五話 ド・メディシス家の人々と、ファルマの能力 (6)
ようやく打ち解けてきたかな、彼女のことが分かってきたかな、という実感がファルマに出てきた頃合で、ブランシュが違和感をファルマに告げた。ファルマはぎくっとする。
(まさか人格が入れ替わったの、見破られた?)
「そうかな? 気のせいだよ」
「ううん。前よりね、うんと優しくなったよ。それに、兄上りんごなんて剥けなかったもの」
「え、そう? りんご剥けなかったっけ?」
「ロッテにやってもらっていたよ」
ひとまず、悪いほうに変わったのではないようなので、心配はいらないようだ。
ファルマは甘えて抱きついてくるブランシュの頭をよしよしと撫でた。彼女に、病死した前世の妹の影が重なる。彼女は取り戻せないが、新たな妹をいとおしく思うようになった。
服薬の甲斐あってか水疱は殆ど増えることもなく、二日目にはかゆみもおさまり、三日目でかさぶたができ始めた。その頃には、ブランシュは「早くお外に出たい」と言って部屋の中をぴょんぴょんするようになった。
後日、ブリュノは驚異的なスピードで水疱の消えたブランシュを見て、首をかしげた。
「ブランシュの水痘は、やけに治りが早かったな」
ちょっと考え込んで、ブリュノは考察を述べる。
「ブランシュの体質なのかもしれんな」
「あのねー、治りが早かったのはねー」
それを聞いたブランシュが、ブリュノに何か言いかけた。
ファルマはブランシュが口を滑らせるのではないかと、気が気ではない。
「ないしょー!」
いたずらっぽく片目を瞑ったその顔は、まさしく天使のようだと思うファルマだった。
◆
「にしても俺、本格的に、人間やめちゃってるんだなあ」
ブランシュの水痘から数日後、ファルマは右手で作った環にも能力が隠れていたことに気づいた。環っかの大きさに応じて、患部を拡大視できるのだ。
「まだ色々と能力が隠れてたりして」
そう思えなくもなかったので、ファルマは思いつく限りのハンドジェスチャーを取ってみた。手だけではなく足にも、などと考えて一人であれこれ妙なポーズを取って奮闘している場面を、時折ロッテが不思議そうな目で見たり、気づかないふりをするのだが、構わないでほしいと彼は思う。
「ファルマ様、何か悩みとかありますか?」
このときも不意打ちでロッテに目撃され、ファルマは慌てる。
「いやっ、違うんだこれは。ちょっと色々検証していて」
「なるほど! 頑張ってください! 神術の練習ですかね? ですよね? お邪魔しました!」
ロッテはそうだったのか、と納得して部屋を出て行った。
「怪しい人に見られたじゃないか、俺」
これまでのところ判明した彼の能力をまとめると、
・ 左手…物質創造能力
・ 左手の環…病巣透視能力、診断能力(診眼)、特効薬の探索能力
・ 右手…物質消去能力
・ 右手の環…患部拡大視
「多すぎないか? 能力が。持てあますぞ」
一つ一つの能力を見ても、科学的な視点から見れば荒唐無稽すぎて呆れるぐらいだ。とてもこれが現実に起こっているとは思えない。一体どんな原理でこうなっているのか、科学的にそれらの現象を説明しようとしても、この世界が現実ではない、という以外の説明がつけられない。
エレンは、ファルマが薬神の化身どころか薬神そのものなのではないかと疑っているが、あながち大げさでもないかもしれない。ここまでくればファルマも「人外確定じゃないか」と言わざるを得なかった。
「どうするかな、これ」
あまりにも都合のよい能力を得て舞い上がりたいところだが、ファルマは警戒心のほうが勝っていた。理屈の分からない能力を際限もなく使うのは抵抗がある。便利だからといって気軽に使っていると、何か大きな代償を支払うことになる、などということも考えられる。例えば、能力を使えば使うだけ影がなくなって、最後には自分自身も透明になってこの世界から消えてしまう、などだ。
すでに、能力の代償なのか何なのか、ファルマ自身の影がない。
地味な悩みだが、これが一番困る。
屋敷の人間はまだ誰も気づいていない、もしくは誰も指摘してこないのだが、その状態を隠し通せるのも時間の問題だろう。彼はエレンに会った初日に指摘されて以来、つとめて物陰を歩くようにした。明るい場所には影が濃くできるものなので、影がないのが目立つ。
その点、もともと影だらけの環境に身を置けば、自分自身の影がない状態を多少ごまかせる。そう考えたのだった。
