神官/冤罪《えんざい》ロリコン/色街通いのゼム (4)

「あんた、迷宮都市に行って冒険者になるといいよ」

 次の日の朝。ゼムは起き抜けにそんなことを言われた。

「あんたほどの治癒の腕があるなら、この宿場町でも十分に稼げる。でもここにはいない方がいい、わかるね?」

「それは……ええ」

 結局、ゼムはヴェルキアに押し倒されて女というものを知ってしまった。

 なんだかんだいってゼムは若い男であり、この状況を楽しんでしまった。

 むしろ楽しみを覚えなければ早晩倒れるか首をるかしていただろう。

 もしゼムが神官のままであれば罪悪感にさいなまれていただろうが、今はただの流浪の元神官だとゼム自身理解している。女の胸に甘えてしまった自分を許す程度の気分にはなっていた。

 そして女を知ったばかりの男の口は、穴の開いた酒瓶のようなものだ。自分の身に起きた出来事を全部ヴェルキアに打ち明けてしまっていた。

 単にゼムの身に降りかかった冤罪のことだけではない。冤罪を晴らして名誉ある神官に戻りたいと思いつつも、それがあまりに困難であると気付いていること。悪を許すべき、自分に反省するべき点があると思いつつも、本当は自分を陥れた神官やミリルを殺したいほど憎んでいること。故郷の街の罪なき人たちでさえも深く恨んでいること。この先を生きる希望もないこと……。

 そんな、自分自身でさえも無自覚なままだった暗い心を赤裸々に語ってしまった。

 それを聞いたヴェルキアは、あんと危惧を抱いた。

 安堵とは、ここでヴェルキアがゼムを抱いていなければゼムは絶望してどこかで野垂れ死んでいただろうということだった。

 ゼムは裏切られ、痛めつけられ、それでも「他人を癒す」という信条を捨てることができず、見ず知らずの宿の女に治癒を施した。そんな善人が死んでいくのは忍びないものがあった。

 そして危惧とは、自分ではゼムの心は完全に救えないだろうということだった。

 ヴェルキアは、性に奔放だ。ゼムのようなゆきずりの男と交わることは頻繁ではなくとも、そこまで珍しいことではなかった。転がり込んだ男の面倒を見たことも何度かある。

 だがそんな風にゼムをヴェルキアのヒモにしたところで、良い未来は待ってはいないだろう。ひとときの夜を共にするだけならともかく、長い付き合いになればきっと破綻する。

 ヴェルキアはあまり自分の貞操というものに自信がない。いつか彼を傷つける日が来てしまう。

 そしてゼムの方も、女に面倒を見てもらう自堕落な日々を甘受できる性格とも思えない。

 ぶっちゃけ、ヴェルキアにとってゼムはちょっと重かった。

「仲間を作って、女と恋をして、楽しい遊びをして、まだ見ぬ世界を冒険するんだ。あたしも若いときはいろんな冒険をしたものさ。だから今は迷宮都市に行くのが良いね」

 これは別に、難しい結論ではない。ゼムのような訳ありの人間がやっていけるのは冒険者が一番というだけの話だ。

「ですが……僕はあなたに恩返しをしなければ。あなたがいなければ僕は……」

「おあいこだよ、タダで治療してくれたわけだしね……ああ、そうだ、良い物があった」

 ヴェルキアは、とあるものをゼムに渡した。

「これは……」

 古着のカソックと、中古の聖典とメイスだった。

 だがカソックにほつれや汚れはなく、聖典は紙が黄ばんでいるが装丁はしっかりしている。

 メイスもところどころびてはいるが、磨けば十分に使えそうだ。

「修行を兼ねて冒険者をやる神官も多いけど、途中で諦めたり戒律を破って辞めたりするやつもたまにいるのさ。宿代のツケにこれを置いてった馬鹿がいたんだけど、あたしが持ってたって仕方ないからね……どうせならあんたが使いな」

「こ、ここまでして頂くわけには……!」

 ゼムの言葉をヴェルキアは押し止めた。

 宿の女将らしい強引さでゼムに押し付けて、にっこりと笑った。

「さあ行ってきな。男は前を向くものさ」


 そしてゼムは宿をち、迷宮都市へと辿たどいた。

 ゼムが今まで見た中で、どこよりも栄えていて活気にあふれた町だった。

 商人や冒険者、学者肌の魔術師、見世物小屋で奇抜な化粧をしたピエロ、神官。人族が多いが、エルフやドワーフ、獣人系の種族も珍しくない。人種と職業のるつぼにめまいがしそうになった。

