神官/冤罪《えんざい》ロリコン/色街通いのゼム (3)

 ゼムは、一人で街道を歩きながら何度も呟いた。

「……どうして、どうしてこんなことになったのか」

 同門の神官たちやミリルにだまされて以降、ずっとこの言葉を繰り返している。

 問いかけに答えを出してくれる者はいなかった。

 取り調べがあったのは捕まってから二、三日程度のことで、三ヶ月のほとんどはろうに入れられてほぼ放置されたようなものだ。看守もゼムとの会話を禁じられているのか、どんな問いかけにも答えてくれることはなかった。

「なぜ」という言葉だけがゼムの頭の中を堂々巡りしていた。

 三ヶ月にわたる孤独な獄中生活はゼムの精神を摩耗させ、顔つきさえも変えてしまった。

 そして牢から出たゼムの顔つきを見て、誰もが手のひらを返した。

 自分がどれだけ自身の美貌に助けられていたか、ゼムは初めて気付いた。

 だが、この時点ではゼムは精神まで堕落しきってはいなかった。自分の美の利点に無自覚だったことは恥ずべきことだと思ったからだ。いつか冤罪を晴らして戻ろうという希望をゼムはまだ抱いていた。

 そのゼムが神殿への復帰や名誉回復を投げ出してしまうのは、追放されて彷徨さまよっているときに訪れた宿場町での、とある出来事が原因だった。

「神官様いらっしゃい、うちの宿へ! 巡礼の旅か何かかい?」

「……ええ。そんなところです」

 ゼムの追い出された街から徒歩で一週間ほどの距離の宿場町で、ゼムはとある女性と出会った。

 ヴェルキアという名の宿の女将おかみで、三十がらみの未亡人だ。子供もおらず、両親の面倒を見ながら宿を切り盛りしていた。

 客は冒険者ばかりだ。丁度ここは迷宮都市テラネと国境を結ぶ線の上にあり、多くの馬車や竜車が行き来する活気ある町である。ヴェルキアの宿はそうした冒険者向けの宿であり、若い冒険者の面倒を見るのもヴェルキアの仕事だった。

 元々ヴェルキアも冒険者であり、女戦士だった。

 結婚を機に宿を開くことにしたが、体格も体力もあるし、面倒見は良いが不埒な客の尻を蹴り上げるくらいは平気でやってのける女だ。女手一つだろうとなんの問題もない。

 ただ最近は腰の痛みが強く、宿を縮小するべきかどうかを迷っていたところだった。

 今は冬が明けたばかりで宿の客も少ないが、これから夏にかけては大勢の客が詰めかけるため、人を雇うか仕事を減らすか、思案のしどころだった。

 そんなときに訪れた客がゼムだ。

 ゼムはすぐにヴェルキアが腰を痛めていることを見て取って、「よろしければ治療しましょうか?」と提案した。

 ちょっとした傷や怪我はともかく、腰痛のような慢性的な痛みを治すにはそれなりの技量が必要になる。ヴェルキアは、失敗しても毒にはなるまいと思い、半信半疑のままゼムの申し出を受けた。

 そしてゼムが回復魔術をヴェルキアにかけると、すぐに彼女の表情は一変した。

 まるでこれまでが嘘であったかのように、ヴェルキアの体から痛みが消えたのだ。回復魔術を得意とするゼムにとっては「それなりの技量が必要な治癒」など、ごく簡単なものに過ぎない。

「まあ!? こんなに楽になるなんて、何ヶ月ぶりだろうね……!?」

「重い物を持つときは姿勢に注意して、あとは寝るときの体勢などにも気をつければ腰痛は減りますよ。お大事になさってください」

「ああ、お待ちよ。こんな素晴らしい治癒をしてもらえたんだ。お礼を……」

 だが、そこでゼムは首を横に振った。

「いいえ、気になさらないでください」

「はぁ……それで金を稼ごうって気はないのかい?」

「ないわけではないのですがね。あなたのような素敵な人がこうしてお礼を言ってくれただけでうれしいですよ」

 ゼムはすでに、十分に報酬をもらっていた。自分の素性を話していないとはいえ、無視や侮蔑、見下しもせずに話してくれる人間など久しぶりだ。

 ヴェルキアと普通に話せただけで満足だったし、そういう意味での「素敵」だった。

 だがヴェルキアはそれを勘違いした。

「へえ……。でもあんた神官だろう? 良いのかい?」

 ここでゼムも勘違いした。

 治癒を施したときはお布施を受け取るのも神官の仕事だ。

 神官もどんな建前があろうがかすみを食って生きているわけではない。緊急時の奉仕活動ならともかく、平時に無料で治療することは神殿のルール違反だ。

 だが元神官のゼムには、そんなルールに縛られる必要もない。

 ヴェルキアは別の形での報酬を要求されているのだと理解した。ゼムは、彼女の言葉が「ゆきずりの女を口説くなんてやんちゃな神官様だね?」というだったことに、気付けなかった。

「ああ、私は元神官です。その……いろいろあって辞めてしまいましたので」

「なるほどね」

 ヴェルキアは納得した。

 そういえば神官が首から提げているはずのメダルもない。今はどこの宗派にも属していないということだろう。だったら夜を楽しんでもまったく問題ないわけだ。

 ヴェルキアにとって、ゼムのような客は新鮮だった。来る客はどいつもこいつも粗野な冒険者ばかり。

 ヴェルキアは、自分が男勝りで生意気だと見られていることを自覚している。生来の気質であり、直す気もない。そんな自分を口説こうとするのは、己の男らしさに自信のある冒険者ばかりだ。自信過剰と言っても良い。

 そのため、ゼムのように優しく紳士的に治療を施してくれる人間から口説かれたことは初めてだった。浮世離れしたおひとしの聖職者であればヴェルキアの好みではなかっただろうが、聖職者らしからぬ陰りのある顔をしているところにもグッときた。

 その晩、ゼムは純潔を失った。


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