五話 ド・メディシス家の人々と、ファルマの能力 (4)


 ◆


 エレンの授業や、神術の訓練のない休日は、ファルマは屋敷内の人間を観察する。

 エレンには『神眼』と言われたものの、彼は自身の疾患透視能力を『診眼』とでも名づけることにした。といっても彼の師であるエレン以外、誰も知らない能力。ロッテにも内緒だ。

 左手の指で輪っかを作って輪ごしに相手を診ると能力が発動する。

 とはいえ、眼鏡を作るような動作は目立ちすぎる。相手をおちょくっているか、気がふれているかのどちらかだと思われるだろう。目上の存在の前では、失礼にあたるのはまず間違いない。

 そこで彼は試行錯誤して、目を挟むように指を添えるだけで診眼を発動できるようにした。これでも違和感のある動作ではあるが、まだましだった。

 また、集中を要するが人体を透かし見ることもできるようになった。


 ベアトリスは重い腰痛をわずらっていた。

 エレンのときと同じ湿布を造って、ベアトリスの部屋を訪れ、直接手渡した。奇しくもその日は、彼女の誕生日だった。

「まあ、お前が私に湿布を? 腰痛に?」

 ベアトリスは湿布の袋を手にして、感動していた。

「はい、かなり痛みが出ているでしょう。よく我慢しておられるなと思いまして。誕生日プレゼントというのも味気ないですが、ささやかな贈り物です」

「腰痛だなんて、どうして分かったの? 私、お前に話したことあったかしら。あの人だって知らないのよ?」

 ブリュノも気づいていない腰痛だという。ブリュノは多忙なので、煩わせることはできないと、けなげにも夫にひた隠しにしてきたのだという。

「よく観察すれば分かります」

「まあお前、立派になって……薬師として一人前になったのね。母は嬉しいわ」

 ほかの情報としては、ベアトリスの歩き方が不自然だったという部分もあった。

「手術をするほどではありませんので、様子を見ましょう。貼りましょうか」

「貼ってちょうだい」

 ベアトリスがドレスを脱いで下着だけになってベッドに横たわり、ファルマが湿布を貼る。ベアトリスの見事な肢体を目に焼き付けることになってしまったが、あくまでもやましい行為ではない。

「ああ……いい具合だわ」

 ファルマの造った湿布には、冷感がある。

「これでいいと思います。服を着てください」

 貴婦人であるベアトリスは使用人がいないと服が着られないので、ファルマはロッテの母カトリーヌを呼ぶ。

「カトリーヌさん、母上の着付けをお願いします」

「はい、お坊ちゃま。ただいま」

「ちょっと待ちなさいファルマ、包帯を巻かなくていいの? ずれてこないかしら」

「包帯がなくても接着するタイプの湿布ですから、落ちてきませんよ」

「すごい発明だわ!」

 ベアトリスは息子のアイデアを称賛した。

「においも抑えたものですから、父上には気づかれませんよ。診られなければ、ですが」

 その日の夜には痛みが引き始めたといって、ファルマはベアトリスから大層感謝された。


 ファルマは日課をこなしながら、屋敷の中を歩き回るついでに、会う人一人ずつ、さりげなく診てゆく。

 患者を見つけると、診眼ごしに患者の光った部分を診て病名を当てる。診断前に青かった光は診断後は白へと変わり、その診断が正しいと分かる。

 診断が間違っていると、いつまでも白くならない。

 正しい処方薬の名前を唱えると、白い光も消える。そしてその処方薬を造る。

 それは彼自身の能力を試す訓練にもなったものの、診断はときに困難なものもあった。

 前世のファルマは、世界をリードする有能な薬学者であり、医学知識にももちろん通じていたが医師ではない。それゆえ、彼の知識のない病もある。

 また、薬では治らない病気もまだ依然としてあり、限界もあった。それでも彼は根気よく診て、その人のために症状に応じた薬、症状を和らげる薬を創造していった。

 それらの記録を、ファルマは誰にも読めないようノートに日本語で書きつけていた。それは使用人たちを診たカルテや、投薬の記録、彼がこの世界で刻み始めた薬師としての足跡だ。数々の検査データもグラフ化している。これをブリュノに見られたらどうするかなという懸念もあったが、「落雷を受けたときに夢で見た」ということにしておこうと考えた。前世を夢の中の出来事だと形容すれば、あながち間違いでもない。ファルマがそうとでも言わなければ、どこで学んだのか、どの書物に書いてあったのかと、この世界にありもしない出典を求められるので不都合がある。


