魔物討伐の騎士 (1)
翌朝、ダリヤは、王都の外の森へ採取に出かけた。
採取といっても、街道近くで石や砂などを採ろうかぐらいの軽い予定だ。中身にはそれほど期待していない。
塔にいて、またトビアスに来られるかもしれないと思うと落ち着かないし、知り合いに婚約破棄について聞かれるのもうっとうしい。
森へ行けば人と会うこともそうないので、とりあえず今日一日は気分転換にあてるつもりだ。
移動は馬車だが、一人なのでちょっと奮発し、訓練された
また、御者台の後ろ扉から箱馬車の中に隠れ、そこにあるホイッスルを吹けば、御者の指示がなくても勝手に王都まで戻ってくれるという。なんとも頼りがいのある護衛である。
予約に行ったところ、ちょうどキャンセルが出たというので、迷わず借りた。
青空の下、鳥の声が重なり、風が木々をゆっくりと揺らして流れていく。
森への道に多少がたつきがあるものの、道幅も状態もそれなりにいい。
なにより、いい馬車はやはり乗り心地がよかった。
最初は
むしろ、
王都近くから目的の森までは、ほとんど魔物が出ないといわれている。
だが、父に教えられた通り、万が一に備え、魔物用の投石魔石も上着に入れているし、護身用の装備もしてきた。人間の賊が出ても対応できる形だ。
ダリヤは誰もいないのを確認すると、袋から白ワインの瓶を出し、直接口をつけた。
数口飲むと、大きく息を吐く。とても行儀の悪い飲み方だが、一度やってみたかったことだ。
ここ数日のストレスは意外に重かったらしい。
ようやく深く呼吸ができるようになった気がした。
この道を進めば、少し開けた河原がある。そこで石の採取をしたら、川を眺めつつ、少し早い昼食にしよう──そう考えていたら、横の森から、鳥の一群が甲高く鳴いて飛び立った。
進行方向の右側の深い
もっと大きな動物、もしかしたら魔物かもしれない。
ダリヤは、魔物用の投石魔石をきつく握りしめた。
「……やっと、道……」
かすれた声と共に茂みから出てきたのは、人間だった。ただし、頭からつま先まで血だらけの。
「ちょっ、大丈夫!?」
「……み、水……もらえ…な…?」
両手と両膝を地面についた男はそう言った。声がかすれ、言葉になっていない。
ダリヤは慌てて馬車から水の革袋を持っていった。
「飲んで!」
頭を軽く下げて受け取った男は、息をつくのも惜しいとばかりに、革袋の水を一気に飲みきる。
「……生き返った……ありがとう……」
男はその場に倒れ込んだ。
「大丈夫!?」
「平気……ほとんど、魔物の血……仲間とはぐれて……山から、二日、走って……」
男がなんとか指をさした方向、その先の山の頂きは雪に覆われている。あの山からでは、よく生きていたとしか言いようがない。
仲間とはぐれてということは、冒険者なのかもしれない。
「ちょっと待ってて」
ダリヤは馬車に一度入り、荷物の中からポーションを出し、木のコップに移し替えた。
「どうぞ」
「ありがとう……」
コップを受け取り、一口飲んだ男が目を丸くした。
「これ、ポーションじゃないか……!」
「ええ、もう開けましたので、最後まできっちり飲んでください」
開封したポーションは保存ができない。
ポーションだとわかると遠慮する可能性があるので、コップに入れてみたが、正解だったらしい。
ポーション一本の価格は大銀貨五枚。ダリヤの感覚で、五万円のお薬である。
ちょっと高いと思えるかもしれないが、
「すまない……王都に戻ったら支払います」
男は頭を下げて残りを飲み終えると、何度か深呼吸をした。
上腕の傷が、時間が巻き戻るように治っていくのが、なんとも不思議だった。
「ありがとうございます。楽になりました」
元気そうな声にはなったが、男の顔は血だらけのままだ。顔色がよくなったなどの変化が、まるで確認できない。
「名乗るのが遅れました。俺は騎士団の魔物討伐部隊にいるヴォルフレードと言います。下位貴族の末っ子なので、気を使わず、ヴォルフと呼んでください」
男はこの国に所属する魔物討伐部隊の騎士だった。
この世界は、あちこちに魔物がいる。
通常は冒険者が倒し、冒険者ギルド経由で市場に肉や皮、骨などの資源として回る。
だが、人間の活動範囲とかぶってしまい危険と判断されるときや、魔物の数があまりに多いとき、強い個体や大型の魔物が見つかったときなどは、国の魔物討伐部隊が出向く。
この世界では、多数の魔物、あるいは大型の魔物の脅威は、災害のようなものだ。
そんな魔物達と戦うだけあって、魔物討伐部隊はかなり強い者ばかりがそろっていると聞いていた。
「市民のダリ、です。いろいろやってます」
ダリヤは名前をわざと男のように切って言った。
今日の自分は、父の上着をゆるく着ている。その上に、髪をすべて隠した黒い帽子、黒ブチの眼鏡、声を低く変えるチョーカーをし、喉はガーゼのマフラーで覆ってある。
森で女一人だと絡まれる可能性があるので、万が一の対策だ。
貴族の場合、男性は独身女性と二人で馬車に乗るのを避けることも多い。女だという説明はしないことにした。
少なくとも、目の前のこの騎士は、馬車で早めに王都に連れていくべきだろう。
「ダリさん、たいへん申し訳ないのですが、王都に行くなら、乗せていってもらえないでしょうか? もちろん城に戻り次第、きちんとお支払いしますので」
