五話 ド・メディシス家の人々と、ファルマの能力 (3)
◆
以後、二人の授業の場は、河の中州から孤島に移された。
彼らはド・メディシス家の所有する無人島の一つに、こそこそと舟でやってきた。雄大な海原の光景に感動したファルマは大きく深呼吸する。
「きれいだな、海! 泳いでもいい?」
思わずバカンスモードに入りそうになるファルマの首根っこをつかんでエレンが訓練に立ち戻らせる。そして言い含めて聞かせるのだった。
「何しに来たのよ。気持ちは分かるし私も泳ぎたいけど、特訓が終わってからね。ファルマ君。いきなり遊ぶんじゃないの」
相変わらず対神術用フルプレートアーマーで暑そうなエレンは、一刻も早く訓練を終えてアーマーを脱ぎたいようだ。
「ごめん、つい」
「じゃあまず、杖を持たずに水を出してみて? 神技の前に神術の基本中の基本、そこからいきましょ。大量じゃないのよ、少しだけね」
いきなり杖を持って神技を打つのは危険だわ、とエレンは前例をもとに警戒する。沖合いには船影もいくつか見える。洪水でも起こして舟を転覆させては大変だ。折角無人島に来たのに、目立つなんてものではない。彼はエレンから距離を取ってうなずいた。
「分かった」
少し集中するだけで、ファルマのかざした左手からは滝のように大量の水が吹き上がった。
「やはり無詠唱なのね、困ったわ、その水の勢いを落とすことできる?」
「できそうになーい!」
遠くからファルマが叫ぶ。
「無詠唱だなんてどう教えていいか分かんないじゃない」
通常、神技の出力は発動詠唱によって調整する。だがファルマは詠唱を打たなくても発動できるので、まったくの彼のイメージで調整するしかないのだ。ファルマが生成する水は、とどまるところを知らなかった。
「一旦止めたほうがいーいー?」
どうすればいいのかと、ファルマがエレンに伺いを立てる。
「え、もしかして止まらないの? 止まるでしょ、全部出したら」
「ずっと出せそうだけど、全部って何のことー?」
「きゅーけーい! 一旦休憩ー! 中ー止!」
エレンはガシャンガシャンとアーマーの金属音を鳴り響かせて駆け寄ってきた。放水は止められるが、出力の加減はできないようだ。二人は体育座りでビーチに腰を下ろす。反省会だった。
「こ、これだけ水が出せるなら、消防士にでもなろうかな」
などというその場任せの冗談で無理やり場を和ませようとするファルマに、エレンは困惑顔だ。
「あなた、神力が無尽蔵になったんだっけ?」
「どうなんだろう。エレンはどう思う?」
「これ絶対私の手にあまるわー、もー絶対無理だわー、無詠唱発動型で、それも皇帝級の神力持ちに、専門家でもない私が何教えたらいいのよ……」
エレンは額に手を当て、先が思いやられるといった顔をして座ったまま足をばたばたやった。
そのままやる気をなくしたらしく、後ろにひっくり返ってしまった。
「そんなこと言わず、頼むよ」
エレンを頼りにしているファルマである。
「といってもねえ」
いっそヘタなことを教えずに、神術の専門家に聞いたほうがいいのではないか、とエレンは挫けそうになる。神術の専門家、といえば神殿の神官だ。だが、神殿に駆け込めば、ファルマがどうなるか目に見えている。皇帝に据えられてしまうかもしれない。
「水は一旦置いときましょう、氷の神術にしましょうか。こっちなら向いているかもしれないわ」
「氷? 水系統は氷も使えるんだ?」
「そうよ。水が使えるなら、氷も熱水もできるでしょう? 水の変化形なのだから」
「へー! すごいな!」
ファルマは感激したようにぽんと両手を打った。訓練再開だ、エレンは暑くなったらしく、アーマーの兜を脱いだ。直射日光で暖められるとサウナのようになるらしい。
