竜戦士/詐欺被害者/孤独の美食家カラン (1)

 誇り高き竜人族には使命がある。

 それは勇者となる人間に仕え、世界を救うことだ。

 と言っても、今は別に世界が危機にひんしているわけではなかった。人族と魔族との戦争は十年前に終結しており、闇の勢力に世界が支配されることはなく今のところ平和だった。

 が、竜人族は危機に瀕していた。

 戦争にようへいとして参加した結果、多くの者が帰ってこなかった。死んだ者も少なくはないが、人間の国にとどまった者が多かったのだ。

 竜人族の集落は田舎で、のどかな暮らしが何百年と続くような閉鎖的な社会だ。

 傭兵として戦争に参加していった者たちにとって、様々な文化が入り混じり、便利な暮らしが発達した人族の国は魅力的だった。戦争中に人族と恋仲になって家庭を持った者も多い。

 カランは、そんな過疎化した竜人族の族長の三女として生まれた。

 明るい性格は誰にも愛された。腕力は男顔負けで、多少抜けたところもあったが、戦士としては上等だろうと許されていた。

 彼女が外の世界に興味を示したのは必然であっただろう。どんなに腕自慢であっても、それは狭い社会の中だけのもの。世界を見て回って自分の強さを試したり、「勇者に仕える」という竜人族の使命にかれて、集落を出て旅をする決意をしたのだった。

 だが、カランには足りないものがあった。

 過疎化が進んだ集落に住んでいたため、同世代の友達が指で数えられる程度しかいなかったのだ。

 まったく同い年の友達はゼロだ。大人たちもまた働き盛りの世代が少なく、老齢の者ばかり。

 甘やかされて育ったカランは、世間の冷たさや人の醜さをまだ知らなかった。


「手に取って好きに眺めな、お嬢ちゃん」

「ウン」

 カランは、迷宮都市の露天商の男に言われるがまま、銀細工のペンダントを手に取った。

 白鳥のチャームがぶら下がったデザインで、その爽やかなデザインはカランをとりこにした。

 ただ、値段が高かった。

「金貨二枚……つまり二万ディナだ。悪いがまけるのは無理だね」

 露天商の男が二本の指を立てた。

 カランは悩んだ。親が預けてくれた金を出せば買えるが、無駄遣いして良い金でもない。

 迷いに迷った末に、カランはペンダントを露天商に返した。自分が立派に稼げるようになったらまた来よう。未熟なまま恩返しを考えるよりも、一人前になると同時にこれをあの人に渡すのだ。

 そう決意した瞬間に、露天商が叫んだ。

「ああっ!?」

「ど、どうしタ?」

「どうしたもこうしたもねえよ、お嬢ちゃん。あんた竜人族なんだから気をつけてくれなきゃ!」

 露天商が、カランの目の前にペンダントを差し出した。

 そこには、鋭利な爪で引っかいたような傷痕があった。

「これじゃあ売り物になんねえなぁ……はぁ、まったく」

「や、やってなイ! ワタシじゃなイ!」

「……いや、不注意は仕方ねえ。仕方ねえさ。でもしらばっくれるのは良くねえ」

「だ、だって……!」

 竜人族の腕……肘から先の部分はまさに竜のような形状だ。

 硬いうろこと鋭利な爪がある。

 だが、だからこそ竜人族は日常生活において通りすがりの人間を傷つけたりしないよう、普段から注意している。カランもそれがわからない子供ではない。ペンダントを受け取るときも、傷がつかないように指の腹でつまんでいた。爪では一切触れなかったはずだ。

「……見たところ、田舎から出てきたばっかりみたいだけどなアンタ。悪いが迷宮都市じゃこういうことはなあなあで済まないのさ」

「……」

「つっても、俺も鬼じゃねえ。不可抗力でついた傷だ」

「……え?」

「半額の、一万ディナだ。金貨一枚出してくれ。全額弁償とまでは言わねえし、傷ついたペンダントもやるよ」

 露天商の男がカランに優しく微笑ほほえみかける。

 カランはその微笑みに引き込まれそうになった。

 一万ディナも、払うのか。

 一万ディナで、済んでしまう。

 そんな思いが同時に駆け巡った。

 どうしよう。どうすれば。

「なあお嬢ちゃん、これは勉強代だよ。それとも何かい? 太陽騎士団に仲裁してもらうかい?」

 太陽騎士団とは、迷宮都市の治安を守る警察機構だ。

 犯罪者を取り締まってくれる頼れる正義の味方であるが、えんざいは当然あるし袖の下をく納める商人も多い。たとえ太陽騎士団が清廉潔白でないとしても、ここににらまれたら迷宮都市で表を出歩くことは難しい。太陽騎士団の名前を出されて、カランはますますおびえた。

 だがそんなときだった。

 露天商の肩に、別の男の手が置かれた。

「おい、ウチのカランに何か用か?」

「カリオス!」

 カランが喜色満面で、やってきた男の名を呼んだ。

 長い金髪のじょうで長剣を背中に差しており、微笑みを絶やさないその顔は万人が親しみを覚えるだろう。だが笑顔のカリオスに肩に手を置かれた露天商は、居心地の悪そうな顔をしていた。

