ファーレーン編 第三話 (2)


    ☆


「このあたりか」

 教わったあたりにたどり着いたところで、崖を見上げながら疲れたように宏がつぶやく。

 基本的に狩人か薬の材料を探しに来る人間しか入らないような山なので、道と呼べるようなものもほとんどなく、二人は延々獣道を歩く羽目になったのだ。

 二人とも一般人の平均よりは大幅に高い耐久値を持っているため、枝や茨で怪我をする、という事はなかったが、春菜の服はあちらこちらがほつれ、今も必死になって毛先に絡んだ枝を引っぺがしている。

 ゲームでは、さすがにこういう細かいトラブルはなかったため、こんなしょうもない事でも、今の状況が現実である事を思い知らされて、地味にへこむ。

 服にしても、一応汚れという要素はあったが、こんな風に袖や裾がほつれたりする事はなかった。

 もちろん、戦闘で破れたりはしていたが、木の枝にひっかけたり、などという事はなかった。

 つくづく面倒な話だ。

「さすがに、有望な鉱脈もないと判断されるような場所じゃ、ちゃんとした道なんてないか……」

「まあ、そうやろうなあ」

「そういえば、その手斧でいろいろ払ってたけど、集めてたのは薬の材料?」

「そんなとこや。まあ、薬だけやのうて、錬金に使うもんもあるし、服に処理する触媒にしたりもするけど」

 そう言って、崖をじっと見渡す宏。早速、採掘モードに入ったらしい。

 はっきり言って、春菜にはどのあたりに鉱石があるかなんて分からないが、職人の目には違いがあるのだろう。

「あったの?」

「そんな期待はできへんけど、まあきっちり精製すれば使えるやろう」

 おもむろにつるはしで崖を掘り始めた宏に確認を取ると、そんな心もとない返事が返ってくる。

 とはいえ、崖を掘っている宏の表情は実にいい笑顔で、このヘタレにこんな表情ができるのかと心の底から驚いてしまうのだが。

「それで、作業しながらでいいから、聞いて欲しいんだけど……」

「何?」

「先に謝っておくと、今まで、ちょっとだけうそをついてたの。ごめんなさい」

「嘘って、どんな?」

「最初に、このあたりの土地勘ほとんどなくなってるって言ったでしょ?」

「そういえば、言うとったなあ」

 三日目、ウルスに向かって移動中に、確かに春菜はそういう感じの事を言っていた。

「あれ、半分は本当なんだけど、半分は嘘だったの」

「と、言うと?」

「私、一度行った事のある場所とか、一度見聞きした事のあるものって、そう簡単には忘れないの。だから、ゲーム内でのファーレーンの地理も、ほとんど覚えてるんだ。あのあたりを歩いたのが四年以上前、っていうのも嘘じゃないし、久しぶりにウルスに来て、あっちこっち冷やかそうと思ってゲートくぐった途端にこっちに飛ばされたから、後から実装された建物とかがあると分からないのは事実なんだけど、ね」

「なるほどなあ。で、半分本当や、言うには、後から実装された建物がどう、いうのは弱いで。それに、実際にあんまり道とか分かってなかったみたいやし」

「よく見てるね」

「そら、ちゃんと観察して、違和感になるようなところは頭の片隅にとどめておくんが、天敵相手に身を守るコツやからな」

「天敵って……」

 宏のあまりの言い様に、そんなに自分と行動するのは嫌なのか、と、思っていた以上にショックを受ける春菜。

「別に、とうどうさんがどうとかいう事やないで。僕は基本的に、女の子とは関わりたくないねん」

「……アンさんとかミューゼルさんに対する態度で、そんな気はしてたよ」

 最初の時も先ほども、アンやミューゼルが至近距離に居た時は、宏の顔は明らかに青ざめていたし、よく見れば鳥肌が立っていた。そういう反応がなかったのは、作業の最中の、目先の事に意識の大半が向かっていた時ぐらいだ。

 初日の、緊張していると勘違いしてもおかしくない時以外近くで会話をしていないアンはともかく、ミューゼルは多分、宏が対人恐怖症──それも特に女性に対して結構洒落しゃれにならないレベルのそれを患っている事に気が付いているだろう。

「自分こそ、よう見てるやん」

「運命共同体だからね。相方がどんな人か、何が好きで何が嫌いか、どんな事が負担になってるか、っていうのはちゃんと見ておかないと、余計なトラブルは破滅への第一歩だし」

「そっか。悪いな、こんなんが運命共同体で」

「そんな事はないよ! 私は、東君がパートナーでよかった、って思ってるよ!」

 自嘲気味に呟いた宏に、あわてて否定して見せる。

 実際、右も左も分からないこの土地で、宏がパートナーであるというのは非常に幸運だったと言える。女性恐怖症の彼には悪いが、貞操の危機を感じずに済み、それ抜きでもこういう状況で最低限の信頼を置ける人柄をしており、何より大抵の物を自作できる。

 これほどのパートナーに文句を付けるなんて罰当たりな真似、春菜にはとてもできない。

「無理せんでええねんで。正直、天敵やのなんやの、ものすごい失礼やって自覚はあるし」

「詳しく聞く気はないけど、よっぽどの事があったんでしょ? だったらしょうがないよ」

「ごめんな」

「こっちこそ、ごめんね。できるだけ不要な負担はかけたくないんだけど、性別だけはね……」

「いや、藤堂さんが謝る事でも気にする事でもないと思う、言うか、むしろ男やったらもっとしゃっきりせい、みたいな事を言うてもええくらいやと思うんやけど……」

「言えないよ……」

 春菜の目から見れば、宏のそれは明らかに、カウンセラーか心療内科にかかるべきレベルだ。

 正直、一歩間違えれば引きこもりになるか精神病棟に隔離されるのではないか、という種類の危うさを感じる。

 去年も同じクラスだったというのに、身近にこれほど危うい人間がいて、それに全く気が付かなかったあたり、自分の観察眼と思いやり、というやつもまだまだだ。

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