第四話 おっさん、居候になる (4)
玄関ホールに入ると、そこは天上が高く、品の良いシャンデリアが吊るされている。
壁面には絵画が僅かに掛けられており、申し訳程度に飾られた花瓶に生けられた花が、実にこの屋敷の主の心根を表していた。余計な調度品は不要という事だろう。
そこが寧ろ芸術的品格があり、森の古城という条件にマッチしている。
「儂等は荷物を置いて来る故、そなたの部屋の案内は家臣達に任せる」
「お世話になります」
「なに、命の恩人にこの程度の事は当然じゃ。そなたは遠慮なく寛いでくれ」
「お言葉に甘えます。しばらく屋根のある場所で寝食をした事がなくて、逆に待遇が良過ぎて恐縮ですよ」
「本当に苦労しておったのじゃな……。クッ……」
何故か泣かれてしまった。
「着替えは用意させよう。先に寝室に案内させてもらうぞ?」
「屋根があるなら馬小屋でもありがたいですね。久しぶりに、ゆっくり眠れそうです」
「お主、波乱万丈過ぎるぞ? 何がそこまで、艱難辛苦に突き動かすのじゃ……」
「さぁ? 気付いたら魔物に囲まれているなんて良くありますからね。考えた事すらありませんよ」
「本当に難儀な人生じゃな……。神の試練にしても酷過ぎる」
「神は敵だと思っていますから、天罰なのではないでしょうか?」
事実、女神の所為で死ぬ事になったのだから、敵である事には間違いない。
「では、ここで失礼させてもらうぞ? 何しろ隠居の身とは言え仕事はあるからのぅ」
「えぇ、お世話になります」
「先生。これからよろしくお願いしますね?」
「そうですね。僕の知っている基礎的な事を教えましょう。生かすも殺すもあなた次第ですが」
「絶対に生かしてみせます! 先生に出会えた事が、私にとって最高の幸運ですから」
「気負わずにゆっくり行きましょう。焦ったところで上手く行く訳ではないからね」
「はい! では先生、また後ほど」
セレスティーナは元気良く手を振り、その場を後にする。
一人残されたゼロスは途方に暮れる事になった。
『はっ!? ……この後、どうすればいいんだろうか? つーか、僕はどこへ行けばいいんだ?』
いい歳こいたおっさんは、ただボンヤリと辺りを見ているしかなかった。
次第に場違いなところに来てしまったと不安になるゼロス。
「ゼロス様、お迎えに上がりました。どうぞこちらへ」
「あっ? えぇ……お手数をお掛けします」
現れたナイスミドルの執事に誘われ、彼はその後を追うように移動する。
玄関フロアから左に入り、階段を上がった一番左端の部屋に彼は案内される。扉を開き中へ入ると、そこは少し手狭だが充分に客分を泊める事が出来る部屋であった。
何より嬉しいのはベッドがある事だろう。その感触は野宿の時とは比べ物にならないくらいの弾力を持っている。そして部屋から見える景観が良い事から、この部屋が特別であると思われた。
「良い部屋ですね。窓から見える景色も実に
「ありがとうございます。この部屋は、この別邸で一番の見晴らしの良い部屋でございますれば、特別な客人にお貸しするようにしております」
「特別? 僕が、ですか?」
「えぇ、あなた様はお嬢様の問題を解決されたばかりか、大旦那様の御命を救われました。このくらいの事は当然でございましょう」
「既に破格の待遇!? ただ盗賊を叩きのめしただけなのに……」
あまりの待遇の良さに、ゼロスはただ恐縮するばかりであった。
「何を仰います。あなた様は稀代の魔導士にして、最高の誉れを手にされたのですぞ? 逆にそのような方をおもてなしせずにお返ししたとあれば、我が公爵家の名折れでございます」
「……何か、エライ大事になっている気がするんですけど……」
「この程度の事など些細な問題ですよ。あなた様はそれ以上の事をなさったのですから」
ゼロスがした事と言えば、盗賊を撃退した事と魔法式を改良しただけである。
ただそれだけの事が、まさかここまで待遇が良くなるとは思ってもみなかった。だが、これが当事者からの視点で見ると話は変わってくる。
いつまでたっても魔法が使えないセレスティーナは魔法が使えるようになり、クレストンからすれば自分だけではなく、最愛の孫娘の命を救ってもらったばかりか問題も解決したのだ。
ついでに孫娘のレベルを上げ、更には家庭教師を引き受けてくれると言う。しかも、魔導士の頂点である大賢者にだ。彼等にしてみればこの待遇すら物足りないと思っている。
完全に価値観の異なる齟齬から生まれた事であった。
「とんでもない事になっている気がする。たかが一介の家庭教師ですよ? 僕は……」
「各地を転戦した実力派の大賢者と聞いておりますれば、この程度では採算には合いません」
「ただの趣味に没頭した馬鹿者なだけですから、そこまで恐縮されても困りますよ」
