第一章 オオカミなんて怖くない (2)
本をもらって数日後、いよいよ時は来た。
「さて、それでは実践編です!」
サラは宣言すると、家の中では危ないかもしれないので、玄関を出てすぐの、階段の上のデッキのところでネリーに向き合った。
狩りに行く前に、訓練に付き合ってもらう計画だ。
しかしその前に、サラには聞きたいことがあった。
「ねえ、ネリー。そもそもこの世界の人って、みんな魔法を使えるの?」
「無論だ。そうか、サラは招かれ人だから、魔力のない世界にいたのだな」
これが出会って一ヶ月後の二人である。もう一人ここにいたら、やっと今頃かと突っ込んでいたに違いない。
しかし、サラは魔法や何かより、自分の小さくなった体や新しい生活に慣れることで精一杯だったのだ。それに、生活のすべては電気の代わりに魔道具でなんとかなっており、ネリーが日常で魔法を使うのを見たこともなかった。
「もっとも、魔法が使えるというより、魔力があるというほうが正しい。日常で魔法を使う機会はまずほとんどないからな。そして、魔力が多い人間が、特に体を使う仕事や、魔法を使う仕事に就いているということになる。もっともわかりやすい仕事がハンターだ」
だから普段の生活でネリーが魔法を使うところを見たことがないのだなとサラは納得した。
「では、ネリーがまず魔法について教えてください」
本は読んだが、やはりまず現地の人に聞くのが一番だ。サラがネリーにお願いすると、ネリーは少し偉そうな感じで腕を組んだ。
「さて、魔法というと、まず攻撃魔法を思いつくが、そもそも魔力とは、体の中にただ存在するものであり、形を変えて魔法になる。つまり」
「つまり?」
サラはわくわくして尋ねた。
「もう一つの体、というか」
「というか?」
「もう一つの自分、というか」
「……」
その先の説明がないし、抽象的でわかりにくい。ネリーは致命的に教えるのが下手だということだけはわかった。道理で直接教える前に教本を買ってくるわけだ。
ネリーに頼れないことが瞬時に判明したので、それなら魔法の教本に頼るしかない。サラは魔法の教本を思い出してみた。
「確か魔法の教本には、魔力は自分の思い描いたとおりの力になると書いてあったよね。自分の魔力量に応じて、無理せず、自由に。その手本をここに記す、って」
「そのとおりだ。そこでまず安全な水の魔法から習うことが多いのだが、私は違っていて」
ネリーは迷うようなそぶりを見せたが、いきなりサラに手を差し出した。
「手を握ってみるんだ」
「こう?」
サラはネリーの手を握ってみる。さらに、にぎにぎと
「いつものネリーの手だけど」
「うん。でもここに魔力を流すと、こう」
ネリーがもう一度さわれと手を差し出した。
「え」
手が硬い。かちんかちんだ。
「どうして?」
「私は魔力の使い方が身体強化に特化しているんだ。剣士だが、本当は剣もたいしていらない。魔力をうまく使えば、体すべてが鈍器になる」
「だからオオカミをこぶしで殴れるんだね」
「そうだ」
ネリーがこぶしを握ったまま階段のほうを向くと、うろうろしていたオオカミが数歩下がった。怖いならうろうろしなければいいのに。
「オオカミがうろつくようになったのは、サラが来てからだな。いつかサラが小屋から出てくるかもしれないと期待して集まってきているんだろう」
「怖いし。そんな期待いらない」
サラはげっそりとした。
そもそも、高山オオカミは頭からしっぽまでがおそらく二メートルくらいはありそうだ。しかも、ネリーと並んでも顔がその胸あたりにくるほど大きい。ネリーの胸あたりということは、ちょうどサラの頭を丸かじりできる位置ではないか。
怖すぎる。
しかしこのオオカミを突破しなくては、町に行くどころか、薬草さえ採取できないのだ。そのためには、このオオカミを倒せるほどの剣か魔法の力を身につけなければならない。絶望的ではないか。魔法の練習をする前にすでに心がくじけそうなサラであった。
その時だ。サラははっとひらめいた。
「ねえ、私も身体強化ができれば、オオカミにかじられても歯が通らないんじゃない?」
倒せなくても、自分を守ることができれば、少なくとも移動はできるのではないだろうか。
ネリーは感心したように
「確かにな。そういえば魔法師は盾の魔法を使ったり、自分の身の回りに魔法で結界を作ったりするな」
「それだ! 私の目指すべきところは!」
サラに目標ができた。
ということは、ネリーをお手本にすればよい。
ネリーは家にいるときは身体強化は使っていない。
それは体の中の魔力が限られているからだ。同じように、魔法師も盾や結界を張り続けることはできない。
「そういえば、魔力がなくなったらどうなるの?」
「身体強化が維持できなくなるな」