「ごきげんよう、お坊ちゃま」

「おはよう」

 今日も屋敷の洗濯係の女が、大量の洗濯物を抱えているところを廊下ですれ違う。両親の衣類の洗濯をする中年女性だ。いつも朗らかで、洗濯干場でよく雑談をする。今は彼女には悪い部分はない。

「外へお出かけになっては。よいお天気ですよ、ファルマ様」

「そうするよ、ありがとう」

 中年男性、白髪の庭師だ。外に出たらどうか、とよく話しかけてくる。彼も健康だ。

「ファルマ様、奥様が先ほどお探しでしたよ」

「ありがとう、母上はさっき会ったよ」

 声をかけてきたのは白髪交じりの男、セドリック・リュノー。財務をしている上級使用人だ。彼は時々膝を痛めているので、杖をついて歩いている。杖を用いたり長時間の立ち作業は避けるよう自分で対処しているようだが、あまり辛そうだったら投薬や治療に入ったほうがいいな、とファルマは気にかける。

(皆、健康が一番だからな)

 自分にも言い聞かせるように、ファルマは頷く。

 使用人たちにも適切に診察し、物質創造能力で薬の処置を施すと、彼らは感涙にむせび喜んだ。ご主人様に薬をもらったことなど、なかったのだという。

 そしてブリュノとともにせわしなく通り過ぎて行った家令のシモンには、虫歯があるようだ。家令というのは、ド・メディシス家の最上位の使用人にあたる。ブリュノの専属の執事といってよかった。

 虫歯の治療は要検討だな、とファルマは保留にする。外科的な処置のいるものは、さらに難しい。

「案外、父上は家の皆のことを診てないんだな」

 庭師のすすめたように屋敷の中庭を散歩しながら、ファルマはロッテと雑談をする。使用人も家族のようなものだろうに、全員の健康をとファルマは思うのだが、それはこの世界の常識ではないらしい。

「旦那様は、高貴な方々のための薬師様ですから。下々の者に気を回される余裕はありません」

「薬師の家なのに?」

「そういうものです。貴族には貴族の、平民には平民の薬師がいます。診察にはとても時間がかかりますので、全員を診ていただくなど、とてもとても」

 貴族の薬師は平民を診てはいけないのだという。

 使用人が重い病気にかかった場合は、民間の三級薬師がわざわざ呼ばれて診る。基本的に薬は高価なもので、治療が怪しいということもあり、平民の死亡率は驚くほど高かった。この世界の平均寿命は低く、成人したとしても長生きをするものは少ないという。

 ファルマがそれを悩ましく思っていると、

「ファルマ様は平民や下々の者にも分け隔てなく優しくしてくださって。よい薬師になられます」

 ロッテは、使用人たちは皆ファルマに感謝している、と言って柔らかな笑顔を向けた。

「患者さんの身分で診る診ないを決めるなんて、ありえないよ」

 料金を支払うなら、平等に診察を受ける権利があるとファルマは思う。

(あ、薬が高すぎて払えないから診てもらえないのか)

「そうですか? でもファルマ様、私を診てくださったことありませんでしたよ?」

 責める様子はなかったが、不思議に思ったようだ。以前のファルマ少年も、貴族らしくブリュノのやり方を踏襲していたらしい。どうやらブリュノに禁止されていたという。

(確かに、薬師見習いが未熟な知識で患者さんを診るのは危険だけれども)

「なるほどね……でも、これからは心を入れ替えて、誰でも診るから」

「はいっ、ありがとうございます。よろしいんですか? 嬉しいです!」

 ロッテの顔がぱあっと明るくなった。患者に最善かつ平等な処方を提供するのは、ファルマの現代人の感覚としては当然である。郷に入れば郷にしたがえとはいえ、譲れないものもある。

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