「まずは宿を探しましょうかね……」

 ゼムは今のところ、懐に余裕があった。

 ヴェルキアの宿を出てここに来るまでの道中、自分の回復魔術や薬草の知識をかして稼いでいたからだ。

 ゼムは無料で治癒をするとあらぬ疑いをもたれたり、トラブルの種になったりすると理解した。

 相場より若干安い程度の金額で病人や怪我人の治療をして自分の懐に入れていた。

 それでも、神殿に上納する必要がないために十二分に稼いでいた。いつの時代も怪我や病魔と戦う人間は重宝されるものだ。

「では夜の街も期待できますね……雨宿りも兼ねて遊びにいきますか」

 ゼムは、雨が降りしきる迷宮都市の道端でにやっと微笑ほほえんだ。

 ヴェルキアの宿を出て以降、彼は悪い遊びを覚えてしまった。それは女遊びだ。

 綺麗どころを侍らせる店で酒を飲み、酌をしてもらう。良い子がいれば口説き、そのまま泊まる。

 ゼムが神官だった頃には考えられない生活だった。

 だがゼムには、もうこうなったからには人生を楽しめるだけ楽しもうという開き直りがあった。回復魔術で稼ぐことに、もはや躊躇ためらいは一切ない。守るべき純潔もヴェルキアに与えてしまい、気付けば金で女性に酌をしてもらうことへの罪悪感も消えた。

 ゼムは立派な破門神官となっていた。

 そのゼムに未だに根深く残っていたのは少女への恐怖だった。

 目の前に立たれただけで自分を破滅させたミリルを思い出し、ぶるぶると手が震えてくる。ロリを避けつつ、ゼムは夜の街を楽しみ続けた。

 だが、まだまだ遊び慣れてはいなかった。夜遊びとは火傷やけどをして少しずつ覚えていくものなのだ。迷宮都市に来てしばらくは楽しくまっとうに遊べたし、みの店と言える場所もできた。そしてゼムは、自分が夜遊びで負った火傷に気付いた。

 迷宮都市の酒場キャバクラは、どこもお高い。

「……そろそろ仕事に集中せねばなりませんか」

 この国において神殿に属していない元神官や、神殿以外で回復魔術を学んだ者は病院や治療院を開く権利がない。

 建物を構えず露天商や立ち売りのように野外で治療を請け負うことはできるが、ちゃんとした治療院に比べれば信用が落ちるために金払いの良い客を捕まえることも商売として継続することも難しい。旅の最中ならともかく、都市の中では同業者と競合してしまうのだ。

 そのためヴェルキアの助言通り、ゼムは冒険者を志すことにした。

 そしてゼムは冒険者ギルド『ニュービーズ』にやってきた。

 迷宮都市に来た冒険者志望の人間はだいたいここの世話になる、と酒場キャバクラの女に聞いたのだ。

「……というわけで、冒険者になるためにはパーティーを組む必要があるんです」

「はぁ、そうですか……」

 冒険者の仕事など右も左もわからないゼムは、受付の人に言われるがままにパーティーメンバーを募集する冒険者たちに話しかけた。

 だが『ニュービーズ』の中でゼムを仲間にしようとする者はいなかった。

 昨日の晩は結局、酒場キャバクラで過ごした時間が長く、あとは適当に入った木賃宿で少しばかり仮眠を取ったに過ぎない。

 まだ酒の酔いも、女の化粧の匂いも、ゼムの体にまとわりついており、明らかに神官風の装いなのに「酒場キャバクラ帰りです」といった空気を醸し出すゼムは、傍目にもちゃちゃ怪しかった。

 そして、そんな遠巻きに見つめる胡乱うろんげな視線はゼムに悪夢を思い出させた。それは街から追い出されたときの民衆たちの疑惑の目だ。

「……冒険者など向いてないかもしれませんね」

 いきをつきながら仲間探しをしようとしても、結局悪循環となるだけだった。

 そして『ニュービーズ』の閉店時間が近づき、ゼムもギルドから締め出された。

 くパーティーを作れた人間も、作れなかった人間も、ギルドから締め出された後は隣の酒場に押し込まれる。

 ゼムはその流れに逆らわなかった。

 さすがに空腹だったのだ。昨日の夜から何も食べていない。

 だが、そこでの食事はなんともお粗末なもので、神殿で出されるばんさんよりもひどい。

 食事のもの悲しさを一層引き立てたのが、周囲の空気だ。

 相席する三人の冒険者は、ゼムと同じように陰鬱な顔をしていた。

 ここだけが監獄のように暗く、それに反して他のテーブルは明るくにぎやかだった。

「わたしは神官をやってるの。回復は任せて!」

「頼もしいな! おいらはおの戦士だ! 地元じゃコボルトを百匹は倒してきたぜ」

「今日から俺たちはパーティー、いや、家族だ! よろしくな!」

 家族。その言葉に、ゼムは怒りをたぎらせた。

 神殿で育ったみんなは、家族のはずだった。

 実の親を亡くしたり、あるいは捨てられたりしていても、神の庇護の下で育った子供らは兄弟であり姉妹のはずだった。

 神殿を統べる神官たちは父親であり母親のはずだった。

 ゼムはその家族にこそ裏切られた。

 牧歌的に喜びを表わす冒険者たちの声がうざったくて仕方がなかった。

 なにが家族だ、馬鹿馬鹿しい。そんなものはいつか裏切られる。

「「「「人間なんて信用できるか!」」」」

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