魔術師/婚約破棄された元貴族令嬢/ギャンブラーのティアーナ (3)

 その後は、悲惨なものだった。

 リーネとアレックスの言葉は脅しでもなんでもなかった。学園長とティアーナの指導に深く関わった教師陣がその日のうちに失脚し、閑職に追いやられたのだ。

 正式な事件として扱われることはなかったが、学校を運営する国の機関からは教員の入れ替えの指示が出された。

 だが、ティアーナは信じている。学園長や師匠がそんな稚拙な不正に手を染めるはずがないと。

 それでも、すでに勝敗は決していた。国からペナルティが与えられたということは、どんなに怪しげなことであったとしても「不正があったもの」として扱うしかないのが貴族社会の一面だ。

 そしてその不運は、ティアーナの身にも降りかかった。

「この家を出て、好きに生きるが良い」

 ティアーナの父の言葉は、一切の反論も許さない岩のごとき気配に満ちていた。

 それでもティアーナは、反論した。

「私は無実です」

「そうだろう。お前は偶然利用されただけだ。リーネとかいう娘も自分の思惑ではなく親の意向を受けてやったことだろう。貴族学校をデルコット家の息のかかった人間で固め、アレックスとの縁を利用して魔術師団への影響力も強めるつもりだ。お前はたまたまその場にいたにえの羊に過ぎん」

「そこまでわかっていながら……私に、平民として生きろと」

 ティアーナは、拳を固く握りしめる。

 だがそこでティアーナの父が返した言葉は、皮肉めいたものだった。

「ではどうする? ぎぬであると訴え出るか? 勝算があるなら応援してやっても良いが」

 その言葉は嘘ではないと、ティアーナは思った。

 本気で政治的に戦える人間であれば誰であろうと評価をしてくれる。問題は、ティアーナがこの場においてただ魔術が達者なだけの女でしかなく、政治的な価値がまるでなかったことだ。

「くっ……!」

「もはやお前をめとろうなどと思う家はない。デルコット家に睨まれかねないからな。何番目かの側室にするという好色な連中はいるだろうが……」

「お断りです」

 貴族の妻と言えば聞こえは良いかもしれない。だが実家からの援助も期待できない側室など、そばのようなものだ。もしかしたら玩具おもちゃのように扱われることだって十分にありえる。

「だろうな。そう思って尋ねなかった。ゆえにお前はもう、この家の者ではない」

「……そうしますわ。さよなら、お父様」

 その言葉を言った瞬間、ティアーナは後悔した。

 本当に家を出てやっていけるのかと。

 だがそれでもティアーナは、やっぱりお嫁に行きますとは言えなかった。その進路を選んだ場合の末路など目に見えているし、もし惨めな姿をアレックスやリーネに見られでもしたら、彼らを殺して自分も死ぬかもしれない。屈辱にまみれるくらいなら見知らぬ土地で野垂れ死ぬ方がましというものだ。

 こうして、ティアーナは家を出ることとなった。

 家族から旅を案じる祈りさえも贈られることはなかった。支度金はそれなりにもらったし魔術師としての装身具や道具類は持ち出す許可ももらえたが、それはただ娘を見捨てたという非難をかわすためだけの方便でしかない。

 貴族などこんなものだ。腹違いの兄弟姉妹の中には自分を妬んでいた者もいる。祝杯を挙げている者もいるかもしれない。

 だが荒野を歩むには、故郷は冷たい方が良いとティアーナは思う。

 郷愁に駆られて悲しい思いをするよりも、あんな場所に二度と帰るものかと思う方が、ティアーナにとって希望に満ちていた。

 それゆえにティアーナは、王都からできる限り遠い街を目指すことにした。

 一人旅など初めてだったが、ティアーナは決して甘やかされて育ったお嬢様ではなく、むしろ親が放任主義であったために、家庭教師や使用人から様々なことを好奇心の赴くままに学んでいた。子供の頃に家を出て繁華街の人混みにまぎれ込んだこともある。

 旅の始めは鬱々としていて、いつかどこかの木に縄を引っかけて首をることになるのでは……などとティアーナは心配していたが、少しずつ気分に変化が訪れた。

 ほとんど乗合馬車に乗っていたとはいえ、自分の知らない道を進み、自分の知らない街に泊まり、自分の知らない人間と語らいながら進む旅路は、ティアーナに刺激と癒やしをもたらした。

 故郷を天災で失い新天地を目指す家族、いっかくせんきんを夢見て旅する商人、上級神官へ出世するため奉仕と救世の旅を続ける神官、巡業中の吟遊詩人アイドルなど、善人もいれば悪人もいた。

