魔術師/婚約破棄された元貴族令嬢/ギャンブラーのティアーナ (1)

 この国……ディネーズ聖王国の貴族学校では様々なことを学ぶ。

 礼儀作法。馬術。剣術。法学。哲学。数学。歴史。詩歌。美術。

 だが王都の貴族学校において最も重要視されている分野は、そのどれでもない。

「《雷光撃》!」

 魔術だ。

 朗々としてしい声が貴族学校の魔術練習場に響く。

 そして呪文が空にまで響き渡った瞬間、突然暗雲が垂れ込めて稲光が落ちた。

 どぉんというごうおんと激しいせんこう

 見物していた教師たちが、感嘆のいきを漏らした。

「おお……素晴らしい。さすがは名門エレナフェルト家のご令嬢」

「水と風、どちらの属性も熟達していなければ行使できぬ雷魔術を、ああも自由自在に操るとは」

 魔術とは数学、哲学、歴史など、あらゆる学問に通じる総合分野だ。

 人間が文明を築いて社会生活を営む上で魔術は常に必要不可欠であり、魔術の発展の歩みをひもけばそれはすなわち人間社会の歴史となる。また、基礎的な魔術を行使するだけならば教えられた通りに魔力を込めて呪文を唱えれば良いが、腕を磨き上級の魔術を覚えるためには自然を観察することが何よりも重要だ。火はどんなときに起こり、どのように燃えさかるのか。水はどのように流れ、どんなときに氷や水蒸気へと変化するのか。魔術は決して、ただその日を刹那的に生きるようへいや冒険者のための武器ではなく、探究心を持つ魔術師のためにあるものである。

 貴族出の魔術師たちは、そういう自負を持っていた。

 そして今、《雷光撃》を唱えたティアーナも、自分の魔術に誇りを持っていた。

「……魔術を学んでいるのは立身出世のためではありませんわ。私はただ、自分のけんさんのために学んでいるのですから」

 ティアーナは、自慢の金髪をなびかせながら言った。

 同い年の学生よりも頭一つほど背が低く、顔も整ってはいつつもどこか幼さが残っているティアーナだが、それでも胸を張って賛辞に応える姿は威風堂々としていた。

「さすがです。水、風の複合属性を手足のように扱いながらも謙虚さを失わない。あなたこそ我が校の誇りですよ」

「ありがとうございます、師匠」

 ティアーナは師である教師に感謝を述べつつも、少しばかり罪悪感を抱いていた。魔術を自分の研鑽のために学んでいるというのは、半分はうそだった。ティアーナにはもう一つ、大事な目的があったのだ。

「あなたは十分に卒業要件を満たしています。今日の試験はここまでとしましょう。お疲れ様でした、ティアーナ」

「はい!」

 ティアーナは師匠へ丁寧に頭を下げ、そしてうきうきした気分が表に出ないよう表情を引き締めて練習場を去った。

 次に向かう場所は決まっていた。貴族学校を出てしばらく歩いた先に繁華街があり、そこにある貴族向けの喫茶店が目的地だった。

 華やかな石畳の道路を歩けば、かぐわしいコーヒーの香りがティアーナの鼻孔をくすぐってくる。

 そこは、ティアーナのおもい人の行きつけの店だった。

 扉を開けるとベルが小気味良い音を鳴らし、うきうきとした気分を祝福してくれるようだ。

「いらっしゃいませ」

「アレックスはいるかしら?」

「あ、ええと……」

 店員が口ごもるが、ティアーナは気にも留めなかった。

「いるのね」

 どうせいつもの場所だろう、とティアーナは見当を付けて店内を歩いた。

 アレックスは、この店の二階席を気に入っていた。ほとんど指定席のようなものだ。

「……アレックス!」

 ティアーナは階段を上ると、窓際で談笑する男に声を掛けた。

 あえて隣にいる女のことを無視しながら。

「やあ、ティアーナ……元気そうじゃないか」

「うん? どうしたのアレックス。妙に楽しそうだけれど」

 アレックスは、ティアーナの婚約者だ。

 男爵家の跡取りであり、ティアーナと同じく貴族学校の学生である。

 女性のように繊細なくりいろの髪に、少女とまがうほどのきめ細やかな肌。そんな美貌の持ち主が婚約者であることを、ティアーナはひそやかに自慢に思っていた。

 そしてそれ以上に、彼が詩作の才能を持っていることを誇りにしていた。魔術の腕こそ平凡だが、その詩の美しさの前では大した問題ではないとティアーナは思っていた。情緒豊かで優しい詩をつづるアレックスを誰よりも優しい人間であると思い、愛していた。

 ただ、最近のアレックスは学校をサボって喫茶店やサロンにたむろしていることが多かった。

 ティアーナは「こうしてコネクションを作るのも大事なんだよ」というアレックスの言葉を信じて、あえて苦言を呈することはなかった。事実、彼の周りには多くの人間が集っていたのだから。

 ……その中に、同世代の女性が多いことについては、思うところがないではなかったが。

 だがティアーナには、自分こそが婚約者であるという自負と、見かけの魅力などではないアレックスの本当の素晴らしさを知っているという優越感があった。

 だから、アレックスがどんな女と話していようが不機嫌になどならない。

「むしろキミの方こそ楽しそうだな。意外だよ」

「意外? なんのこと? それより聞いてよアレックス」

「なんだい、また素晴らしい魔術を唱えて先生たちを驚かせたのかい?」

 アレックスの皮肉混じりの口調に気付くこともなく、ティアーナは喜色満面でうなずいた。

「その通りよ、私が雷魔術を習得して師匠が喜んでくれたの! 一年飛ばしで卒業もできるわ!」

「へえ……」

「だから、あのね、アレックス……」

 照れながらもアレックスの隣に座ったティアーナに対して、先ほどまでアレックスと談笑していた長い黒髪の女が、皮肉げな微笑ほほえみを浮かべながら話しかけた。

「出会い頭に自慢話をなさるなんて。もう少し気品というものを身につけてはいかがかしら?」

 ティアーナはようやく、そこにいる人間を視界に入れた。

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