ファーレーン編 プロローグ (2)


    ☆


 事の始まりは、宏の体感時間で四時間ほど前にさかのぼる。

『ちぃーっす』

『お、ヒロさん、ばんわ~』

『こん~』

 親との約束を律儀に守り、宿題と一時間程度の受験勉強もどきを済ませた宏は、ようやく作った空き時間にうきうきとヘッドギアをかぶり、『フェアリーテイル・クロニクル』にログイン。

 グループチャットで挨拶をすると、固定パーティを組んでいる面子から次々と挨拶が返ってくる。

 彼らが遊んでいる『フェアリーテイル・クロニクル』とは、宏が中学の頃に正式サービスを開始したVRMMOで、〝狩りも農業も何でもござれ〟、〝サバイバルからスローライフまで〟、〝ゲーム内のアイテムは全て自作可能〟などのキャッチコピーで話題になったゲームだ。

 自由度の高さをうたっているためか、RPG的な意味での職業の概念はなく、キャラクターレベルとスキル熟練度のハイブリッド育成システムを採用したタイプの作品である。

 本来なら三回か四回ぐらいの大規模アップデートで実装するほどのマップや要素を正式サービス開始直後から突っ込み、単に実装されているフィールドの情報がそろうだけでも一年近くかかるという廃人泣かせの偉業を成し遂げたこのゲームは、たった二回の大規模アップデートで、もはや開発者以外誰にも、全ての要素を把握できないだろうという巨大なタイトルに進化を遂げていた。

 もっとも、一番の驚きは、それだけの規模なのに、バグらしいバグやサーバーダウンのような不具合を一度も起こしていないという事だろう。

 何より、どんなやり方をしているのか、これまで一度もハッカーに侵入を許していないという、一部の政府より堅固なセキュリティを実現している事が、ほとんどバランス調整などを行わないにもかかわらず、ユーザーの支持を集めている理由に違いない。

 もうサービス開始から五年つというのに、いまだにユーザー数、プレイヤー満足度ともにトップクラスを走り続ける化け物タイトル。それが『フェアリーテイル・クロニクル』である。

『ヒロさんヒロさん』

『なんや?』

『ヒーリングポーションとマナポーションの在庫ってある?』

『せやなあ。とりあえずレベル6のやったら倉庫に山ほど積み上がっとるけど、それでええ?』

『十分。てか、市場にゃレベル4ぐらいまでしか出回ってないんだよなあ』

 出回っている物が、いまだ低レベルである事を意外に思いつつ、露店やオークションを長いこと利用していない宏としては、そんなものかと納得するしかない。

 そもそもレベル4のポーションは、人型のが結構落とす。

 落とすだけならともかく、モンスターのくせに普通に手持ちを使って回復してくるやつも居るから、うざい事この上ないとは狩りをしている連中のぼやきである。

 とある事情があって、このゲームの職人達は、自分が作ったアイテムを市場に流さない。

 そのため、露店やオークションに出回るのはドロップ品やクエスト報酬程度である。

 また、上級の素材は上級の職人がモンスターを解体しないと手に入らない仕様ゆえ、そういう素材も市場には出回らない。

 彼らのレベルになると、職人同士のネットワークがきっちりでき上がっているため、余っている素材は直接物々交換をするのが普通である。

 ゆえに、宏のような職人はほとんど露店やオークションを利用せず、結果として自分達が作る物の希少価値を理解していない。

『さよか。まあ、レベル5は安定して作ろう思ったら、中級カンストするぐらいの腕はいるからなあ』

『うげえ、そんなにきつかったのか……』

 宏の言葉にうめくフレンドA。

 ちなみに、カンストとはネットゲーム用語でカウンターストップ、つまりは上限に達した事を指す。

 この場合は、中級をマスターした、と同じ表現である。

『まあ、生産はやからなあ。で、どんぐらいいる?』

『とりあえず、どっちも百本ぐらい欲しいけど、ある?』

『余裕余裕。百でええんやったらレベル8でもいけるで?』

 冬休みにスキル上げのために山盛り作った、ポーション作成スキルで製作可能な最高レベルの物を提示してみる。ぶっちゃけ、倉庫一マスに格納できる限界数で三マス分はあるので、誰かが食いつぶしてくれた方がありがたい。

『いやいや、6で十分。てか、レベル8なんて使った日には、目立ってしょうがねえよ。で、いくら?』

 素材集め以外でダンジョンに潜らない宏は知らぬ事だが、レベル8のポーションは現状、上級プレイヤーの回復魔法を超える回復量を誇る。

 それ一本でどうにかなるほど甘いゲームではないが、中級ダンジョンのボスぐらいなら、上手いアタッカーと組めば回復魔法なしで落とせる程度の性能はある。

 もっとも、生産スキルを鍛えているプレイヤーが非常に少ないこのゲームでは、生産か人型の希少モンスターから奪う以外手に入らないレベル5以降のポーションは、結構な貴重品である。

 一般に知られている最高レベルであるレベル6の各種ポーションなど、市場に出回った瞬間に上級の連中に買い占められるほどだ。

 おかげで、キャラクターレベルが人口的にボリュームゾーンの範囲に居る宏の身内は、誰もレベル6ポーションの相場など知らなかったりする。しかも、どういう仕様なのか、レベル5以降のポーションはNPCが買い取ってくれない。

『せやなあ。どうせスキル上げで作ったやつやし、一本五百でええわ』

『安!!』

『いやまあ、正直なところ、出回ってないんやったらNPC売りの値段以外、相場とかあってなきが如しやし、ドロップ系の素材は皆からカンパしてもろとるしなあ』

『まあ、懐にあんまり余裕ないから、安いのはありがたいんだけどね』

『ほな、今から着払いで送っとくわ』

『了解。いつもサンキュ』

 倉庫から取り出したポーションを、宅配便システムで着払い指定にて送りつける。

 因みに、一本五百というのは、NPCから普通に買える上限である、レベル2ポーションの値段である。

『ヒロ、従妹いとこが今度VR解禁になったからって、このゲーム始めるって言ってたんだけど、初心者向けにいい装備ってないか?』

『せやなあ。雑魚ドロップよりはええナイフと服ぐらいはあるけど、それで問題ない?』

『ちょっとスペック見せて』

『こんな感じやで』

 倉庫をあさって引っ張り出した服とナイフのデータを、メールに転写して送りつける。

『悩ましいところだな』

『もっとええやつの方が良かったか?』

『いや、その逆だ。初心者に渡すには、ちょっと性能が良すぎるかもしれない』

『これ以下やったら、NPCからうた方が早いで』

『そうか、了解。じゃあ、最初は安いやつを買っておいて、適当なタイミングでこいつをプレゼントするか。いくらだ?』

『せやなあ。NPCに売って千五百やから、三千かなあ』

『だから安いって』

『倉庫に積み上がった余りもん押し付けとるだけやし、気にせんといてや。ついでに余ってる練習用ポーションとレベル0ポーションも一スタックずつあげるわ』

 そう言って、もはや使い道も存在しないほど微妙な回復量しかない最下級ポーションを大量に押し付ける。

 役に立つのがチュートリアルから初心者クエストを完了し、最序盤の作業を終えるぐらいまでという寿命の短い、だが安定して作れるようになるのにレベル2ポーションが欲しくなる頃のパラメーターが必要という、生産スキルの不遇さを象徴するようなポーション類である。

 余談だが、ポーションには中毒というシステムがあり、連続使用に限界がある。特にマナポーションとスタミナポーションは中毒発生率が高いため、大抵はチュートリアルや初期のクエストでもらった分を余らせている。

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