第一章 オオカミなんて怖くない (9)

「自分で倒したんだから、いや、勝手に倒れたんだけど、私のやったことだから。私が責任を持ちます」

「それでいい」

 ネリーはサラの肩をポンと叩いた。でも、ワイバーン一頭分しか入らないこの収納袋に、森オオカミが何頭入るだろうか。サラは、ネリーが魔物の素材を入れるスペースになぜあんなにこだわったのか初めてわかった。

「ちなみに、ネリーの収納袋っておいくらくらい?」

「これか? まあ。一億くらいだな」

 高すぎる。ワイバーン一〇頭分なら仕方ないのかもしれないが。

 しかし、ワイバーン一頭分では容量が足りないとすると、どのくらいの収納袋を持っていたらいいだろうか。しかも、サラの支払える範囲でなければならない。

「じゃあ、ワイバーン三頭くらい入るのだと?」

 いつの間にか当たり前に単位がワイバーン何頭かになっているのが自分でもおかしい。

「ワイバーン二頭で二〇〇万。三頭で一〇〇〇万だったか」

 たくさん入るものほど値段が高くなる仕組みらしい。迷いスライムの魔石が大きなものほどまれだからだという。

「それなら一頭分のポーチを三つ持っていたほうがよくない? 三頭分でも九〇万だよ」

 ネリーが確かにという顔をした。

「し、しかし、収納袋三個もジャラジャラと身につけるのはその、なんというか」

 どうしても容量の多いものを買わせたいようだ。

「ネリーにとっては収納袋はお高いものではないんでしょ?」

「ああ」

「じゃあネリーはそれでよくて、でも貧乏な私の次の目標は、もう一つ、ワイバーン一頭分の収納袋が目標かな」

「では次は背負う形のはどうだ」

「背負う形のがあるの? じゃあ、次はそれでお願いします」

 また薬草をたくさん取らねばならないと、サラは奮起した。

 しかし、意気込みむなしく、次の一時間でサラは足に豆を作ってしまった。

「仕方ない。今日はここまでにしよう。ポーションで直してもいいが、薬草を直接貼り付けても次の日には治っているぞ」

「ほんと? やってみよう」

 サラはちょっと情けなかった。しかし、小屋から出られない日々が半年続いたのだ。むしろ、同じ年の子どもより体力がなかったといっても過言ではない。休みながらでも三時間歩き続けられただけでも成長したと言える。

「魔物がどうとかよりも、歩けるだけの体力をつけないと」

 そう自分に言い聞かせる、足の痛いサラを休ませて、ネリーは狩りに出ていった。森オオカミがうろうろしているが、高山オオカミのようにやたらぶつかってはこない。さっき一頭やられたのを見て、警戒しているようだ。

「高山オオカミより賢いかも」

「ガウッ」

「返事はいらなーい」

 サラも休んでばかりはいられない。大きめの岩を目印にして、ゆっくりと薬草を探して歩く。薬草、上薬草、毒草、麻痺草は家のそばにもあるが、あと二つ、魔力草と上魔力草はめったに見たことがない。ポーチから本を出して、他の草も摘みながら確認していく。

「あった!」

 魔の山はところどころ岩肌がむき出しになっている、険しい山でもある。その岩のすきにたまっているわずかな土の上に、上魔力草は生えていた。

「そういえば小屋の周りでも、岩が多いところに魔力草が生えていたような気がするな」

 サラはつぶやくと、風の魔法で手の届かないところにある上魔力草を上手に切り落とした。

 それをさらにふんわりした風で手元に落としていく。魔法の使い方も自己流ながら上手になった。初級はだいたいできるようになったのではないか。

「魔法って便利便利。それでは、上魔力草一本五〇〇〇ギルになります」

 その時、岩場の向こう側にちらりと動く影が見えた。

「迷いスライムだ」

 迷いスライムは小屋のそばでも見かけるが、目の端に陽炎かげろうのように映るだけで、視線を動かすと消えてしまう、不思議な生き物なのだ。どんな色なのか形なのかもサラははっきり見たことがない。それでも、サラには一度やってみたいことがあった。

「目は動かさない、けど、いつもの炎、追尾で、行け」

 サラの前に親指の爪くらいの高熱の炎の小球が生じたかと思うと、シュッとスライムのほうに消えていった。

「今まで成功したことなかったんだけど……」

 サラは岩場の上からゆっくりと回り込んでみた。スライムがいたと思われるあたりに、きらりと光るものがある。

「あった! これが迷いスライムの魔石かあ。初めて見たよ」

 しゃがみこんで魔石を拾うと、立ち上がって魔石を日に透かして見た。魔物の魔石は黒っぽいのだが、この魔石は乳白色で、日にかざすと中にさまざまな色が浮かんで見える。

「まるでオパールみたい」

「キエー」

「きえー?」

 ドウン。ドスリ。

 バキリという、何かが折れたような気味の悪い音と共に、何物をも跳ね返すはずのバリアが大きく揺れたような気がした。時々山小屋の結界にぶつかっていく大きな魔物を思い出し、サラは首を横に振った。

