第一章 オオカミなんて怖くない (4)

「コカトリスのしっぽをステーキにすると、この焦げ目のところがうまいな」

 ネリーが満足そうにしっぽのステーキにナイフを入れる。どのくらい火を通したら安全かわからないので、焼き具合はこんがりだ。ネリーなら生焼けでも、「なに、身体強化で」と言いかねないので、慎重にやるに限ると思うサラだった。

「ありがと。それでね」

 とりあえずほめ言葉にお礼を返すと、サラは昼間に考えたことを説明した。結界の下に、地面に刺さるように杭の形の結界を伸ばしたらどうかと。ネリーは微妙な顔をしながら、

「とにかくやってみることだ」

 と励ましてくれた。なぜ微妙なのかはすぐにわかった。

「さて、実践三回目です!」

「ガウ」

「オオカミはいらない」

 オオカミは返事をしなくてよろしい。

 訓練も三回目になると、階段の下までは平気で行けるようになった。心なしかオオカミも怖くない。

「ガウッ」

 やっぱり怖い。

「よし、結界」

 まず結界を丸く張り、硬くなるようイメージする。ここまでは前回と同じだ。そのまま外に出たら、オオカミが来る前にすかさず地面へ杭を打つ。

「固定!」

「ガウ」

 ドウン。オオカミが跳ね返った。

「ふっ」

 サラはふふんと胸を張った。

「ガウ」

 ドウン。何度当たっても跳ね返る。

「ふはは」

 オオカミがどの方向からぶつかってきても多少揺れるくらいで結界は転がらない。

「成功! あれ?」

 サラは思わずネリーのほうを見た。ネリーがそっと目をそらす。

 確かに、結界は固定されてオオカミがいくらぶつかっても揺るがない。しかしだ。

「どうやって町まで移動するんだろう……」

 つぶやくサラに、ネリーが気の毒そうに答えてくれた。

「い、一歩ずつ?」

「来年までかかるよ」

 いつでも試みが成功するとは限らない。サラは失敗の大切さを学んだ。

 そしてこれが、サラの自立の第一歩ともなった。

「少なくともこれで薬草を採取することはできるようになったのよね」

 サラはあくまで前向きだった。

 実は小屋の周りには薬草がたくさん生えていた。

 ネリーがもらってきてくれた、薬師ギルドが納めてほしい薬草一覧にあるのはたったの六つだ。

 薬草。上薬草。草。毒草。魔力草。上魔力草。

 ネリーに持ってきてもらってから、よく読み込んだので特徴は覚えている。

 それにしても、種類が少なくはないか。

「これだけなの? もしかして、初心者用?」

「違うぞ。逆にこれ以上何がいる?」

 ネリーが不思議そうに尋ねた。薬草とは、つまりポーションを作るもとになるものだろう。では、ポーション以外の普通の薬はどうなのか。

「おなかが痛くなったときとか」

「ポーションだな。薄めてもいいぞ」

「頭が痛いとき」

「ポーションだな」

「風邪」

「風邪には何も効かないが、せきなら麻痺草から作った薬で楽になるぞ。熱は魔力草」

「むーん」

 サラはちょっとがっかりした。いろいろなものを調合してとか、そういうロマンはないのだった。

「だが、材料がシンプルだからこそ、薬師の魔力操作と技術が問われるんだ。ローザの町の薬師は優秀だぞ」

「ローザ?」

「ああ、この山の下にある町だ。地下ダンジョンがあって、この大陸で一番ポーションの需要が大きいからな。薬師も自然と腕のいい奴ばかり集まる。特に薬師ギルドの長はすごいぞ」

