第一章 オオカミなんて怖くない (6)

「ところで今日はこれを採ってきた」

 気合を入れるサラを横目で見ながらネリーが袋から出したのは、なんと大きな卵だった。ダチョウの卵くらいはありそうだが、カメの卵のように丸い。

「コカトリスの卵なんだが。春だから、魔物にも卵を産む奴がいてな」

「卵で増えるんだ」

 むしろそっちのほうが驚きである。サラが卵を受け取ろうとしたら、手がつるっと滑った。

「ああっ! 割れちゃ、わない?」

 丸い卵は、割れもせずスーパーボールのようにぽよんぽよんと弾み、やがて小屋の床に落ち着いた。

「びっくりした」

「強い魔物は卵も強いぞ」

 それはそうかもしれないが、そもそも弾むとは思わなかったのだ。その時サラの頭の中に何かがひらめいた気がしたが、はっきりした考えになる前にそれはどこかに行ってしまった。

「卵が割れないのなら、どうやって食べるの?」

「うむ。確かに」

 わからないものを取ってくるべきではない。しかし、サラにならなんとかできると思われたのなら、やるしかないではないか。

 結局卵は外に持っていって、高温の炎で殻に穴をあけた。ガスバーナーみたいな感じである。

「そういえばサラの魔法を直接見たことはなかったな。そんなふうに細くて高温の炎の魔法を使う魔法師など見たことがない」

 ネリーが感心したようにあごに手を当てた。

「いや地球の人なら絶対誰でもできると思うよ。私でさえ思いつくんだから」

「招かれ人か。親しく付き合ったことはないのでな」

「じゃあ私が一番目?」

「そうだな」

 そっぽを向くネリーのほおはちょっと赤いような気がした。サラは思わず笑いがこぼれた。

 コカトリスの卵は、その日は野菜を入れたオムレツに、次の日は甘い卵焼きにした。仲良く食べるコカトリスの卵はおいしかった。

 しかし、半年たっても小屋から数メートルしか離れられない自分に、サラは焦りを感じてもいた。

 幸い、ネリーとは気が合うようで、不満を感じたことはない。むしろ毎日とても楽しい。それにしても、いつまでも頼っているわけにはいかないと思うのだ。

「卵はおいしかったなあ。ぽよんぽよんと弾んでおかしかったけど。あれ、待って」

 あの時何をひらめいたのだったか。

「そう。結界も卵みたいって思って、でも自分が転がったりはずんだりするのは嫌で、それなら相手が跳ね返ればいいんじゃないって思ったんだ」

 ひらめきをたどっていくとそうなる。

「つまり、結界が鏡のようにいろいろなものを跳ね返す、そういうものになれば……」

 自分が転がらずに相手がダメージを負うことになる。今だって結界の杭を打てばオオカミは跳ね返るが、衝撃がこっちにも来るので、今のままの結界ではだめだ。

「でも、イメージがわかないぞ。跳ね返す、跳ね返す。あれだ、バブルゲーム。ぽよんと跳ね返る。そうすれば自分に衝撃が来ないから、結界を張ったまま歩ける。なんていったっけ。シールド、じゃなくて、バリア。バリアか!」

