第一章 オオカミなんて怖くない (8)
夏の終わり、そろそろサラが転生して一年が経とうとする頃、サラは小屋が小さく見えるところまでは出かけることができるようになっていたし、小屋には一ヶ月分の備蓄ができていた。
「では、そろそろ宿泊訓練に出かけようと思います」
秋になったとき、サラはネリーに宣言した。一年経ったので、おそらく一一歳になったはずだ。
「宿泊訓練?」
「そうです。ローザの町まで、大人が歩いても三日かかるって言ってたでしょ。私の足なら、下手をすると五日くらいかかると思うの。だから、外で寝泊まりする訓練をしておこうと思って」
そうはいっても、一人では怖い。だからサラはネリーにも付いてきてほしかった。
それに、なんといっても揃えてもらったキャンプ道具を使いたくてたまらないのである。
「狩りの獲物が減っちゃうし、ネリーの仕事の邪魔かもしれないんだけど、一人じゃ怖いから」
「一人じゃ怖い? 怖いだって?」
なぜそこで頬が赤くなるのか。
「かわいい」
一人じゃ怖いことがどうかわいいのか、サラにはネリーの思考回路が理解できなかった。
「もちろん、一緒に行くとも。ああ、行くとも!」
なんだか気合が入っているが、行く気になってくれたならそれは嬉しい。
「たくさん歩く訓練もしたほうがいいと思うし」
「そうだな。一度歩いたところなら一人で行けるだろうしな。まず最初は道沿いに無理なく、いや、むしろ山の上を先に」
いろいろ計画を考えてくれたようだが、まずは道沿いに下っていくことになった。
ドアを閉めて、小屋の前で最後の確認である。
「キャンプセットよーし、食料よーし、収納袋よーし」
「ガウ」
「オオカミはいらなーい」
一年経ってもオオカミの群れはいる。サラを食べられないことは身に染みてわかっているだろうに、毎回バリアに挑戦しては跳ね返されている。
「私も野宿は久しぶりだから緊張するな」
「あ、そういえばいつも町までは泊まらないで行くんだもんね」
「そのとおりだ。緊張するが、楽しみだな」
「うん!」
手をつなぎたいところだが、手が空いていないと危険なので一人ずつ歩く。ネリーは身体強化で、サラはバリアで身を守りながら。
一時間も歩くと、小屋はだいぶ小さくなった。道沿いにある大きな二本松のところで、サラは一度止まった。
「もう休憩か」
「休憩っていうか、今までここまでしか来たことがなかったの」
「ここまでか」
ネリーがあっけにとられたような顔をした。
今まで一人で訓練していたから、ネリーと遠出するのは実は初めてなのである。
一時間歩き続けるということは、一一歳の体にはかなり負担であった。実際、サラはずいぶん疲れを感じている。
「このペースで休憩を入れていたら、町までまじめに五日かかるかもしれん」
確かに、町はちっとも近くなった気はしない。
「よし、これからは、私の狩りになるべく同行しなさい。結界箱があれば大丈夫だし、連泊の練習にもなるしな」
「うん。頑張る」
最初一歩も出られなかった頃から比べると夢のようではある。
しかし、狩りに同行して何泊もできるのならば、その方向がローザの町であってもかまわないはずだ。ネリーが町に狩りの獲物を運ぶついでに、サラに付き添っていけば、サラはもう町にたどり着けるのではないか。
一生懸命な割に、そのことには気がつかないサラであった。
「それにしても、ここから見上げると、小屋のあるところ、山じゃなくて、丘の中腹に見えるね」
確かに小屋より上はよく見えないので、高い山の中腹にある小屋というよりは、丘のてっぺんに立つ小屋に見える。空をワイバーンが飛んでいるが、見た目だけは鳥に見えないこともないし、大変牧歌的な景色だった。
「魔の山の管理小屋だがな」
「でも、丘の上のネリーの家って思うとかわいいね」
「かわいい? かわいい。うん、いいな」
ネリーはハハッと笑った。管理小屋より、かわいい山小屋に住んでいるといったほうがなんとなくいい。