 ネリーから初めて聞く、この世界の町の話だ。

「クリスというんだが、魔力量が私並みに大きくても人とうまくやっていける力があってな」

 楽しそうに輝いていたネリーの顔がふと曇った。

「サラ」

「なあに?」

「下の町で確実に頼りになるのはクリスだけだ。もし何か、そう、どうしようもないことがあったら、薬師ギルドのクリスを頼るんだ」

 ネリーは恐ろしいほど真剣だった。しかし、家からたいして離れられもしないのに、町に行った後のことを具体的に考えるのは難しい。

「頼るも何も、まず家を出るところからだよ」

「そうだな。まずは家から数歩出るところからだな」

 なぜかネリーはほっとしたように笑った。まるでそう、サラが家から出られないことが、本当は嬉しいのだというように。

 それからサラは、まず小屋の結界に沿って地面を観察した。

「薬草、薬草、スライム、上薬草、スライム、薬草っと」

「ガウ」

 オオカミもサラを観察しているが、

「オオカミは、いらない」

 のである。

 小屋のドアの前は緩やかに下る草原が広がっているが、もともと山の中腹に建っているからか、少し離れたところは岩場になっているし、小高い丘のようなところもあった。

 その間を埋めるように草が生え、よく見るとその草の中に薬草も結構あるのである。

「これなら、小屋の結界から半分体を出して、杭で結界を固定すれば薬草は採れそう。ネリーに相談してみよう。それにしてもスライムが多くてちょっと危ないなあ」

 その日は、ネリーがパンだけ用意して待っていてくれというので、夕ご飯の支度はしなかった。パンは町で一〇日分まとめて買ってくるので、サラが焼く必要はない。

 ちなみにパンは収納袋に入れっぱなしにすれば劣化しないので、品質は変わらない。

 しかし、変わらないはずなのに、なぜぱさぱさしているのかはちょっと気にはなっていた。

 小屋にも最初は、調味料は塩しかなかった。ネリーに頼むと、しょうを含めた香辛料も買ってきてくれたので、特にこの世界の食文化が発達していないとも思えないのだが。

 それでも、サラが言われたとおり食事の支度をせずに待っていると、ネリーはいつもより早く帰ってきた。

「これが今日の土産だ!」

 ドアの外のデッキで、どん、とネリーが意気揚々と収納袋から出したのは、大きな四角い石だった。

「石?」

「違う違う。よく見てみろ。ほら、顔や体があるだろう。これはガーゴイルだ」

 はて、ガーゴイルとは石ではなかったか。サラが首をひねっていると、ネリーはすらりと剣を抜いた。

「外は石のように硬いんだが、この中の肉がおいしいんだ。今まで料理が面倒だから獲ってこなかったが、今はサラがいるからな」

 そう言うと、

「むん」

 と剣をまっすぐに振り下ろした。あっという間に四角く切り取られた中には、みずみずしい肉の塊があった。切り落とされた部分は外のオオカミが食べました。サラは見なかったことにした。

「これは……時間があったらローストビーフだけど、とりあえず、シンプルに塩コショウでステーキにしよう!」

 大きなガーゴイルからほんのちょっとしか取れない肉は、脂身が少ない、極上の焼肉になった。

「こいつらは基本的に岩場とか採掘場にしかいないから、魔の山で獲れるのは珍しいんだ」

「そうなんだ」

 この世界にやってきて、町の名前もこないだ初めて知ったばかりなのに、魔物グルメばかりに詳しくなっている自分におかしくなる。

 食後のお茶を飲みながら、サラはふと思い出し、

「そういえば、薬草がなんとか採れそうなんだけど、スライムが多くてどうしようかと思ってるの」

 と、昼に気になっていたことをネリーに相談した。お茶は紅茶である。

「スライムか。踏み込みさえしなければ問題はないんだが、剣士には面倒なだけだからなあ」

「ネリーでも面倒に思うんだ」

「ああ。逆に魔法師には倒しやすいらしいぞ。特に駆け出しにはな」

 サラはそう言われて気がついた。せっかく魔法の教本を買ってもらったのに、身体強化とか結界とか、教本に書いていないことばかりやっている。教本にはちゃんと、基本四魔法が書いてあったはずだ。

「炎、風、水、土。どれも初級の魔法でスライムは倒せるぞ」

 ネリーに言われて魔法の教本をひっくり返す。

「炎の小球、はイメージできる。風のやいば、もかまいたちがあるからイメージできる。土の魔法も、これ、下から杭をはやすんだよね。これも大丈夫。でも、水のこれ。水の刃ってなんだろう」

 本当にこれ、初級なのだろうか。そもそも、日常生活で炎の小球や水の刃など使わないような気がするが。サラは声を出して表紙を読み上げてみた。

「『ダンジョンに潜ろう。魔法師のための初級魔法』。確かに初級魔法って書いてあるけど」

「そうだな。ハンターギルドに売っているものの中では、それが一番簡単だったぞ。あとは中央ダンジョンの地図とかも必要か」

「必要ないよ。なんで町にさえ行っていないのに、ダンジョンの地図が必要なの」

 どうもネリーは少し感覚がずれている気がする。ネリーは何かをごまかすように咳払いをした。

「そうそう。水の刃だったな。魔法師が使っているのを見ている限り、風の刃をそのまま水で置き換えていたように思うが」

「氷かなあ?」

「いや、水だったぞ。倒した後、残っていたのが水たまりだった。氷なら氷が残るはずだろう」

 確かにそうかもしれない。

「そうかあ。じゃあさ、炎の小球ってどのくらい小さいかわかる?」

 サラはどんどん質問していった。

「そうだなあ。私が一緒に行った魔法師の炎は、このくらい」

 ネリーは両手で大きい輪を作った。

「いや、それ大きいよね。むしろ大球だよね」

「しかしそれが最小で、それ以上は球ではなく、剣のような形や壁のような形状だったように思うが。それ以外見たことがない」

 ネリーがそう言うのならば、この世界の小さいというのはそのくらいなのかもしれないとサラは思った。

 いずれにしろ、そんな火事になりそうな大きな火の玉は怖いので、とにかく魔法は小さくてコンパクトなものにしようとサラは決めた。大事なのはイメージだと、魔法の教本にも書いてあったではないか。

「よし、大きい炎はいやだから、小さくしよう。高熱の小さい小さい炎で。水はイメージできないから氷の刃で。土は下からとげとげを出す感じ。風はかまいたち。それで訓練してみよう」

「そうだな。剣士にもそれぞれの戦い方があるように、魔法師はそれぞれ自分で工夫した魔法を持っているものだ」

「魔力は自分の思い描いたとおりの力になる。自分の魔力量に応じて、無理せず、自由に自分の思い描いたように」

 サラは教本の最初の言葉を声に出して読み上げた。

 小さい炎が敵に向かっていく。現実ではありえないから、サラはSF映画の一シーンを思い出してみた。あれは飛行機、いや、宇宙船だっただろうか。

 最初から敵に当てたいなら、追尾機能をつければいいんじゃない?

 サラは頭の中で思い描いた。炎、圧縮、高温、追尾。スライムが逃げても追いかけるように。よし、これでいってみよう。

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