五話 ド・メディシス家の人々と、ファルマの能力 (2)
「神術のことがさっぱり分からないっていうのは、本当だよ。そしてその敬語は必要ない」
人間だとは言いながらも、ファルマ本人も自信がない状態になってきたが。
「どう言い訳したり否定をしようとね、人間には影があるものなのよ、ファルマ君。あぁ、私は何を当たり前のことを言っているのかしら、しかもそれを知っているのが私だけだなんて。何で誰も気づかないのよ、ド・メディシス家は。お師匠様も……」
家の中が薄暗いからカモフラージュになっているのだろう、とファルマは心の中で答える。
エレンはファルマが敵意を向けてこないので、兜を脱いでガシャンと机に置いた。発熱をしているので、中は茹るような暑さなのだ。
「エレンがよければ、これからも家庭教師を続けてほしいんだ。色々教えてほしい」
「えっ?」
「君が必要なんだ」
エレンは不意打ちをくらって頬を赤らめた。
「な、なに……どういうことなのよ」
神術のスキルを記述した書籍については、ファルマの家にそれらしいテキストはなかった。
庶民に知られないようにか、戦術的な意味があってか、神術のスキルは口承で伝えるらしい。ファルマ少年のメモも殆どなかった。だから、ファルマはエレンに家庭教師を続けてほしかったのだ。そうでないと、ファルマ自身も強大すぎる神力をどう御していいのか分からず途方に暮れる。
「断ったら、秘密を知る私を消すつもり?」
「まさか、何もしないよ。じゃ、今日はこれで帰るから。あと、それから」
「今度は何?」
「さっきその兜を置いたとき、また眼鏡を割ったよ」
割れそうだと思って忠告しようとしたが、間に合わなかった。
「きゃ──っ!?」
エレンはつくづく眼鏡運がないな、などと思いながらファルマはボヌフォワ家の屋敷を後にした。
◆
ファルマが帰った後、エレンはファルマから受け取ったポーションと湿布を廃棄しようとした。彼にとって秘密を知るエレンは邪魔者以外の何者でもないだろうから、薬だと言って手渡されたものに何の毒が混ぜられているか分かったものではない、彼女はそう思ったのだ。
しかしふと、エレンの中で好奇心がふつふつとわいてきた。
「一体、何の毒を混ぜてくるのかしら。暴いてあげましょう」
エレンとてブリュノの一番弟子の一級薬師である。薬神が使う毒というものを、彼女は知りたくなった。後学のためでもある。
彼女は常備している数種類の薬草の粉末を五本の試験管に入れ、神術で生成した水で溶かす。そこへ、ファルマからもらったポーションを一滴ずつ加えた。
「〝毒素があれば、疾くあらわせ〟」
エレンは試験管に手をかざし毒物検出の神術を使うと、試験管の中の液体は青く発光する。毒物と反応すると、黒くなる薬草をいくつか調合している。どの薬草と反応するかで、毒物の系統が分かる。これで、殆どの毒物は検出できるはずなのだ。
「検出できない……?」
さすが巧妙ね……と、さらなる検出方法を試してゆくと、どうやらそのポーションは、ファルマが言ったように本当にブリュノが造ったものだということが明らかになるばかりだった。
「なんだ、お師匠様の薬だったのね。裏読みして用心しすぎちゃったわ」
エレンは拍子抜けして、根拠もなくファルマを疑ったことを悪く思いながら薬を口に含んだ。しかし、飲み干した後味にわずかな違和感を覚えた。
「っ、やられた!? 何か入ってる!」
やはり一服盛られたか、とエレンは総毛だった。そして、大量の水を飲み調合のレシピを引っ張り出し解毒薬の調合を始めていると、段々と熱が下がってくるのを実感した。
「あら?」
体のほてりが消え、嘘のようにエレンの体は楽になってくる。薬を飲んでまだいくらも経っていないというのにだ。ブリュノのポーションも効きはするが、これほど劇的な効果を与えるものではない。明らかに、ファルマが盛った何かが作用している。
「お師匠様のポーションに、毒ではなく薬を盛られた?」
エレンの心は半信半疑であっても、体は正直に反応する。もうすっかり辛さは消えていた。エレンはどっと疲れてベッドに倒れこんだ。
「私のこと、治そうと思ってわざわざ来てくれたのかしら……あの薬神様は」
そう思うと、彼の言葉を何度となく疑い、拒絶し、冷たい態度を取ってしまったことが悔やまれる。
「薬の知識はあって、お師匠様の薬の中に仕込むこともできるのに、私に家庭教師を続けてほしい、だなんて……ちょっと間抜けだけど」
あの言葉はどこまで本当なのかは分からない。だが、ファルマの言っていたことを信じるとすると、彼は神術の知識がないと言って困っていた。ファルマの体に宿ったばかりで、記憶が曖昧なのかもしれない。
「前のファルマ君の意識はどうなっているのかしら」
彼を生徒として数年間、一対一で薬学の教育をしてきたエレンの立場からすると、落雷後の彼の口調も態度も、別人になってしまったかのように感じる。それでもほんのりと、以前のファルマの面影はある。
薬神の意識と一体化してしまったのかもしれない、とエレンは仮説を立てた。
