軽戦士/追放冒険者/詩人偏愛家《ドルオタ》のニック (5)

 そしてニックは、いつの間にか立派な詩人偏愛家ドルオタになっていた。

「いえーい♪ みんなノってるー!?」

「アゲートちゃーん! サイコー!」

 ニックはライブにあししげく通い、アゲートのトレードカラーである紺色のはんてん魔色灯サイリウムといったグッズ類をそろえた。手元に残った金を惜しげもなく使い、我を忘れて吟遊詩人アイドルの声に聞き入り、声援を送っていた。

 過去のニックであれば絶対にそんなことはしなかっただろう。

 だが今、ニックは様々な人生の難局に直面し、理性の仮面はられ、自分の偽らざる本音と向き合って悟りを得た。あるいは悟りという名のやけっぱちの暴走を得た。

 それは、現実のカノジョなどという俗に満ちた存在に愛を捧げようとした自分が愚かだったということだ。もっと崇高なものに捧げるべきだったのだと悟った。

 だからニックは惜しげもなく金をつぎ込んだ。持て余した愛と欲を金と声援に変えて吟遊詩人アイドルに捧げた。

 ニックはいだしたのだ。自分の人生を捧げるに足る存在を。

 だが、そんな自堕落な生活が続くはずもなく、ニックがようやく冷静になった頃には今まで貯めた金をほぼ使いつくしていた。もとよりそこまで遊ぶ余裕などはなかったのだ。残りの金額から計算すれば、数日ほど底辺ランクの宿で食事して寝泊まりして終わり……という有様だ。

「……そろそろ、働くか」

 ニックは生活していくためにようやく動き出した。吟遊詩人アイドルのライブに熱中したことで、生きていくための気力も手にしつつあった。

 あの日以来、もうあの公園には足を運ぶことはなかった。近いうちに、冒険者くずれとしてアンダーグラウンドな人間の仲間入りをするだろうとニックは自分の将来を悲観していた。

 だが、もはやそんな気持ちはすっかりせていた。

 どんなにつらい目にあったとしても、まっとうに生きていこう。そしてまっとうに得た金で吟遊詩人アイドルのライブに行こう。

 それがニックの詩人偏愛家ドルオタとしての矜持だった。

 まともな生活を取り戻すべくニックが足を運んだのは、冒険者ギルドの中でも駆け出し冒険者が集う支部『ニュービーズ』だった。

 この都市では、一人で迷宮探索を行うことが原則として許可されていない。二人でも、上級冒険者同士など相当な実力者でなければ許可が下りない。経験者のみのパーティーならば三人以上、新人が含まれるならば四人以上のパーティーを組む必要がある。

 この『ニュービーズ』は、パーティーを結成できていない新人冒険者をスカウトしたり、あるいはどこかにスカウトされたりする出会いの場としての機能もあった。

 ニックはそこで誰かに声を掛けようと思った。古巣である【武芸百般】は強豪として知られていたし、その経歴を明かせば、きっと受け入れてくれるパーティーはあるはずだ。

 それでも、いざ誰かに声を掛けようとした瞬間、声が出なかった。

 怖かったのだ。

 父のような存在だったアルガスの「お前はもう要らない」という言葉のとげが、心に突き刺さったままだった。

 吟遊詩人アイドルのライブを通してまっとうに生きようという決意はできても、同業の冒険者に裏切られた傷は完全に癒えてはいなかった。

 吟遊詩人アイドルを応援するのはなんの躊躇ためらいもない。観客席と壇上という決して越えられない一線があり、壇上で頑張り続ける少女たちはもはや信仰の対象に近い。惜しげもなく心を捧げられる。

 だが冒険者のパーティーとは、ただ一緒に働くだけの関係ではない。危険な迷宮の中で自分の背中を預ける存在である。隣に立つ人間──つまり冒険者を信じることは、今のニックにはひどく難しいことだった。

 結局ニックは、誰にも声を掛けることができないまま『ニュービーズ』をうろうろし、営業終了によって締め出された。

「はぁ……」

 ニックは溜め息をつきながら、隣の酒場へと入った。

 ここは最低クラスの飯と酒だけを出す、新人冒険者向けの店だ。近くのテーブルではパーティーを結成したばかりの若い冒険者たちがはしゃいでいる。

 ニックがカウンターに座ろうとするが、そこも埋まっていた。

「あんた一人? その空いてるテーブルに座りな」

 店員から面倒くさそうに案内されたテーブル席に座り、一人分の飯を頼む。野菜くずが入った大麦のかゆと、水で薄めたエールだ。粥には塩さえも大して入っておらず、くもなんともない。