それは当たり前である。サラの聞きたいことはそんなことではない。
「具合が悪くなったりとかする?」
「なくなったら使えなくなるだけで、具合は悪くはならないが、脱力感はあるな。しばらく休めば自然に回復するが、ハンターにとっては命取りだから、魔力ポーションを使うこともある」
「なるほど」
サラは日本にいたときのように元気がなくなったり、だるくなったりするのはもう嫌だったので、それを聞いて少し安心した。
「そうだ。でも、私は招かれ人だから。常に魔力を吸収して、出し続けることができるらしいから、問題なし」
つまり理論上は無限に魔法を使うことができる。実際、魔力が不足していると感じたことは一度もない。まあ、使ったこともほとんどないし、そもそもその存在を感じたこともないのだが。ただ、毎日元気なだけだ。
「だから招かれ人はハンターとして活躍できるんだね! 私はハンターにはならないけれど」
サラはできれば人にも生き物にも、それから魔物にも手を上げたくない。これは必須である。
「案外ハンターに向いていると思うぞ、サラは」
「ネリーが一緒に狩りに出たいだけじゃないの?」
「ゴホンゴホン」
図星である。ネリーはごまかすように胸の前で両手をパンと
「さて、まずはもう一つの自分をイメージしてみるんだ。つまり、サラの元気の
最初からそう言ってくれればわかりやすいのに。
サラはふうとため息をつくと、気持ちをすっと切り替えた。
内側から湧き出るような気力は、日本で暮らしていたときはなかったものだ。
今まで気にしたことはなかったが、それが魔力だと思うと、あっさりとその感覚をつかむことができた。しかも、動かそうと思えば動かせる。
「魔力はたぶんこれだと思う。これを手に集めて、硬くする。かじられても大丈夫なくらい、硬くなるイメージ、硬くなる、硬くなる、イメージとしては鉄かな。硬くなれ!」
サラは右手だけ硬くしてみた。ネリーが厳かな感じでサラの右手を取り、軽く握ってみている。サラのほうは、手を取られた感覚はあるが、痛くもくすぐったくもない。
「ほう。これはなかなか。むん」
むんってなんだ。サラは疑問に思ったが、明らかにネリーも身体強化をしてサラの手を握っている。というか握りつぶそうとしている。
「いやいやいや、初心者ですから! つぶしちゃだめ!」
「そうか」
そうかじゃないです。
身体強化が十分じゃなくて、手がつぶれたらどうしてくれるのだとサラは思った。もっとも、圧は感じたが痛みはない。不思議な感じだった。
「そんなときのためにこの上級ポーションがある」
ネリーは得意そうにポーションの瓶を差し出した。この世界の
「いやいや、治るからといって痛くないわけじゃないでしょ。だめだめ」
「そうか」
そうかじゃないです。
「私の身体強化でもつぶれないとは、さすが招かれ人だな」
ネリーは満足そうだ。
「ではオオカミにかじらせてみるか」
「え?」
「ではオオカミに」
「聞こえてるから。繰り返さなくていいから」
サラは思った。私はさっき、魔法を覚え始めたばかり。
なぜか身体強化はできた。ネリーに手をつぶされずに済んだ。
次はオオカミ。
おかしいでしょと。
早すぎる。
「しかし実践してみないと」
「わかった。わかりました」
サラは根負けした。
もっともサラには、オオカミにかじられても歯が通らなければいい、などと考える時点で自分が相当肝が太い女の子であるという自覚はない。
「でも反対側の手は押さえていてね」
「わかった」
そういうわけで、サラは左手をネリーにつないでもらい、硬くした右手を恐る恐る結界の外へと突き出した。オオカミがよだれを垂らして待ち構えている。
「ガウッ。ギャッ」
「ひいっ」
大きな衝撃はあったが、むしろそれより歯の砕けた音が怖かった。オオカミはほうほうの
「やったな」
やったといえるのだろうか。魔法修行第一日目、すでに心が削られるサラだった。
そのまま満足そうに狩りに行ったネリーを見送ると、サラは掃除を終えて、夕食のスープを作りながら考えた。
たしかに、オオカミに
スープに少し塩を足す。
噛まれても大丈夫なように、ということは、噛まれること前提である。つまり、移動している間中、噛まれることを覚悟しなければならないということだ。それはいやすぎる。
ということは、身も守りつつ噛まれないように魔法を使わなくてはいけないということだ。
つまり、身体強化ではなく、それを外に広げて、丸い結界を作ればいいのではないか。ネリーにつられて、つい身体強化から始めてしまったが、ネリーも結界とか盾とかがあると言っていたではないか。それができれば、オオカミが直接自分に触れることはない。
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