神官/冤罪《えんざい》ロリコン/色街通いのゼム (1)

 ゼムの住む街は、薬の名産地だ。

 魔族との戦争中は最も前線に近い街だったため、多くの人間が治療薬を欲した。

 その治療薬を作るのは天啓神メドラーをまつる神殿の神官たちで、そこに住まう者たちは神に祈りをささげると同時に回復魔術と薬術を学ぶ。ゼムもまた、その神官の一人であった。

「ゼムさま! 薬草を摘んできたわ!」

 神殿の中にあるゼムの治療室に、一人の少女が飛び込んできた。

「おや、ミリル。ありがとう。お駄賃ですよ」

「ありがとう!」

 ゼムがミリルに銅貨を与えて頭をでると、彼女はくすぐったそうに身をよじった。

 ゼムの身長は高い。そしてミリルはまだ成人前で、同い年の子の中でも背が低い。

 年齢は十歳程度しか離れていないが、はたから見ればまるで親子のようだった。

「他にお手伝いすることはないの? 薬を作るなら手伝うわ!」

「大丈夫ですよ、ここは僕に任せてください」

 せがむようにゼムの服をつかむミリルの提案を、ゼムはさらりとかわした。

 ミリルはまだ子供だ。そしてゼムがこれから取りかかる仕事は薬の調合であり、衛生観念や正確な計量の技術が必要だ。ときには毒となる草花も扱わなければならない。こんな危険な作業を子供に手伝わせる気は、ゼムにはなかった。

「ええー、私だってできるよう」

「もう少し計算ができるようになれば教えて差し上げます」

「ちぇっ、いつもそればっかり!」

「大丈夫ですとも。あなたはちゃんとやれば勉強だってできる子ですから」

「そんなに子供扱いしないでよ……ゼム様は勉強が苦手な女ってきらい?」

 ゼムは年下の相手は慣れていた。神殿は養護院を兼ねているため、年長の子は年少の面倒を見るという風土があったからだ。

 ゼムも元々孤児だ。同じ神殿の子らの面倒をたくさん見てきたので、少しばかりれいに育ったくらいの少女に心動かされることはない。

 それにゼムはメドラー神の神官として、生きる覚悟をすでに決めていた。

「僕の好き嫌いなどはさいなことです。あなたはあなたの人生のために努力するべきです」

「いっつもそればっかり! ゼムの話がわからないわけじゃないわ、でも私は女の子だもの。いつか誰かのところに嫁ぐんだから、男の人の仕事にあれこれ口出ししない方が賢いものよ」

「ミリル、それは……」

「私の将来を心配してくれるならさぁ……」

 と言ってミリルはゼムの首に手を回し、唇を突き出す。

 だが、ゼムの手がそれをとどめた。

「ミリル」

 ミリルは、ゼムの硬質な声と表情だけで叱責の気配を感じておびえた。

「……そ、そんな怖い顔しないでよ」

「はぁ……良いですか、ミリル。私は神官です。誰かと付き合うつもりはないのです」

「でも結婚してる人だっているじゃない!」

「それはすでに結婚した人が出家したり、神殿を辞めて結婚していたりするのです。神官のまま結婚はできませんし、神官をやめるつもりもありません」

 ゼムは、淡々と説教するように告げた。

「……じゃあ、好きな人がいても決まりを守り続けるっていうの?」

「というより、誰かを女性として好きになってはいけないのが神官というものなのです」

「うそつき! そんな人いないわ! みんな裏でこっそり誰かと付き合ってるもの!」

 そしてミリルは薬草の入った籠をゼムに投げつけ、足早に去っていった。

「やれやれ……」

 年頃の子は気難しいものだ、とゼムは心の中で嘆息する。

 ゼムは、女にモテる。高い背丈。整った顔立ち。艷やかなブラウンの髪。聞く人に落ち着きをもたらす渋みのある声。若き神官の理想像を体現したような存在だった。

 仕事ぶりも真面目だ。融通が利かない堅物さと、私財を蓄えず賄賂も固辞する潔癖さゆえに同世代から結婚相手として見られることは少ない。だが結婚を度外視して見る人間……世代の違う年上、あるいはミリルのような年下からは大いにちやほやされていた。

