四話 エレオノールの神術講座 (1)


「おかしい。絶対におかしいわ。別人みたいだもの」

 ファルマの目の前の女性はテーブルの上で指を組み、ぽつりと吐いた。

 向かい合って座した妙齢の女性の一声にファルマはたじろぐ。

 彼女はファルマの家庭教師にしてブリュノの一番弟子、美貌の一級薬師、エレオノール・ボヌフォワ。

 艶やかな銀色の髪を左右にわけサイドに流して涼やかな印象に見える。マットな質感で淡い空色の長くタイトなドレススカートには、活動性を重視してか大胆なスリットが入り、肩は大きくあいている。目のやり場に困るほどの豊かなバストを組んだ腕の上にぽいんと乗せていた。細いフレームの、銀の眼鏡をずらしてかけてファルマを見つめる。

(服飾が自由すぎるな。眼鏡もあるのか!)

 この世界が中世~近世ヨーロッパに相当するのなら、それ相応の服飾文化なのかとファルマは想定していたが、必ずしもそうではないらしい。いかにも中世ないでたちのド・メディシス家が保守的なだけなのだろう。どちらかというと彼女の装いは、ファンタジー世界の住人のそれで、カジュアルだった。さすが異世界、とファルマは感心する。

「そうですか? 気のせいだと思いますよ」

「ほら、もう、それ! よそよそしいじゃないの。敬語だし」

 甘い声がファルマの耳をくすぐる。エレオノールとの会話パターンを仕入れていなかったな、とファルマは反省する。師弟関係なのだから、敬語だと決めてかかっていた。

(どう話そう。友達感覚で付き合える先生キャラ、で通してるのか?)

 エレオノールとの待ち合わせ場所は、屋敷の敷地に沿って流れる大河の中州。その庭園中央に位置する、白い石造りのガゼボ(西洋式東屋)のような建造物の中。日差しはガゼボのドーム状の屋根によって遮られ、庭園を吹き渡る風が優しい。

 ガゼボの下にはベンチとテーブルがあり、優雅な屋外の学びのスペースだ。そこに二人は向かい合って座っていた。

 そこは、ブリュノの所有する薬草園だった。薬草園が中州にあるなど洪水で流されてしまわないか、とファルマは気を揉んだが、ド・メディシス家は水の神術使いであるため、ブリュノが術を使っていて河の氾濫で薬草園が流されることはない。だが、高価な薬草ばかり栽培しているので、泥棒には狙われる。もちろん、ド・メディシス家の財産が盗まれないよう、薬草園の警備は夜間も万全の体制になっている、そんな薬草園だ。ファルマが待ち合わせ前に薬草園を見て回ったところ、元の世界にあったお馴染みのハーブや漢方で用いる植物も発見した。異世界ならではの未知のハーブもあった。

「普通に話すよ、エレオノール先生」

 呼び方はエレオノールでいいのだろうか? それとも、ボヌフォワ先生? などと探り探りの会話はすぐに途切れてしまう。

「エレンでしょ? まーだ、何か違うわね。何で今日は違うのよ」

「分かった、白状するよ。雷に打たれて記憶が曖昧なんだ」

「もう、それ早く言ってよ、大変だったんでしょう?」

 やっぱり、とエレンは拗ねたように口をとがらせた。しぐさの一つ一つに愛らしさが垣間見える。

「お師匠様から聞いたわ。ロッテちゃんやお師匠様のほかの弟子と一緒に帝都の薬店に薬草を買い付けに行った帰りに、白昼の市街で雷に打たれたって……お師匠様は、ファルマ君の心臓も呼吸も一時止まったらしいと仰っていたわ」

「そうらしいね」

「その後、お師匠様が薬学校から呼ばれて、お師匠様の適切な処置で息を吹き返したみたいだけど……腕に少し火傷を負ったとか」

(ブリュノさんが何か蘇生をしたのか……それでポーションを飲ませた)

 勝手に脈拍が戻ったのか、それともブリュノが処置をしたから生還したのかは判然としなかったが。腕の傷は少しというものではない、両腕のかなりの面積を覆い尽くすほどのものだった。

「た、たいしたことないよ」

 たいしたことあるというと、エレンが見せろと言うだろう。

「後遺症があるのね。記憶まで薄れるだなんて」

 エレンは、気の毒そうな顔をした。

「確かに雷に打たれると性格が変わるという言い伝えもあるけど……そのうち戻るかもしれないし、そのままなら仕方ないわ。命が助かっただけでも感謝しないと。今はそれが一番よ」

 立ち上がり、振り向きざまにエレンはにこっと口角を上げる。透明感のある眩しい笑顔だ。ガゼボから出て、彼女は河辺へと向う。ファルマも後に続く。

「今日の授業は薬学講義ではなく、神技の確認にしましょう」

 神技(神術の技)は全て覚えているか、とエレンはファルマに問う。

 エレンは以前のファルマ少年に数々の神術を教えてきた。

 ファルマ少年は薬学に関しては努力家、神術に関しては、兄には及ばないながらカンのよい優秀な生徒だったようだ。

「水を造ってコップに入れることならできるかな」

 冗談めかしてファルマがそう言うと、エレンははあっ、と困ったように額を抑えて、

「覚えてないってことがよく分かったわ。忘れているかもしれないから、おさらいしましょ」


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