「でも、だとしたら俺は何なんだ?」
神がかり的な何か。であればまだいいのだが、悪魔憑き的な何かであった場合、人に不用意に打ち明けて、それを聞きつけた霊能者か悪魔祓いかに除霊されてしまっては困るし、とファルマは悩ましい。
(あ、拡大視といえば……)
自身の能力を整理していたファルマは、はたと気づき、彼の部屋の引き出しの中の宝石箱の中をあらためた。いずれも高価そうな宝飾品が中におさめられている。ブローチや指輪などだ。彼は宝石には用がなく、ガラス製品だと分かりきっているものを見繕う。
「あった! これであれができる」
彼はガラスの宝飾品の一部の、非常に小さな透明の玉を割って集め始めた。そして、細かなガラス片を火であぶって角をとり球状に加工した。それらは重要なパーツだ。
ファルマはその日、数時間をかけてガラス球と金属板を使って簡単な工作をし、とあるものをこしらえた。その小さな作品は、前世の彼が愛用していたものの簡易版で、これが一つ手元になければどうしても落ち着かない。
「今はこんなものかな。もっと性能のいいやつがほしいけど」
その出来栄えに決して満足はできなかったが、とりあえず目的は果たせるものだった。
彼のこしらえたばかりの地味な工芸品は、小さな手の中できらきらと頼もしく輝いていた。
◆
その日は、ファルマが屋敷の生活にも慣れ、使用人たちの顔も覚えた頃のことだった。昼食を終え読書をしながら、ファルマはロッテやブランシュと庭でくつろいでいた。影のないファルマは、つとめて木陰を見つけて、自分以外の陰に隠れるよう意識している。
ロッテとブランシュは、庭の花畑から花を摘んで花の冠を作っていた。ブランシュの遊び相手になるのも、ロッテの仕事だった。
「ブランシュお嬢様、そちらから編んでくださいね」
「やーん、できないー」
ブランシュは花輪がうまく編めずこんがらがって、半泣きになっていた。
「あらら、そんな、諦めないでやればできます! 私もお手伝いしますので、頑張りましょう!」
「あ、できたー」
多少不器用な作品は、ファルマの頭の上に乗せられた。
「兄上かわいくしてあげるのー、こうやってー、こうやってー」
読書中のファルマの頭や首に、ロッテとブランシュが交互に花輪をかけてくれる。それは首飾りになったり、腕輪になったりした。最初は気にならなかったファルマも、段々と首が重くなってきた。
「もう、これ以上は乗せなくていいよ。もう十分だ」
(菊人形みたいになってしまうじゃないか)
さすがに限度があるだろう、とファルマがリラックスモードで苦笑した頃のことだった、
「ファルマ様。ここにおいででしたか。旦那様がお呼びです」
急ぎの用があると、家令のシモンがファルマを呼びにやってきた。
(何の用だろう、嫌な予感がする)
ブリュノがファルマを呼びつけるときは、ろくなことがなかった。たいていはオカルト薬学の抜き打ち試問、それか調合の手伝いが待っている。それならまだいい。
以前はブリュノに呼ばれたかと思えば、満月の日に例の薬草園に一緒に出向き、ガゼボの中心に描かれた魔法陣らしきものの上で、ブリュノが必死の形相で両手を振りながら踊り、何か呪文を詠唱するのを傍で見学していろという罰ゲームじみたものがあった。その後、ファルマも実演をさせられた。
あれは何だったのか、ファルマはいまだによく分からない。それが何の儀式なのか、書物にも書かれていないからだ。ブリュノのオリジナル儀式なのだろう。
薬草に神力を注ぎ込む効率的な方法なのだと、ブリュノは強調していた。
見学の間やぶ蚊に刺されまくったファルマが、あれほど惨めな思いをしたことはなかった。ブリュノは本当に高名な薬師なのか、と最近では疑わしく思う。それでも、エレンは彼を尊敬しているようだったし、ある程度の腕はあるのだろうが。
ともあれ、あんな野外活動に付き合わされるのであればまっぴらごめんだ。しかし、
「あなたのお仕事です、宮廷薬師見習いとしての」
仕事。そう言ってシモンがファルマを呼びに来たのは、転生してから今日に至るまでの間で初めてのことだ。
「皇帝陛下の診察です」
ついにこの日がやってきたか、とファルマは身震いした。
いよいよ初仕事だ。
~試し読みはここまでとなります。続きは書籍版でお楽しみください!~
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