「そーっとよ、まずはそーっと。小さめの固まりのイメージよ?」
「こう?」
エレンが止める間もなく、ファルマの頭上にそびえ立つほどの氷山ができて宙に浮いていた。
「何それー! 大きすぎるし何で浮いてるの!?」
もはやファルマのやることなすこと、規格外という言葉では済まなかった。
発動詠唱のない神術のタガの外れっぷり、制御不能ぶりは凄まじかった。
「ファルマ君! これは小さな氷の固まりじゃなくて、やや小ぶりな氷山だわ!?」
二人の想像していた大きさに齟齬があったようだ。
「私は拳大のを想像していたのよ?」
「そうだったのか!」
すでにコントの様相を呈してきてすらいる。
「この氷山、どうすればいい? 浮いてるけど落ちてこない?」
「落ちるわよ! 何とかしないと!」
ファルマは左手をかざしながら、頭上に迫る氷山がいつ崩れるかと怯える。
「投げて! い、いいからそれ海に投げて! その場で落としたら私たち潰れてしまうわ!」
「あ、氷山にヒビが入ってきた」
「ほらー! やめてー!」
ビキビキと不穏な音を立ててヒビは深く表層に刻まれ、崩落が始まった。
「早く投げて!」
「分かった!」
ファルマはエレンの言う通りに氷山をぶん投げると、海に大きな水柱が上がった。浜には大波が押し寄せる。その波が、ファルマを飲み込みそうになった。
「ファルマ君危ないっ! 〝氷の壁〟」
エレンは杖を振り、発動詠唱を打ってファルマの前に飛び出して氷壁を展開する。しかし大波には勝てず押し倒され、押し流されそうになる。
「キャーッ! 無理ーっ!」
「大丈夫かエレン!?」
「あいたたた」
エレンはずぶ濡れで、波間から顔を出した。そして、気がつけば眼鏡はなかった。
「あなたとの特訓は、命がいくつあっても足りないわ!」
「眼鏡もいくつあっても足りないな」
何気なく繰り出された切れ味のよいツッコミに、エレンはにっこりと微笑んだ。
「そうね、こんなこともあろうかと、予備を持ってきたわ、三つ。どう、この抜かりのなさ」
(それは抜かりないって言わないんだよエレン、落とさない対策を講じるのが抜かりなさだ)
ファルマは内心でツッコミを入れる。しかし高価な眼鏡をポンポン用意できるあたり、いかにも伯爵令嬢らしい。
「あの、眼鏡のつるに紐つけたらいいと思うよ、紐さえあれば、落とさなかったと思うし」
「紐ぉ? そんなのお洒落じゃないわ」
エレンはお洒落にはこだわりがあるようだった。女子のファッションにうかつなことを言うべきではなかったな、とファルマは反省する。
「言い忘れていたけど、水属性神術の訓練は必ず濡れるから、着替えを持ってくること。忘れないでね」
エレンは砂を噛んだアーマーを脱ぎ捨て、神術できれいな水のシャワーを浴びてタオルを頭にかけた。濡れた服を着た薄着のエレンは、体のラインがくっきりと見えた。そうと意識しなくても、形のよい大きな胸が上下に無防備に揺れるのに、ファルマは視線を奪われる。
「先は長そうだ」
「気長にやりましょう、焦ったってよくないわ」
「ありがとう。お世話になるよ」
エレンはなんだかんだ言って、親身になってくれるし付き合いがよかった。
しかしその猛特訓の甲斐あって、エレンはファルマの暴走にいい意味でも悪い意味でも慣れ、彼の傍に臆することなく近づけるようになった。
もう、対神術用フルプレートアーマーを着なくてもいいほどに。
この時期、サン・フルーヴ帝国沿岸の地図から消えた孤島がいくつかあったとか。そんな使用人たちの話を小耳に挟んで、ファルマは居心地の悪い思いをした。
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