婚約破棄の後始末 (4)
・・・・・・・
商業ギルドの一階に下りると、すでにマルチェラが待機していた。
運送ギルドから来てくれた男性二人も一緒だった。
三人とも、運送ギルド員であることを示す、鮮やかな緑の腕章をしている。「風のように早く軽く運ぶ」ので、この色なのだそうだ。
「ダリヤちゃん、手続きは終わったかい?」
「ええ。全部終わったから、すぐ行けるわ」
「じゃ、すぐ運ぶとするか」
早速、新居となるはずだった家に、大きな馬車で移動する。
ただし、馬車といっても、ひいているのは灰色の
馬よりはるかに力があるため、運送ギルドでの利用率は高いらしい。普通の馬の一・五倍ほど大きいが、思いのほか、温厚そうな顔と黒い瞳がかわいく見えた。
馬車で移動すると、新居には数分で着いた。
トビアスは新居の立地条件として、商業ギルドと自分の実家であるオルランド商会に近いことを重視していた。商品の輸送や打ち合わせを考えてのことだったが、自分にはもう意味がない。
幸い家には誰もいなかった。ダリヤは少しだけほっとして、荷物と家具を確認する。
「廊下にある箱と、作業場にある箱と、前回運んでもらったものを、まだ荷ほどきしていないので、そのままお願いします」
先週までは、ダリヤの家の作業場に、トビアスが来て作業をしていた。
こちらの新居に来るにあたり、トビアスは機材をだいぶ新しくしたが、ダリヤは使い慣れている物がいいので、古い物を持ち込んでいた。
「家具はクローゼットとドレッサーだったよな?」
「ええ、中にはまだ何も入れてないわ」
クローゼットとドレッサーは、母の形見である。もっとも、自分は母の顔すら知らないので、父が大事にしていた家具という意識の方が強いのだが。
どちらもダリヤの部屋になるはずだった場所に置いていた。
「わかった。梱包してある方はそのまま運ぼう。クローゼットとドレッサーは布を二重にかけてくれ」
マルチェラの指示で、運送ギルドの男が布の準備を始めた。
「他に運びたいものはあるかい?」
「寝室のベッドは私が買ったものだけれど、塔にベッドはあるし……どうしようかしら」
「分解して運ぶか、売っぱらうかだろうな。トビアスに買い取らせてもいい」
話しながら、寝室に向かった。
トビアスの希望で大きめサイズのダブルベッドを買ったのだが、割といいお値段だったのを思い出す。
ベッドのサイドテーブルのライトは、仕事柄の興味半分で、新型の魔導具で明度調整の機能が付いたものを注文した。どんな作りの魔導具かだけは確認しておこうと思い、ダリヤは寝室に入る。
「っ……!」
一歩踏み込んだ途端、サイドテーブルを確認する間もなく、戻ってドアを閉めた。
アイボリー系でまとめた寝具はすべてぐちゃぐちゃに乱れ、床には枕が落ちていた。
「ダリヤちゃん、どうした?」
「ええと、ちょっと……」
後ろにいるマルチェラに、濁した返事をする。
「誰かいたのか?」
「いえ、その……今はもういないけど……」
「……悪いが、中を見せてもらってもいいか? 泥棒が入ったり、隠れていたりする可能性もあるから」
「あ、そうね」
ダリヤはドアから飛びのいた。泥棒についてはまるで考えていなかったが、新居は狙われやすいとも聞く。警戒も確認も大事だろう。
「あの、私は入らなくてもいい?」
「ああ、俺が確認してくる。寝室の横に洗面台とトイレがあるタイプの部屋だよな?」
「ええ……」
運送ギルドで、いろいろな家屋敷の間取りを知るマルチェラだ。説明しなくても大体の予想がつくらしい。
彼は最初に耳をそばだてた後、金属棒を手に、警戒しつつ部屋に入っていった。
「……トビアス……あの大馬鹿野郎……いっぺん死んでこい……!」
ドスの利きまくった声がドアの間から低く漏れたが、ダリヤは一切聞かなかったことにする。
「……馬鹿が一、二匹、部屋を荒らして出てったんだな」
トビアスは、マルチェラの友人枠はもちろん、人間としてのカウントからも外されたらしい。
「ええ……鉢合わせしなくてよかったわ」
「すみません! マルチェラさんだけ、ちょっといいですか?」
「ああ、すぐ行く」
出てきたマルチェラを、別の部屋で作業をしていた男が呼びに来た。
運送ギルド内の話だと思えたので、ダリヤは廊下に積まれた箱をぼんやりと見ていた。
思ったよりも荷物は少ない。新居が片付いてから運ぼうと思い、季節違いの服や本は元の家に残してきたが、正解だったようだ。
「あー、ダリヤちゃん、ちょっといいか?」
廊下に顔を出したマルチェラだが、その表情がひどく暗い。鳶色の瞳が陰っていた。
「なにかあった?」
「すっごく言いにくいんだが……クローゼットに女物の服がかかってる」
「……早いわね」
「悪いが、確認してくれ。あれダリヤちゃんのじゃないよな?」
「ええ、間違いなく」
淡い黄色のパフスリーブのドレスに、色とりどりの小花柄のストール。そして、レースたっぷりのピンクのガウン。デザイン以前にサイズだけで、ダリヤのものではないとすぐわかる。
そもそも自分は、こんな系統の服は一枚も持っていない。
「あと、ドレッサーの方にあれが入っていたそうだ」
マルチェラがテーブルを指さす。そこにはピンクの化粧ポーチと、白いハンカチの上、銀のペンダントがあった。平たい円形のペンダントトップには、見慣れない紋章が彫り込まれている。
ダリヤはそれを見て、眉間に
「これ、たぶん貴族ね。子爵以上の」
「男爵とかじゃないのか?」