 だが駆け出し冒険者たちはそれを、さも最高のごちそうであるかのように食べていた。

「パーティー結成に、かんぱーい!」

「よろしくな! 前衛は俺に任せてくれ!」

「頼んだよー! わたしはこう見えても、修行の旅に出るのを認められた神官なの。回復魔術は得意なんだから!」

 無邪気にはしゃぐ冒険者の姿は、今のニックにはあまりにもまぶしすぎた。

 何も考えずにひたすら飯と酒が来るのを待つ。すると、店員がニックの方に近づいてきた。

 ようやく飯が来たか……とニックはあんしたが、店員は手ぶらだった。

「お客さん、悪いが相席してもらうよ。カウンターが埋まっててな」

 ニックが座るテーブル席は、あぶれた一人客を押し込めるための場所になったようだ。他にも一人客が流れ作業のように押し込まれてきて、四人がけのテーブル席はあっという間に埋まった。

(こんな店で一人だなんて、みんな訳ありだろうな……まあオレもだが)

 ニックは、同じテーブル席へ新たに案内された三人の様子をこっそり横目でうかがった。

 どいつもこいつも変な奴だとニックは思った。

 一人目は、金髪の上品そうな魔術師の女だ。

 紫色のしょうしゃなローブと帽子、涼やかな青い宝玉の付いたつえなど、どの装備もただ見栄えが素晴らしいだけではない。質の高さが窺える物ばかりで、半端な腕前ではこのような装いはできないだろう。

 袖口から見える手首は細くきゃしゃだが、きっと腕利きの魔術師だとニックは感じた。

 だがその一方で、麗しさや実力者の気配といった魅力を台無しにしているものがあった。

 とんでもなく目つきが悪いのだ。

 その表情が笑顔であったならば絶世の美女なのだろうと思われる。だが今の彼女には、突然ナイフで誰かを刺し殺しそうな凄みがあった。

 周囲の客もその危うい空気を察してか、誰も声を掛けようとしなかった。

 二人目は、神官らしい長身の美男子だ。

 が、この男もどこかおかしかった。男は回復魔術を唱えるための聖典を持ち、カソックという長袖の黒服を着ている。ここまでは一般的な神官の装いと変わらない。

 だが、肝心のペンダントを首に提げていなかった。神官は本来、知恵を象徴する本や食べ物を象徴する稲穂など、それぞれの宗派が重んじるものを意匠としたメダルをペンダントにして身に着けており、一目で所属を明らかにする大事な身分証だ。

 これがないということは、恐らくは破門神官だ。神官を辞めさせられてペンダントを没収されたのだろうとニックは推測した。

 それを裏付けるように、男の体からは化粧と酒の臭いが、そして男の目からはよどんだ絶望の気配が漂っている。恐らくは女から接待を受ける類いの酒場かしょうかんからの帰り。少なくともニックの知る限り、娼館通いを許す神殿などない。

 周囲の客もおかしさに気付いたのか、人気職の神官だというのに誰も声を掛けようとしない。

 三人目は、赤い髪の竜人族の女だ。

 二本の角に長い尻尾、そして腕を覆うウロコはまさに竜人族の特徴だ。

 傷だらけの革ジャケットの下には、使い込まれたかわよろいがちらりと見える。前衛の戦士なのだろう。彼女の外見は、野性的な美しさと女性的な美しさが両立していた。

 胸は大きく、腕も脚もしなやかな佇まいだ。見る者をきつける美しさがある。強く美しい竜人族も冒険者の中では引く手数多あまたのはずだが誰も声を掛けない。一人目の女のような情念のこもった怒りでもなく、二人目の男のような堕落に満ちた絶望でもない。

 そこにあったのは、手負いの獣の臭いだ。食うか食われるかという切実さが漂い、ただそこに彼女がいるだけで魔物だらけの迷宮や敵兵だらけの戦場にいるかのような錯覚を抱かせる。

 周囲の客は声を掛けない以前に、そこに誰もいないかのように振る舞った。彼女の金色の瞳の中に入ることを、全員が恐れている。

 ニックは自嘲気味に口元に笑みを浮かべた。

 自分もこいつらに負けず劣らずひどい顔をしているのだろう、と。

 そして誰もしゃべらないテーブルに、ようやく店員が酒と料理を持ってきた。

 店員の「どうぞごゆっくり」という嘘くさい声に、誰も返事をしない。

 まったく馬鹿馬鹿しい、何が冒険者だ。周囲で騒ぐ新人冒険者たちも、このテーブル席についた陰気な連中も、何もかもクソ食らえだ。どうせ仲間などいずれ裏切る。隣り合う人と信じ合えるなど絵空事だ。アルガスの言う通り、オレはきっと冒険者なんて向いていないのだと、ニックは自分で自分を心の中で嘲笑した。

 そしてニックはぬるいエールを一息に飲み干し、今まで吐き出すことができなかった気持ちが、思わず言葉になって口から出てしまった。

「「「「人間なんて信用できるか!」」」」

 ……ん?

 なんか今、ハモったぞ?

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