「ま、まさかね」

 サラは慎重に魔石をポーチにしまうと、ゆっくりと後ろを振り向いた。

 ワイバーン一頭。

 ご臨終です。

「なんでこんな。生き物を倒す覚悟を決めたばかりの日に、こんな大物が来なくても」

「ウウー」

「ウウー」

 様子をうかがっていた森オオカミが、ワイバーンが完全に死んだと判断し、寄ってこようとしている。

「うそ、ワイバーンを食べるの」

「ガウッ」

 ワイバーンは死んでいても怖い。そもそもが恐竜みたいな外見だし、首が折れて開けっぱなしの口にはギザギザの歯が生えているし、高山オオカミの何倍もの大きさがあるし、大鹿をつかむ鉤爪も鋭い。

 でも、高く売れるとネリーが言っていたではないか。

 それをみすみす森オオカミに食べられてしまっていいのか。

 いや、よくない。

 サラは収納ポーチに手をやり、その手をそのまま止めた。

「ワイバーン一頭分は入るけれど、ワイバーン一頭分しか入らない」

 ということは、中に入っているキャンプ道具や薬草や非常用の食料やさっきの森オオカミを全部出すということで。

 サラは目だけ動かした。森オオカミが見える。

 その間に、ワイバーンは食べられてしまうだろう。

 ではどうしたらよいか。

 サラはため息をついた。

「バリアを膨らませて、私とワイバーン両方が入るようにしよう。そして、あとはネリーを待とう」

 バリアが多少は大きさを変えられることは実験済みである。また、自分が入れたいと思った人や物を内側に入れることもできる。ワイバーン一頭分くらいの大きさなら何の問題もない。ワイバーンを入れたいわけではないが、仕方がない。

「うう。死体と一緒。ワイバーン怖い」

 サラはワイバーンの近くに寄ると、しぶしぶとワイバーンを覆うようにバリアを膨らませた。

 異変に気づいた森オオカミが、急いでやってくるが、

「キャウン」

 とバリアにはじかれた。バリアは大きくなっても丈夫さは変わらないようだ。サラはほっとした。

「ネリー」

 サラは早く戻ってきてほしいと心から願った。

 しかし、ネリーが帰ってきたのは夕方のことだった。確かに昼を食べてから出かけたから、いつもよりずっと遅い出発だった。だからといって、いたいけな一一歳を一人で暗くなるまで放っておくとはどういうことか。

 サラはキャンプ道具のランプをともしながら、ワイバーンのそばでぶつぶつ文句を言っている。

 秋の終わり、夕方は結構冷える。バリアの周りのオオカミの目が明かりをはじいてきらめくのがまた嫌な感じだ。

「サラ?」

 岩場の向こう側、最初にいた大きな岩のところからネリーの声がした。

「ネリー! こっち!」

「なんでそんなところに、うわっ」

 ネリーの声が近づいてきて、最後は驚きで終わった。森オオカミはこそこそと散っていった。さすがネリー。

「ワイバーンじゃないか。なんでだ。あっ、森オオカミのようにバリアにぶつかったのか。それにしても」

「大きいし、空から降りてきたから、すごい反発があったんじゃないかと思うの」

「さすがのワイバーンも自分の勢いで殺されてしまったというわけか。だが、収納袋にしまえばよかったのに」

「だってこれ」

「あ」

「ワイバーン一頭分……」

 ネリーはコホンと喉の調子を整えるかのように咳をすると、

「ほらな、こんなことがよくあるから、最低ワイバーン三頭分は入る収納袋が必要なんだ」

 と言った。

「ないから。こんなこと、まずないから」

「う、うむ。そうか」

 真顔で否定したサラに、ネリーは気まずそうに同意した。

「さすがにサラが疑われずにワイバーンを売ることはできないだろう。ハンターギルドの一員として心は痛むが、まあ私ならワイバーン一頭でも二頭でも疑われないからな。私が売っておこう。それでな、サラ」

「なあに?」

 ネリーはまたコホンと咳をした。

「ワイバーン一頭、売って一〇〇〇万ギルなんだが、そのお金で」

「ワイバーン三頭分の収納袋、背負う型で買ってください」

「うむ。それがいい」

 装備ばかりが充実していく。これではいつまでたってもお金がたまらないような気がするサラである。

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