エレンは聖典に刻まれている薬神の伝説を思い出す。前回、薬神がこの世界に顕現したときには、自ら薬神を名乗り、数多くの病を鎮め人々を癒してきた。その伝説の中には、一人として毒殺されたり危害を加えられたなどという記述はなかったはずだ。
「考えてもみれば、薬神は益神とされているんだし。ありがたい守護神様なのよね……」
必要以上に警戒することもないかもしれない、とエレンは思い直す。ならば彼に恩恵を授かっている薬師の一人として、力の使い方を忘れ途方に暮れる薬神を、見放すわけにはいかない。エレンは彼から湿布をもらったことも思い出し、恐る恐る指に巻いてみた。
エレンの見たこともない湿布だったが、
「あっ、これ、気持ちいい……」
ひんやりとして、患部の痛みが嘘のように取れてゆく。痛みの緩和とともに、エレンはすっかり心を許した。彼は言った。エレンが必要だと。以前のファルマ少年が、あれほど直接的に意思表明をしたことはなかった。ファルマ少年は、以前は師匠の言葉に追従するだけの受動的な少年だった。
悩んだ末に、エレンは彼の依頼に応えることにした。
「仕方ないわね……薬をもらった御恩もあるし、助けを求めておられるなら付き合うしかないわ」
彼女は胸に一つの決意を秘め、眠りについた。薬神はエレンの助けを求めているようだったが、エレンもまた彼から学べることは多そうだ。
翌日。ファルマたちの朝食が終わった直後、エレンがド・メディシス家の屋敷に単騎で乗り込んできた。そしてファルマ一人を呼び出して彼に言うことには、
「薬神様、神術の授業に参りますわよ! 今日はみっちりご指導いたしますわ!」
しかも、対神術用フルプレートアーマーといういでたちで、だ。決闘でも申し込むのかといういでたちだ。「みっちりやる」というのは二つの意味にとらえられる。
「家庭教師は続けてくれるってこと? それとも、俺と戦いにきた?」
わずかな期待を胸に、ファルマはエレンに尋ねる。
「家庭教師続投ですわ。この格好は万が一のときの防御のためですの」
「ありがとうエレン! あと、普通に話してくれるともっと嬉しいよ」
「そう、普通に話すのがご希望ね、恐れ多いけど普通に話すわ。だって仕方ないじゃない。もしあなたが神術を知らないというのなら、教えないわけにはいかないわ。だって下手したら帝都が吹っ飛ぶもの、ううん、そんなのって困る。というか何で薬神なのに神術の使い方忘れてるの。そんな話、聞いたことないわ」
「帝都が吹っ飛ぶ? はは、まさか、そんな大げさな……」
「自覚がないのね。とにかく放っておいて何かの拍子に力を暴走させでもしたら、私も含めて全員が死ぬわ、私だって死にたくない、人生これからなのに。だから人に迷惑かけないように孤島で訓練するわよ」
一気に言い切ったエレンは、アーマーの中でまたしても暑そうだった。
命がけで荒ぶる神の化身を鎮める勇敢な女騎士ばりの重装備でやってきたエレンに、丸腰のファルマは非常に申し訳ない気分になった。
「それは助かるよ、体はもうすっかりいいの?」
「この通りよ。びっくりするほど効いたの、あのポーション。それに、あの湿布だって」
エレンは馬を飛び降りて、鎧の金属音を響かせてずんずんとファルマに近づいた。
「でも知らない薬効成分が入っていたわ、あれは何? あなたが混ぜたのでしょう?」
エレンは新しい眼鏡を少しずらして、ファルマの瞳を覗き込む。
ファルマは真相を隠さなかった。
「分かったんだ」
無味のはずだがどうやって気づいたのだろう。と、ファルマはエレンの敏感なセンサーに感心する。
「分かるわよ、いつものお師匠様のポーションと後味が違ったわ。これでも私、一級薬師ですもの。でも、それが何の薬なのか分からないのが許せない」
だから戻ってきたのか、とファルマは納得する。エレンには、なかなか見上げたプロ意識があるようだ。
「だって知りたいじゃない、薬神の叡智の全てをね!」
彼女の中で、ファルマの存在は日に日にスケールアップしているようだ。
「いや、あの、だから、俺そういうのと違うから。やめよう、その呼び方」
ファルマは首を左右に振ってエレンにうったえた。
「内緒なの? 影がないなんて誰でも分かることなのに」
「それに気づいてるの、エレンだけなんだけど」
「もうっ、意味が分からないわ、どうしてそうなるのよ」
できれば今まで通り、見習い薬師ファルマとして普通に接してほしい。
薬神呼びもやめてほしい。
ファルマはエレンとそんな約束を交わした。
こうしてエレンが神術をファルマに教授し、ファルマが薬学をエレンに教え返すという交換取引が成立して、エレンは何とか以前のように家庭教師を続投してくれることになった。
そしてエレンの熱が一晩でおさまり家庭教師に復帰したと知った彼女の師は、「そうであろう、そうであろう」と、またしても彼のポーション製作に自信を深めたのだった。
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