、今日も頑張ろう!」

 まずは豆を作らずに歩けるようにならなくては。

 サラは元気に立ち上がった。

 新しい一日の始まりだ。


 この日をはじめに、サラとネリーの外出修行が始まった。

 最初は一泊ずつ。一泊して、次の一日は休んで、荷物の整理をし、新しい携帯食を作って収納袋に入れる。道沿いから距離を伸ばし、小屋の右手や左手に、そして山の上のほうにも向かってみる。

 湧き水があり、そこから沢が流れ、時にはふちとなって魔物がみ着いているところもあった。

「ここの淵にいるらしいゴールデントラウトの肉はうまいんだが、私は泳ぐのも釣りも得意ではないし、剣の届くところにも出てこなくてな。いつも眺めているだけだ」

「おいしいの?」

「王都で食べたことがある。普通のマスより肉厚で、淡白ながらとろけるような味わいだった」

「そういえば魚はしばらく食べてないなあ」

 肉はたくさん供給されるのだが、住んでいるところは山だし、魚は諦めていたのだ。

 淵をのぞきこむと、水の透明度は高いのに一番下が見えない。ということはかなり深いのだろう。

 背の黒い魚の群れが目の端を横切る。

「魚、食べたいな」

 サラの目が据わった。一瞬でも目に見える物なら、追尾の魔法が使えるが、ゴールデントラウトは影も形も見えない。自分の魔法では水の中まで届くものはない。

「雷、か」

「雷?」

 水の刃はどうしてもイメージできないのに、淵に雷撃を落とす自分はイメージできる。ボールに入るモンスターのゲームをやっていたせいかもしれない。

「ネリー、ちょっと下がって」

「サラ、何をする気だ」

「下がって」

「はい」

 サラは自分もちょっと下がった。そしてイメージを固める。

「雷撃!」

 ピカピシャンと水面に雷が落ちた。

「サラ!」

 サラが冷静に淵を観察していると、初めに小さめの魚が、そして淵の底から金色に輝く大きな魚が浮かび上がってきた。

「ご、ゴールデントラウト」

「今日はお魚だ!」

 雷撃で気絶しているだけの魚を仕留めてもらい、その日は意気揚々と帰ってきた。

 ゴールデントラウトは、サラの身長くらいあったので、一日かけて切り身にし、主にフライにして保存した。軽く小麦粉を振ってムニエルにした夕ご飯は、ネリーだけでなく作ったサラも身もだえるほどおいしかった。

 山を上のほうに行くと険しい岩山があり、その隙間を抜けると花畑になっているところもあった。もちろん、そこここに強い魔物がいた。

 時には身を守るために魔物を倒すこともあり、ワイバーン三頭分の袋など、もう一年も経つ頃にはいっぱいになってしまい、結局はネリーに売ってきてもらうしかない状態になった。

「最大の収納袋を買えば」

「一億も払えないよ」

 ネリーがまるで、ローンで縛りつけておく悪徳業者のようなことを言うので、ネリーのものにしていいから売ってくれと押しつけたのだ。魔物を売ったお金は、

「サラがギルドの会員になったら戻せるよう、別にしておくな」

 と、母親のように大事に取っておいてくれているらしい。

 そして二年経つ頃には、一日中歩きながら三泊するくらいの脚力はついていた。

 最初の一年は一〇日に一度町に行っていたネリーも、収納袋をもう一つ買い、備蓄を多めに買っておくことで、二〇日に一度と間をあけるようになった。一〇日より、二〇日のほうが狩りと修行の予定を立てやすいのだ。

 サラはネリーがいてくれることが嬉しいので、それは大歓迎だった。

 ネリーの帰りを待つだけでなく、一緒に出かけることができる。現地での仕事はそれぞれ狩りと採取で別々だが、昼は一緒に食べられるし、夜は枕を並べて星空を眺められる。

 親子というほど精神年齢は離れていない。むしろ対等なくらいである。しかし、親しい友というよりはずっと近い関係は、不思議と居心地のいいものであった。

 ただ、深まる二年目の秋に比例して、ネリーの顔が浮かないものに変わっていくのがサラには気になっていた。


「ネリー」

「なんだ」

 ある日の夕食の後、ゆったりと休んでいるときに、サラは思い切って聞いてみた。

「最近浮かない顔をしているようだけど、心配事でもあるの?」

「いや、特には」

 ぶっきらぼうな言い方とは裏腹に、返事は穏やかな口調で返ってきた。しかし、言おうかどうしようか迷っている様子も感じられたサラは、もう一押ししてみることにした。

「町にいやなことでもあるの?」

「いいや。というか、なくもない、というか」

 ネリーは暖房の前に投げ出していた足を体に引き寄せて、迷うように言葉を選んでいる。

 どうやら話してくれそうなので、サラは静かにネリーを待った。

「その、私がこの丘の上の小屋にいるのは、本当は春から秋にかけてだけなんだ」

「それって」

 もしかしてサラがいるせいだろうか。いや、もしかしなくてもサラが来たせいで、冬もここから離れられないということに違いない。サラは胸が冷える思いだった。そして、それは言いにくかったことだろうと思う。

「ネリー」

「いや、待て。サラ。違うんだ」

 何が違うのだろうか。

「別に一年中この小屋にいてもいいんだ。というか、一年中ここにいたら、契約元のローザの町はむしろ大喜びだろう」

 サラは落ち着いてもう少し話を聞くことにした。

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