「もちろんです。どうぞお乗りください」
「ありがとうございます。助かります」
ヴォルフは何度かまばたきをした後、明るい茶系らしい目をこすった。よく見れば白目部分がかなり充血している。
「あの、目、痛みますか?」
「魔物の血が入ってから、ちょっとおかしくて……」
先ほどのポーションで治っていないということは、怪我ではなく、魔物の毒か眼病の可能性がある。もしくは、今も顔についている血が、再び目に流れていってしまっているのだろう。
「早めに洗い流した方がいいですね。魔物によっては失明することもあったかと思いますので」
「神殿で金貨十二枚ですね……ちょっとそれは避けたいです」
この世界、医者もいるが、重い怪我は神殿で神官に治療してもらう方が一般的だ。
治療は有料であり、怪我が重いほど高額になっていくが、ほとんどの怪我が治せるというのはありがたいことである。
「近くに川がありますから、洗いに行きますか?」
「お願いします」
ヴォルフが立ち上がったとき、かなり背が高いことにようやく気がついた。やや細身にも見えるが、それは一九○センチ近い身長のせいかもしれない。
「御者台ですみませんが、隣にどうぞ」
ダリヤは御者台の半分をあけた。
「いえ、汚れますから、川まで歩きますよ」
「下に敷いているのは防水布ですので、大丈夫です」
「そうですか。じゃあ、お言葉に甘えます」
ヴォルフは並んだとき服が触れないように、かなり端に寄って座っている。それでもすぐに濃い血の
やはり早めに全身を洗い流した方がいいだろう。水の魔石を持ってきていればよかったのだが、今日は防腐付与付きの革袋に入れた飲み水しか持ってこなかった。
「この防水布って、便利ですよね」
「そう思います?」
ヴォルフにとっては世間話のような何気ない一言だろうが、ダリヤはひどくうれしくなった。
防水布は学院の頃に開発した、ダリヤ発案の魔導具である。
こちらの世界では、ビニール素材がない。父のレインコートを作るために、防水効果のある布が欲しくて、いろいろと試行錯誤したのが防水布のはじまりだ。
結果、ブルースライムを一度粉末にし、布の片面に薬品と混ぜて塗布、その後に定着魔法をかけてできたのが、ダリヤ作の防水布である。
おかげで一時期、屋上と庭いっぱいに、各種スライムが干されていたり、床いっぱいに置いた瓶に粉が入っていたりした。
ちなみに、防水布の急激な普及時には、冒険者によるブルースライムの乱獲騒ぎもあったそうだ。
ブルースライムに意思があれば、自分は間違いなく恨まれているだろう。
「騎士団に入ったばかりの頃は、野営のテントとか雨用のマントに
「そうだったんですか。便利なのはいいですね」
「レインコートもいいですよ。あ、レインコートというのは、防水布でできた、腕の通るマントみたいなものです。それを使うようになって、部隊では、
「汗疹、ですか」
防水布を作ったダリヤだが、それは考えたことがなかった。
「ええ。かゆくても、鎧の下だとかくにかけないですし、野営地ではなかなか水浴びもできないので。移動中はもちろん、戦いの最中に、集中力を持っていかれることがあるので馬鹿にできないんです」
思っていたより切実な理由だった。
実際に使っている声を聞くと、改善するべきところが見えてくる。防水機能を保持しつつ、より通気性のいい布の開発をしたい、できればさらに軽量化も実現したいものだ。
「防水布でもっと風通しがよくて、軽いものができると便利そうですね」
「あればいいですね。ただ、耐久性はやっぱりいるので、難しいんでしょうけど」
耐久性も保持しなくてはいけないのか。これは新しい素材も含めて、いろいろと試す必要があるかもしれない──つい考え込んでいると、ヴォルフが声をかけてきた。
「すみません、つい内輪の話ばかりを。ダリさんは、このあたりで採取を?」
「ええ、いろいろと見て回っていました」
「本当にすみません、仕事の邪魔をしてしまって」
「そんなことはないです。今日は下見のつもりでしたので」
お互いにフォローしあっていると、川原が見えてきた。
元々、移動時の休憩所として作られたエリアなので、それなりに平らで広い。
平らな場所に馬車を止め、二人とも降りた。
ヴォルフは川の浅瀬に向かい、すぐ目と顔を洗いだす。が、乾いた血もあり、なかなかとれないようだ。何度も水をかけて顔と頭を洗い続け、やっと顔をあげようとする。
ダリヤはその手に、持っていたタオルを手渡した。
「よろしければどうぞ」
「すみません」
彼はタオルで顔をぬぐうと、ようやくダリヤに向き直る。
その顔を見て、言葉が消えた。
先ほどまで血とほこりに汚れていた短髪は、
くすみひとつない白い肌、整いすぎた顔の輪郭、高くすうと通った
長い
ダリヤの前世今世を通し、一、二位を争う美青年だ。
付き合いたいとは思わないが、肖像画を飾っておくならば悪くないかもしれない。
「動物が血の臭いで寄ってくるかもしれないので、水を浴びて、ついでに服も洗ってきます」
そう言って、ヴォルフは鎧をとりながら、川の中央へ向かっていく。
ざばざばという水音に、ダリヤはすぐ背を向けた。
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