 そのうち「家から追い出されたって生きていくことはできる」、「なるようになる」という楽観主義が芽生え始めた。

 旅は、ティアーナの性に合っていた。


 そして、ティアーナが最終的に辿たどいた場所は迷宮都市テラネだった。

「よ、ようやく着いたわね……」

 馬車に揺られ続けて一ヶ月以上っており、痛くなった腰をさすりつつもティアーナはアパートを借りて、ようやく一息つくことができた。ここからだ、とティアーナは決意を新たにした。


「ともかく仕事を探さないと」

 旅の最中に聞いた話によると、落ちぶれた貴族や職からあぶれた魔術師が辿り着くのは迷宮都市と相場が決まっているらしい。なぜならここは国で最も活気のある都市であり、仕事も多い。

 食うや食わずの貧しい人間には冒険者という仕事がある。そして学校を出た知恵者には、商業ギルドや魔道具工房などの職場が求人を出している。魔術に通じ、計算ができて、法律にも詳しい貴族学校の天才児ティアーナにとって仕事などよりどりみどり……の、はずだった。

「あー、悪いねぇ、人手は足りてるんだよ」

「我が魔術研究所は紹介状がない者を雇うことはない。帰りたまえ」

「ウチみたいなところは貴族の娘なんかにゃ務まらねえよ」

 ……就職活動の結果は、全滅だった。

 実は今現在に限って、魔術師の就職希望者があまりに多かったのだ。

 ディネーズ聖王国の隣国である魔導帝国でクーデターが起きたために、優秀な魔術師が迷宮都市にも亡命していた。通常であればディネーズ聖王国では金貨を何十枚と用意しなければ雇えないような優秀な人材であっても、現時点においては安価な給料で雇うことができる。

 迷宮都市における魔術師の求職者にとって、悪夢のような買い手有利の時代が到来していた。

 計算や筆記を求められる事務職なども同様だ。両国とも公用語が同じで、違いがあるにしても方言程度の僅かな差異しかないため、コミュニケーションを取る上ではなんの問題もない。

 ティアーナはあまりにも巡り合わせが悪かった。

「はぁ……なんでこう、運が悪いのかしら」

 家から渡された支度金はまだそれなりにある。しばらくは持つ。

 だが、裸一貫になっても失われることのなかった魔術の腕を頼みに就職活動しても「お前は要らない」という言葉を投げつけられる状況は、さすがにティアーナもこたえた。

 食費を抑えるため最も安いパンを買って公園で食べつつ就職活動をする。希望職種や待遇のランクを下げても下げても一向に就職できない。溜め息しか出ない。

 再び、ティアーナの心が絶望に支配されそうになる、そんなときのことだった。

「ハーイ、美人のお嬢さん、おひまかな?」

「ナンパならお断りよ」

 と言って、ティアーナは突然話しかけてきた若い男につえを傾けた。

「おおっと、あんた物騒だな!? こ、攻撃魔術を人に撃ったら犯罪だぜ!?」

「じゃあ話しかけないことね」

 ティアーナは当然そんなことは知っていた。ただの脅しだ。

 男の身なりや顔の作りの良さから元婚約者を思い出してしまい、軽くイラッとしただけだった。

「いやいや、本当にナンパじゃないんだ。こいつを渡したかっただけなんだよ」

 男が強引に紙を渡してくる。そこには、竜が走る姿と「競竜」という文字が描かれていた。他にも竜の名前が羅列されていたり、細かい日程などが書かれていたりするが、何がなんなのかティアーナにはよくわからなかった。

「何これ……?」

「迷宮都市名物の競竜さ。一番速い竜を決めるレースをするんだ。賭けも盛り上がるよ」

 ティアーナは、男が渡してきたビラをしげしげと眺めた。王都ではカジノや賭場の営業は禁止されていたし、競竜場のような場所に出入りしたことなど一度もない。騎士の試合をダシに勝手に賭場を開いているのを見かけたことはあるが、「馬鹿なことをやっているなぁ」としか思わなかった。

「そうだ。中の食堂のサービス券もあげるよ、お暇ならいつでもおいで」

 ティアーナは一切興味がないため、男に返事さえもせず白けきった視線を返すだけだった。

 すげない態度に男も諦めたのか、すぐにティアーナの前から去っていった。

 だが、ふと思い立ってティアーナは競竜を見にいくことにした。競竜場は魔術師の採用が多いという話を思い出したのだ。

 レースを妨害するような魔道具を持ち込もうとする人間を取り締まったり、探知魔術が使えないように結界を張ったりと、様々な仕事があるらしい。しかも都市に認められた公営ギャンブルともなれば、採用するにあたって身元を調べるだろう。家から追い出されたとはいえ貴族の子女であることには変わりない。亡命してきた異国の魔術師よりは信用されるはずだ。

「……行ってみようかしら」

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