 いつからか人からの好意を受けることに慣れきったゼムは、そんな自分に向けられる嫉妬や悪意に気付かずにいた。


 治療室から飛び出していったミリルは、しょぼくれていた。

 ゼムの手伝いとは少女たちにとって面倒な労働ではなく、ゼムに褒めてもらうことができるという特権だった。ミリルはその特権を得るために、考えうる限りの手段を使ってきた。

 同年代の少女に対してときにはおどし、いじめ、あるいはなだめすかして味方につけ、少女たちのグループの中のトップという地位を確立。ようやくゼムのそばにはべるという権利を得た。そしてその権利を十二分に享受しようとした。ゼムが望むならば唇どころか体さえも許してもいいとすら思っていた。

 だがゼムは、大人として、神官としての態度を守り続けた。

 ただアプローチをかわしただけではない。養護院を兼ねる神殿の少女たちの生々しい社会を知ってか知らずか、ゼムはミリルだけでなく、誰であろうと特別に優遇しようとはしなかった。

 ミリルはそれを、ずるいと思う。

 自分を含めたゼムに恋する少女たちは、彼とのひとときを楽しむために泥臭い駆け引きや嫉妬に悩まされている。だというのに、ゼムは我関せずとばかりに清らかな姿勢を貫いている。

 こんなに頑張っても、頑張っても、振り向いてくれないならば。

「ゼムのこと、嫌いになりそうよ」

 ミリルは、同年代の少女たちの中でも特に美しく、大人びた容姿をしていた。十四歳の誕生日を迎える頃には、同じ孤児の少年たち全員からちやほやされた。

 大人であっても少しばかりこびを売るだけで素直に言うことを聞いてくれる。ゼム以外は。

 彼だけが自分のものにならない男であり、しかもこの町で一番といえるほどのじょうなのだ。

 最初はただ興味深いだけの存在だったが、近づいて話すうち純粋に好意を抱いた。

 話す言葉は優しく、態度は公平で、まさに理想的な大人。

 その好意が今、好意でなくなろうとしていた。

 ミリルが欲望を持って接するうちに、欲望が絶望へと変わりつつあった。自分には決してゼムのような人間にはなれないという思いにとらわれ、むしろわかりやすい欲望を持たないゼムに恐ろしささえ覚え始めた。

 だがゼムも男だ。いつかきっと私のように、自分のために悪事に走る日が来る。

 ミリルはそれを楽しみにしながらゼムを誘惑し続け、邪悪な恋心を育み続けた。

 ゼムに会うときは入念に鏡と向き合った。思わせぶりな言葉で翻弄しようとした。それとなく手を握った。転んだと見せかけて抱きついた。だが、それでもゼムは振り向かなかった。

 ゼムが堕落するその日が来なければ、ミリルはやがて自分の正体に気付いてしまうだろう。

 自分が小悪魔などではなく、欲望を持て余しただけのわいしょうな人間であると。

「あーあ、つまんない……」

 ミリルは、人目のない場所を求めて神殿の裏庭を目指した。

 今の自分の顔を誰にも見られたくなかった。神殿の裏庭は、管理する人間がいつも怠けているため誰もおらず、密談をするにはもってこいの場所だった。

「……マジかよ、あのカタブツ野郎が上級神官に昇進だって?」

「神官長もおかしいぜ。なんであいつばっかりひいするんだ」

「せめて、あいつの足を引っ張る話題でもあればな……くそっ」

 そこでミリルは偶然、中級神官たちが話し合っている場面に出くわしてしまった。

 そしてその会話から彼らもまた、ゼムを妬んでいることをミリルは悟った。

 ミリルがもう少し幼ければ彼らを蔑んだだろう。なんてひどい人たちなのだろうと。

 ミリルがもう少し大人であれば、ここから逃げただろう。面倒事には関わるまいと。

 だがミリルは、子供らしい純粋さを失いつつも子供らしい全能感は失われていない、危うい少女だった。

「ねえ、あなたたち」

「だ、誰だ!?」

 うろたえる中級神官たちを見て、ミリルは心の中で舌なめずりをした。

「その話、もっと詳しく聞かせてもらえる?」


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