 魔法の教本には、そもそも最初からイメージが大事だと書いてあったではないか。

「なんで私は身体強化から入っちゃったんだろう」

 それはもちろん、ネリーのせいである。

 次の日、久しぶりに新しいことをやろうとしたサラは、朝、狩りに出かける前のネリーに付き合ってもらうことにした。

「さて、それでは久しぶりの実践編です!」

「ガウ」

「しつこいよね、君たち半年ここにいるよね」

 オオカミたちはとりあえず放っておいて。

 余った食材は最近はスライムよりオオカミの口に入っていることが多いから、餌付けしているような気がしないでもないが。

 ネリーは面白そうに腕を組んでサラを眺めている。

「結界ではなく、いや、結界のようなものだけれど、イメージは泡で。そして、その泡はすべてを跳ね返す。魔法も、物理も。よし!」

 ぽわんと、自分の周りにバリアを張る。イメージとしては、結界が二枚ある感じ。外側のバリアが何もかもはじいて、内側のバリアがそれを補強する。

 結界から一歩、二歩。

 オオカミがいつものようにぶつかってくる。

 ぷよん。

「ギャウン!」

「ギャウン!」

 体当たりしてきたオオカミが次々と跳ね返されて飛んでいく。

 こちらに衝撃はない。

 成功だ。サラは思わず振り向いて叫んだ。

「ネリー!」

 ネリーは腕を組んだまま、驚いたような顔をして固まっていた。

「ネリー?」

 ネリーははっとして、組んでいた腕をほどき、

「さすが招かれ人だな。戦う力もないのに、ここまでできるようになるとは」

 とつぶやいた。

 その顔には喜びではなく、なぜか悲しみが浮かんでいるような気がした。

「だが、安心するのは早い。夜は結界の魔道具を使うにしても、町に出るまで、五日間それを展開し続けなければならないんだぞ」

 それはまだできる気がしなかった。それでも、一歩踏み出したのだ。

 サラは山のふもとに見えるローザの町を見て、胸を張った。

「いつか行くからね! 二年後くらいに!」

 目標はしっかりと。しかし、現実はちゃんと見なくては。サラは自分がひ弱だということは自分でもわかっているのだ。

「二年、か。それまで断り切れるか……」

「ネリー?」

「何でもない。やっと外に出られるようになったんだ。これからは少し私が付き合うから、長く外に出る訓練をしような!」

「うん!」

 ネリーが何を悩んでいるのか、サラにはわからなかったが、少なくともネリーのお荷物にならないようにするためには、少しでも力をつけなくてはならないと決意した。


「町に出ることを考えると、次に必要なのはこれだな」

 そう言って次にネリーが買ってきたのは、結界の魔道具だった。といっても、平たい小箱が四つ。重ねて持ってもサラの片方の手の中に納まる小さなものだ。

「これが簡易結界を作る魔道具だ。自分の周りの四隅に置くと、小屋と同じように結界が張れる。ワイバーンでも防ぐことができるぞ。ただし、範囲はおよそ二メートル四方。一人用だ。くっつけば二人でも使えるけれども」

「じゃあネリーと一緒なら一組でいいね」

「うむ」

 サラの言葉にネリーはほんのりと赤くなった。

「パーティ用に、範囲の広いものもあるが、何かがあったときのために一人ずつ持っていたほうが安心だ。ただな」

「ただ?」

 まだ何かがあるのだろうか。

「一組、五〇万ギル。どうする?」

 最初、ネリーは何もかもをサラに買ってくれようとした。小屋の管理のお礼だからと。こんなへんなところまで、家事をしに来てくれる人はいないのだからと言って。それこそ黙っていたら収納袋も一番大きいのを買ってきたことだろう。

 しかし、それはちょっと違うとサラは思うのだ。サラにまったく働く力がなかったら、あるいは日本だったらサラも遠慮なく大人を頼ったかもしれない。

 でも、薬草採取をすれば、それなりにお金になることがわかった。今ためているスライムの魔石も、売ればいいお金になるという。

 それなら、自立するためのものは自分で揃えたい。

 そう主張するサラに、せめて衣食住は自分に出させてくれ、料理を作ってもらっているだけでもありがたいのだからとネリーが言うので、そこはお願いしている。といっても、だぶだぶの衣服なので、衣に関してはいまいちだと、サラは自分の格好を見て苦笑した。

 そのサラの意見を尊重して、便利な魔道具類については、買うかどうか確認してくれるようになった。もっとも、たいていは買った後で言ってくるので、つい頷いてしまうのであるが。

「買うね」

「そうか」

 いつもこんな感じである。

 実はバリアを張ることができたおかげで、サラの移動範囲はかなり広くなっている。とはいっても、まだ小屋から半径五〇メートルくらいなのだが、小屋から見える木立や岩のところまでは出かけられるようになった。

 そうすると、今まで薬草くらいしか見つけられなかったのに、毒草の群生地や、魔力草の生えているところも見つけられるようになった。

 つまり、毎回売りに行ってもらう薬草の代金が、一回当たり五万から一〇万ギルくらいに増えているのである。結界箱の代金なら、三ヶ月ほどで支払いができてしまう。

「結界箱が用意できたのなら、次はテントかなあ。ネリー、移動に必要なものって?」

「サラは体力がないから、夜は必ず休まなければならない。簡易結界で雨ははじくから、外が見えるようテントはないほうがいい。収納袋はあるから、少しかさばるが、夜は心地よく休めるよう、厚手のマットと毛布。それにランプ、携帯用の調理器具、水筒などだな」

「調理器具って、収納袋に作った食事をそのまま入れておけばいいのでは?」

 ネリーははっとしたような顔をした。今まで気がつかなかったとでもいうように。

「茶、を沸かすこともあるだろう」

「そうだね」

 おそらくネリーは、自分の移動中は早さを優先して食事も飲み物も歩きながら済ませているのではないか。だから、自分がダンジョンに行っていたときのことを思い出して考えてくれている。

「あとはまだ先だけど、食料だね。そういえば」

 サラには気になっていたことがある。

「どうしてこの小屋には、備蓄がないの?」

「備蓄?」

 ネリーは一〇日ごとにきちんと町に行くから、そのたびにパンや野菜など必要なものは買ってきてくれる。サラがあれこれ言うから、買ってくるものは増えたが、必要なものを必要な分しか買ってこない。こんなに町から離れているのだから、行けないときのためにたくさん買っておけばいいのにと思うのだ。

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