ここでもゼロスは大きな勘違いをしていた。
そもそも魔法文字で構築された魔法式は、未だ解読する者がいない未知の領域。それを理解し、更に現存の術式を最適化するなど今の魔導士には不可能であった。
彼等の研究とは、現存する魔法式に適当に魔法文字を組み込み、それが発動するか否かを判別するだけのものなのである。
そんな世界に魔法文字の意味を理解し、物理法則を組み込んだ上で更なる強化をするだけでなく、自らのオリジナル魔法を使いこなす魔導士など世界が見逃す筈がない。だが、そんな権力抗争を毛嫌いしているからこそ、クレストンはこうして出来る限り質素にもてなしていたのだ。
そのもてなしに、一般人と貴族の間に大きな溝がある事は知らないようだが……。
何にしても屋敷でのゼロスの自由は約束されてはいるが、それに気付くほど彼は権力者に詳しくはなかった。自分の事だけで手一杯なのだ。
「それと、こちらは着替えになります。我等使用人の衣服で申し訳ございませんが、何卒ご了承ください」
「いえ……重ね重ねの御厚意、ありがたく頂戴いたします」
「これから夕食となりますが……。その、湯浴みをした方が宜しいでしょう」
「湯浴み? お風呂があるんですか!? マジで……」
「勿論ですとも。その……些か御体が汚れているようでして、湯浴みをして綺麗になされた方が宜しいかと」
「そうですね。三日前に河で体を洗う程度しか出来ませんでしたから、お風呂で汚れを落とすのは実にありがたい。直ぐに入れるのでしょうか?」
「はい。ところで、湯船に浸かる作法などは、御存じでしょうか?」
「知っていますよ。湯船の前に体を洗うのは常識です」
風呂は貴族の贅沢とされ、一般市民は公衆のサウナで汗を流し、水風呂に入るのが通例であった。
ましてや風呂に入るための作法を知っているとなると、それなりに裕福な立場と考えられる。
この時点で、ゼロスは風呂に入れるほど裕福な生まれとみなされたのであった。
そんな事を思われているとはつゆ知らず、おっさんはただ感無量だった。
「では、ご案内いたしましょう」
執事に連れられて向かう先は、一階の奥まった場所であった。
どうやら屋敷の主がこの場を利用するために、回廊には柔らかい絨緞が敷かれていた。
所々に飾られている絵画に目を奪われながらも、ゼロスは浴場に到着する。
「ここが浴場になります。旅の疲れを存分にお癒しください。タオルはこちらになります」
「ありがとうございます。いやぁ~、風呂は命の洗濯ですよ。久しぶりにゆっくり出来そうだ」
嬉々として脱衣所に向かい、ゼロスは着ている装備を外してインベントリーに収納すると、タオル一枚を持って浴場に入った。
浴場は品の良い彫刻と僅かな植物で飾られ、どこかの温泉にでも来た気分になる。
だが、そこには既に先客がいた。
「あっ………………」
「えっ!?」
今正に湯船から上がろうとしたセレスティーナと、全裸のおっさんが鉢合わせしてしまった。
「「………………………………」」
一瞬だろうが、長く感じるような沈黙が流れた後……。
「い、いやぁあああああああああああああああああああああああああっ!?」
「な、何でだぁあああああああああああああああああああああああっ!?」
当然、両者の悲鳴と叫び声が上がった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ダンディスさん? 何をなさっているのですか」
ふいに女給に声を掛けられた執事……ダンディスは振り返ると、そこにはセレスティーナお付きの女給が困惑した顔で彼を見ていた。
「私ですか? 御客人を浴場にまでご案内差し上げたところですが……何か?」
「えぇ─────────────っ!?」
驚愕の声を上げる女給に、ダンディスは一抹の不安を感じる。
「な、何か、不味かったですかね?」
「い、今は……浴場は、セレスティーナ様がお使いになっておられるのですが……」
「何ですとっ!? まさか……」
その時、浴場から響く少女の悲鳴とおっさんの叫びが聞こえる。
「「…………………………」」
少しの不注意で気まずい関係を作り上げてしまった。
浴場に駆け込もうにもどちらも全裸であり、この二人も入るに入れない。
その後、泣き続けるセレスティーナを、ダンディスと彼女が必死に宥める事になった。
ついでにエキサイトする爺馬鹿の説得もだが……。
この日の夕食は何の味もしなかったと、後にゼロスは溜息を吐いて語ったという。
~試し読みはここまでとなります。続きは書籍版でお楽しみください!~
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