「男爵に紋章はあまりないと聞いているわ。大型魔物の討伐で武器を授与したとかなら、それに刻印されるそうだけど」
直接はふれず、ハンカチの端でペンダントトップを裏返してみる。古いので薄くはなっていたが、きちんと家名が刻まれていた。
「タリーニ……うん、お相手の物ね」
トビアスの言っていた女の名は、エミリヤ・タリーニ。
タリーニという名前は平民にもあるので、貴族だとは思っていなかった。
「あの、その紋章、タリーニ子爵家かもしれません。王都の南街道で、四つ先の街を治めています。僕の祖母が、そこの出なので」
一人の声に、他の全員が微妙な顔になった。
トビアスがこの家に連れ込んだ女性は、少なくともタリーニ子爵の関係者であり、それを知らせるためにペンダントを置いていった可能性がある。
「トビアスの野郎を捕まえてくるか?」
「いいえ。そのペンダントの持ち主はオルランド商会で働いているの。こちらはもう終わったことだもの。連絡するつもりはないわ」
「わかった。ちょっとかかるが、公証人を入れて、持ち帰る物を証明してもらった方がいい。貴族が関わる可能性があるなら、その方が安心だ。最初に運んできたものも、こっちで明細書を出しておく」
「ありがとう。ちゃんと頼むことにするわ」
余分な出費が増えるが、トラブル回避のためには仕方がないだろう。
「公証人は運送ギルドから呼びますか? それとも商業ギルドの方がいいですか?」
「すみません、商業ギルドの公証人であいている人がいれば、呼んでもらえますか? 可能であれば、ドミニク・ケンプフェルさんをお願いしてください」
「わかりました。すぐお迎えに行って参ります」
男が一人、馬車へと走っていった。
「ごめんなさい、皆さんにお手間をとらせてしまって……」
「恋人でも夫婦でも、別れるときには、家具と荷物でけっこうもめることが多いもんだ。公証人だってよく呼ぶし、俺達には手間でもなんでもねえよ」
「そうですよ。ロセッティさん、どうかお気になさらないでください」
あきらかに気を使ってくれている男達に、なんとか表情を取りつくろう。それを見透かしたかのように、マルチェラが言った。
「ダリヤちゃん、なんなら公証人の費用はこっちでもって、トビアスにつけるぜ」
「いいえ、私が払うわ。なにか言われたら面倒だし」
「じゃあ、俺が『あの馬鹿の嫁にならなくてすんだ祝い』として出す」
「気持ちだけもらっておくわ。それより、塔に帰って落ち着いたら、イルマと一緒に夕食を食べに来てちょうだい。今度は私もしっかり飲むから」
「ああ、ぜひ行かせてもらう、いい酒を持ってな」
トビアスと一緒のとき、ダリヤはグラス一杯までしか飲まなかった。
彼はダリヤが酒を飲むのを好まなかった。『酒を飲んで女が顔を赤くするのはみっともない』、そう言われ、いつの間にか飲まなくなっていた。
トビアス自身は飲んで気分が悪くなったり、酔いすぎてマルチェラに背負われて帰ったりしたこともあるのだが。
今後は気兼ねなく飲めるのだから、街の酒場で、マルチェラとイルマと一緒に飲むのもいいかもしれない。
ぽつぽつと雑談をしていると、先ほどの男と一緒に、公証人のドミニクがやってきた。
「ドミニクさん、さっきお手数をおかけしたばかりなのに、すみません」
「いえいえ、いつでも相談してくださいと言ったじゃないですか。お気になさらず」
柔らかな笑顔のドミニクに、今回の引っ越しと、家具と荷物、自分の所有物ではない物について、一息に説明した。淡々と説明したつもりだが、周囲からの同情の気配が色濃くなっていくのが、なんともいたたまれない。
しかし、ドミニクだけは顔色ひとつ変えることなく、家具と荷物の確認をし、あっという間に書類を作ってくれた。
「おいくらですか? 今、お支払いしますので」
「いえ、先ほどのお時間が少し余っていましたので、書類代の銀貨三枚でけっこうですよ」
「ありがとうございます」
ドミニクに銀貨を渡し、改めて移動の準備をした。
外の日差しは陰り、すでに夕方に近い。
引っ越し用のこの馬車は、後ろに荷物を積む部分と人が数人乗れる座席がある。
荷物を積み込むと、全員で後部に座って移動した。
馬車と人とで混み合う時間になってきたため、来るときよりは時間がかかったが、十分ほどで商業ギルドに着いた。
「窓口経由で家の鍵を返すことになっているから、ちょっと行ってくるわ」
「俺が置いてこようか?」
「お疲れでしょう、お二人とも。鍵は私が持っていきましょう」
商業ギルドの前で降りようとすると、ドミニクに止められた。
「いえ、ドミニクさんにそこまでして頂くわけには……」
「今行けば、好奇心旺盛な者に捕まるかもしれませんよ。ここは私に任せては頂けませんか?」
確かに、ギルドに入った途端、顔見知りの者達から婚約破棄について、根掘り葉掘り聞かれそうな気はする。疲労感のひどい今、正直、それはものすごく避けたい。
「……すみません、お願いします」
「はい、確かにお預かりしました」
ドミニクは鍵を預かると、少しうつむき、それからダリヤに視線をまっすぐに合わせ直した。
「ダリヤ嬢、こういうことを言うのは不謹慎だとは承知していますが、よい機会とよい選択だったと思います。あなたのこれからに、幸いが多いことを祈ります」
「……ありがとうございます」
ダリヤは礼を言って、彼の背を見送るのがやっとだった。
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