軽戦士/追放冒険者/詩人偏愛家《ドルオタ》のニック (3)

 ニックには目標があった。

 それはアルガスたちを自分の力でA級冒険者パーティーへと押し上げることだった。

 現在【武芸百般】はC級に位置する冒険者パーティーだ。単純な戦闘力で言えば、どのメンバーも一騎当千の強者だ。しかし魔術を使えるメンバーだけがいない。

 魔術なしで攻略できる迷宮は難易度が高くなるほど少なくなるために、どうしても活動できる範囲が狭い。本来ならば魔術師が一人もいない冒険者パーティーなどE級やD級に到達できるかさえ怪しい。

 だが、【武芸百般】は卓越した技巧と武力でC級まで上り詰めた。もう少しで上級と呼ばれる、B級以上の冒険者パーティーになれるはずだった。

 それこそが自分を拾って育ててくれたアルガスへの恩返しになるはずだった。

 ニックは元々、旅商人の息子で、物心ついた頃にはすでに、親と共に町から町へ旅する日々を送っていた。決して楽ではなかったが、孤独ではなかった。

 父は線の細いやさおとこだが、いざというときは家族を守るために剣を取る男であり、母は普段こそ父の尻を叩くような豪快さがあるが、ここぞというときはこまやかな気遣いでしっかりと父を支える女だった。そして二人とも、息子のニックに対してはとても優しかった。

 アルガスは、そんな両親の数少ない親友だった。迷宮都市に来て初めて会ったときに頭をでてもらった覚えがある。

 よくアルガスと両親は酒を飲み交わしていたものだが、その酒があだになった。

 旅商人とは大事な商品を持って、治安が良いとはいえない街道を通らなければならない。護衛を雇う金が潤沢にあれば良いが、そうでなければ本人の腕っ節が必要だ。

 ニックの父も決して弱くはなかったが、それでもアルガスと会っていたときは「今は都市の中にいる」という油断があったのだろう。父が珍しく深酒をして酔っ払い、母に支えられながら宿への帰途についていた。

 そんなとき、金目のものを持っていることを悟られ家族共々盗賊に襲われた。

 父と母が命を賭してニックを守ってくれなければ、死んでいただろう。

 そして、異変に気付いたアルガスが助けにこなければ、きっと死んでいただろう。

 アルガスは両親のかたきである強盗を討ち、自分を引き取って育ててくれた。一端の冒険者になるまで育ててくれた。言うなればアルガスはニックにとってのヒーローだ。

 こんな人間こそ、報われて欲しい。自分がアルガスを尊敬するように、誰もがアルガスを尊敬するようになって欲しい。

 ニックが自分を鍛えていたのは、アルガスのためだ。自分がただ救われて守られるだけの命ではなく、もう誰かのために何かをできる人間なのだと証明したかった。

 ニックはそうした目標や、自分の人生観をクロディーヌにすべて話していた。それを聞いたクロディーヌは恐らく、そんなニックの罪悪感と表裏一体の願望を見抜いたのだろう。付け込めるという確信を抱いたに違いない。

『私、あしまといにならないようになりたいの』

『せめて良い装備が手に入ったらなぁ』

『ニック、本当にありがとう!』

 これまでクロディーヌから掛けられた言葉は、どれもニックの心の繊細な箇所を上手にくすぐった。誰かに何かをささげるという快楽を、確かにニックは味わっていた。

 だが今は尊敬する人間には否定され、恋人には利用された。ニックは完全に希望を見失い、ぶらぶらと迷宮都市の中を彷徨さまよっていた。ぼうようとしたまま一週間を過ごした頃には、飢えた野良犬のようにすさみきったたたずまいで、【武芸百般】から追い出された直後よりもはるかに情けない有様だ。

 そんなときのことだった。


 その日は、大雨が降っていた。

 ニックは公園のベンチで、傘も差さずにずっと座り続けていた。

「あのう……ずぶ濡れですよ?」

 通りかかった少女が見るに見かねてか、ニックに声を掛けてきた。

 深い紺色の髪をした、れいな少女だった。

「ああ……」

「ああ、じゃなくて」

「放っておいてくれ」

 だがニックは、女性の見た目に心動かされるような心境ではなかった。むしろ美人を見るとクロディーヌを思い出して胸くそが悪くなってくる。

 ニックは、犬や猫を追い払うかのようにしっしっと手で払った。

「……あの」

「なんだよ!」

 声を掛けた少女は、ニックのいらった声にひっと小さな悲鳴を上げた。

「……悪い、怖がらせるつもりじゃないんだ」

「何か、つらいことでもあったんですか?」

「つらいことのない奴っているのか?」

「さあ……? ただ、いたとしても」

「いたとしても?」

「あんまりお友達にはなりたくないですね」


「同感だな」

 ニックは皮肉っぽい笑みを浮かべた。

 少女の方は、皮肉など一切感じさせない笑みを浮かべていた。

「それで、ここで何してるんです?」

「……なあ、公園の人間って二種類いると思うんだよ」

 はあ、と少女が曖昧にうなずく。

「いろんな選択肢がある上で公園に行く奴か、選択肢がなくて公園に行くしかない奴だ」

「なるほど」

「選択肢がある奴は良いよ。母親が赤ん坊を連れて散歩するのにたまたま公園が近くにあったとか、デートで立ち寄ったとか、馬車駅まで近道をするとか。けど、選択肢がない奴は厄介だ」