「悪いなカラン。ちょっとギルドでの換金が長引いちまってな」

「う、ううん」

 カランは首を横に振った。

 親しみやすい口調をしているが、それでもカランが所属する冒険者パーティー【ホワイトヘラン】のリーダーだ。カランとは明確な上下関係がある。

 だが同時に、迷宮都市に来て右も左もわからないカランに声を掛けたのがカリオスだった。

 冒険者パーティーに誘ってくれて面倒を見てくれる、ありがたい人物だ。

 そんな人に自分のトラブルを見られるのが恥ずかしく、カランは顔を赤らめてうつむいた。

「買い物するときは俺に声掛けろって言っただろ、カラン。別に欲しい物があったって怒りゃしねえんだからよ」

「う、ウン」

「それで、だ」

 カリオスは再び、露天商の方に向き直った。

「な、なんだいあんた」

「なんだいって、言っただろう。ウチのカランに何か用かって」

「よ、用っつーか……そこの竜人族の女が、二万ディナのペンダントを傷物にしちまったんだよ。タダで済ませるわけにゃいかねえ。見てくれこの傷。もう売り物になんねえよ」

 カランは、カリオスに怒られると思って首をすくめた。

 別に、今まで一度たりともカリオスから怒声を吐かれたことなどない。

 それでも、カリオスに怒られるのを想像するだけで身が千切れるように恐ろしかった。

 この人に見捨てられたくない。

「カ、カリオス。ごめんな……」

「なあカラン。このペンダント、引っかいてみろ」

「あ、あんた、何言ってるんだ!?」

「もう売り物にならねえんだろう? じゃあ好きにしたって良いじゃねえか」

「そ、そりゃ一万ディナ払ってくれたらの話だぜ」

「良いぜ、払うとも。だけど……わかってるよな?」

 カリオスが懐から金貨を取り出して露天商に渡した。

 だが露天商は金を受け取って喜ぶどころか、ますます顔を青くした。

「よし、カラン。やってみろ。アクセサリーを傷つけるなんて、ちょっと悪いことしてるみてえでドキドキするな」

「え、で、でも……」

「良いから、ほら」

 カランはカリオスに言われるがまま、おっかなびっくり爪を押し付けた。

 ぎぎぎ、と銀細工に傷が刻まれていく。

 傷痕を見ることが怖くて、カランは思わず目をつぶった。

「なあ、カラン。もっと細い傷はつけられるか?」

「え、む、無理だけど?」

「だってよ」

 カリオスはけんのんな笑みを浮かべながら露天商に言った。

「カランの爪じゃこんなれいな傷はつかねえんだよ。傷物を売りさばきたかったんだろ?」

 カリオスの言う通り、最初についていた傷は細くまっすぐな傷だった。

 だが今カランがつけた傷は、不格好な大きな傷で、見るからに傷の形が違っている。

「あ、あんたには関係ねえだろ!」

「はあ? 金払ったのは俺だぜ? なんで関係ねえなんて言うんだよ。それとな」

 カリオスは、スリすらも目を見張るような素早さで露天商の懐に手をつっこみ、まさぐった。

「あっ、て、てめえ! 何を……!?」

「ほらな、やっぱり」

 カリオスの手に握られていたのは、傷一つない白鳥のペンダントだった。

「傷のついたペンダントとすり替えて、お前が傷つけたように見せかけたんだ」

「あっ……!」

「逆に値打ち物を見せびらかして、包み紙で包むときに同じ形に見える安物を渡したりってのもあるな。ま、古くせえ手口だよ」

 カランは、ペンダントを露天商に返すときにあまり注意して見ていなかった。

 買うべきかどうか迷い、物思いにふけっていて隙だらけだった。

「で、どうする? 太陽騎士団に来てもらっても良いんだが……」

 露天商はだらだらと冷や汗をかいていた。誰がどう見ても露天商の有罪だ。

 カランはカリオスの鮮やかなやり方に見とれていた。

 そのため、またカランの方に判断が求められるとは思っていなかった。

「なあ、カラン。このペンダント欲しいのか?」

「え? そ、そうだけド……」

「じゃ、騎士団に突き出さねえ代わりにこれはもらうぜ。さっき払った金貨も返してもらおうか」

「くそッ!」

「つーわけで、プレゼントだ。まあ二万ディナにしてもちょっと高いけどな。実際これ、二千ディナくらいじゃねえのか?」

 露天商はカリオスの嘲笑混じりの視線に顔を背けた。

 その態度が事実を物語っていた。

 だがそれでも、カランはカリオスからうやうやしくペンダントを受け取った。

「カリオス」

「なんだ?」

「その……ありがとう」

 カリオスは笑って、カランの頭をでた。

 カランは、その手のぬくもりが何よりも心地良かった。

「それでな、カラン。そろそろ仕事だ」

「ウン。次はどこニ?」

ちゅうじゃせんどうだ。難しい迷宮だぞ。だが……」

「大丈夫、任せロ!」

 この手の温もりに、応えたい。

 カランは精一杯の気持ちを込めてうなずいた。

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