「さて、休めたから歩こうかな。ネリー、ここから下に行く? 横に行く?」
「帰りが少し大変だが、今日は道沿いに下りよう」
キャンプはまだ始まったばかりだ。空もいつもより青いような気がした。
先ほどの二本松から少し歩いたあたりで、高山オオカミはふいっといなくなった。
「やっと諦めたかな」
高山オオカミのいない景色は初めてのような気がした。
「いや、奴らの生息域は山の上のほうだから。ここからは、ほら」
「ガウッ」
後ろから襲ってきた大きな犬が、ばいーんとはじかれた。高山オオカミより一回り小さく、色も黒っぽい。でも、群れの数は多い。
「森オオカミだな。ここから下の草原までが生息域だ。少し体は小さめだが、群れで巧みに狩りをする」
「そうなんだ」
「高山オオカミと違って、私のことは襲ってこないんだが、今日はサラがいるからな」
「獲物認定された! このオオカミもいらないよ」
結局どこにいてもオオカミに付きまとわれるのかと思うとうんざりする。
それからも道を歩いていると森オオカミが襲ってきたが、
「キャウン」
ある時跳ね返った一頭が動かなくなった。獲物を仕留めようとして襲ってくる力は、そのままオオカミに跳ね返る。何でも反射するバリアとはそういうことだ。
サラはショックで動けなくなった。
高山オオカミは、歯が折れても跳ね返されても平気で舞い戻ってきて、死んでしまうなどということは考えられなかった。
「首が折れたな。諦めないからだ」
ネリーは淡々とそう言うと、黒いオオカミのそばにしゃがみこんだ。
「サラの結界にはじかれたのだから、サラの獲物だ。どうする?」
「どうするって言われても……」
「収納袋に取っておいていたら、そこそこいい値段で売れるぞ。場所取りではあるがな」
サラはたとえ魔物であっても、自分からは攻撃したくなかったし、しないようにしていた。血の出ないスライムは、魔法で倒してもあまり心が痛まなかった。でも、大きな生き物を倒す心構えは、まだできていなかった。
ネリーは立ち上がると、警戒している残りの森オオカミを見ながら、ポツリとつぶやいた。
「気がついていないようだから言わなかったが、サラ、お前のそのバリアにつぶされて、息絶えているスライムが結構いるぞ」
「えっ」
サラは飛びのいた。ネリーに言われたとおり、横のほうにつぶれたスライムがいた。
「移動中にいちいち立ち止まって拾っていては訓練にならないから言わなかった。が、お前のそのバリアは、ぶつかった相手にそのまま力が返るものだ。高山オオカミは丈夫だからあまり影響はなかったし、奴らは手加減していたから大丈夫だったが、ここから下は魔物も少し弱くなる。つまり、全力でお前を倒しにくるから、全力が跳ね返るということだ」
人を噛み殺そうとした力がそのまま戻ったら、それは命を落とすこともあるということである。
「サラはハンターではない。だから、狩ろうとしなくてもいい。だが、この山の魔物はすべて討伐対象、つまり害獣なんだ。はっきり言うと、減らしたほうがいい」
「減らす……」
「そのために私がこの山にいる」
サラは黙ってしゃがみこむと足元のスライムの魔石を拾った。
それから意を決して森オオカミのそばに寄った。
「本当は駄目なんだが、代わりに売ろうか」
ネリーの言葉に首を横に振ると、サラはオオカミにポーチをかざした。オオカミはしゅっと袋の中に消えた。お弁当の隣にあるかもなどということはこの際考えない。中身が混ざることなどないのだから。
本当に何も傷つけたくないのなら、小屋から一歩も出なければいい。
でも、サラは外に出たいのだ。せっかく疲れない体になったのだから、いろいろなことをやってみたい。
そのためには、命を奪う覚悟がいる。そして命を奪った責任も。
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