「たとえば?」

「迷い込んだ馬鹿を狙う強盗とか、禁制品を取引する連中とか……あとはポン引きなんかも多いな。このへんには冒険者ギルドがあるだろ? 冒険者すらマトモにできねえ冒険者くずれはどこにも行く場所がなくて公園に集まるから、夜中は治安が悪いんだよ」

 だからさっさと帰りな、そういう意図を込めてニックは吐き捨てるように言った。

 同時に、「オレもこのままだと冒険者くずれの仲間入りだな」という自嘲があった。

「あ、あの……」

「なんだ?」

「こんなこと聞いて怒らないで欲しいんですが……」

 少女が、どこかおどおどした様子で話を切り出した。きっとニックのことを怪しい商売に精を出す冒険者くずれだと思ったのだろう。ニックの頭では肯定や否定よりも、余計なお世話だという苛立ちがまさった。

「だからなんだよ。お説教でもするつもりなら……」

「ぽんびきってなんでぽんびきって言うんでしょうね?」

 少女のすっとぼけた問いかけに、ニックは呆れた顔をした。

「知らねえよそんなこと。ともかく関わり合いにならない方が良いってのはわかるだろ」

「いえ、ぽんびきが何を意味するかもよくわかんないですし」

「わかんねえなら先にそう言えよ!」

 ニックは脱力してへたり込みそうになるのをこらえつつ叫んだ。

 だが、少女はまるで気にした様子もなく素直に問い返した。

「すみません、ではどういう意味なんでしょう?」

 そこでニックは言葉に詰まった。田舎者を見つけて売春をあっせんしたり高額商品を売りつける詐欺師まがいの連中だ……と言うべきところを、ニックは気恥ずかしくなってした。

「と……ともかく、ろくでもない連中のことだよ」

「はぁ……なるほど」

「わかったか」

「じゃあ、あなたもそうなんですか?」

 ニックは少女の問いに、再び言葉に詰まった。

 そんなわけがないだろうと言えば良いだけのはずだ。だが明日や明後日のことはわからない。

 ニックには今まで培ったスキルがある。女に騙されたばかりの自分だが、逆に自分のように純朴な冒険者を騙す側に回ることも決して難しくはないだろう。

 迷宮の宝物の目利き。文字の読み書きと計算。帳簿の付け方。商人との交渉。文字もろくに書けず簡単な算数さえもできない田舎から出てきたような冒険者を騙すのは、ニックにとってとても簡単なことだ。

「ああそうだ……だから、関わらない方がいい。風邪引くからさっさと帰れよ」

 ニックはばつの悪い顔をして立ち上がった。

「あの、待って!」

「だからなんだよ」

「これ、あげます」

 と言って紙切れを渡してきた。

「……ライブチケット?」

 ニックが、紙切れに書かれた文字をそのまま読み上げる。

 ジュエリープロ迷宮都市感謝祭ライブチケット、とそこには書かれていた。

「本当は身内に配る用なんですけど、余ったんで」

「悪い、意味がわかんねえ」

「わ、私……吟遊詩人アイドルやってるんです」

吟遊詩人アイドル? なんだそれ?」

 少女の口から予想もしなかった言葉が出て、ニックは素直に尋ねた。

「えっ、し、知らないんですか!?」

「全然」

 ニックの茫洋とした声に、か少女は苛立った様子だった。

「なんでも知ってます、みたいな顔して吟遊詩人アイドルも知らないじゃないですか!」

「そりゃ知らねえもんは知らねえよ。だからこれも要らねえ」

 少女は、チケットを返そうとするニックからすうっと離れる。

「駄目です、受け取ってください」

 ニックは、そんな少女の行動を見て溜め息をついた。

「あんた、オレの言ってることわからなかったのか? 厄介な人間に関わるもんじゃねえって言ってるんだよ!」

「厄介者は自分が厄介だなんて言いません! それはおひとしと言うんです! 良いから大人しく受け取る!」

 ニックは少女の勢いに押され、言われるがままに手を引っ込めてチケットをった。

 だが、これといった感慨も湧かなかった。紙切れを受け取ったとしか認識していない。

 そのニックの様子に、少女はますます苛立ちを募らせていた。もはや声には怒気が宿っている。

「あのですね!」

「な、なんだよ」

「私、吟遊詩人アイドルなんです!」

「それは聞いたけど」

「こう見えても、けっこう人気あるんです!」

「あ、そう」

吟遊詩人アイドルは人を元気にしたり、勇気付けるのが仕事なんです! 私の前で今にも死にそうな野良犬みたいな顔されたら困るんです!」

「……悪いけど、意味わかんねえ」

「わからなくて良いです。でも」

「でも?」

「ライブ、来てくださいね。明日、サウスゲートの公会堂でやりますから!」

「な、なんでだ?」

「良いから来てください! それじゃ、失礼します!」

 ニックは少女のあまりにも強引な姿にあっにとられて、ぷりぷりと怒りながら去っていく少女の背中を見送ることしかできなかった。

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