第三話 おっさん、少女の悩みを解消す (1)

 ゆっくりと進む馬車に揺られ、ゼロスは教本の魔法術式を展開し、余分な部分を削除し、同時に必要なものを組み込んでいく。

 馬車の中では空中に浮かぶ魔法式が幻想的な光景を生み出し、その傍らで文字が消え、あるいは継ぎ足される事で形を変えていく。その工程は信じられないほど速く進み、セレスティーナにとっては初めて目にする未知の体験で、その瞳を大きく輝かせていた。

 そんな孫娘を見てホクホクしている祖父のクレストンは、この出会いを内心で神に感謝していた。

 もっとも、魔導士は常にことわりを追求する人種なので、心から神を信仰している訳ではない。

 人間は最も調子の良い種族なのかもしれない。

「ふむ……チェックは完了。後は使ってみる事かな。試してみますか?」

「この魔法は……【灯火トーチ】ですか?」

「そう、誰もが簡単に使える魔法を最適化したもの。魔力消費を極力抑え、同時に外部魔力を取り込む事に重点を置いてみました」

「外部魔力というのは何じゃ?」

「自然界に滞留する魔力の流れのようなものです。この魔力を自身の魔力で呼び寄せ、術式の現象を引き起こすのですが、ここに記載されている術式は全て個人の魔力で行う事に限定されているようでして、魔導士の負担があまりに大きいようですね」

「待ってください。魔法式とは個人の保有する魔力で事象を変質させ、物理現象を引き起こすものではないのですか?」

「う~ん。間違ってはいないけど、正解でもないね。術式はあくまで自然界の魔力を利用するためのものであって、個人の魔力だけで発動すれば直ぐに枯渇してしまうんだよ。俗に言われる【魔力切れ】という状態だね」

 どうやら、この世界の魔法はゲームの設定よりも遅れているとゼロスは感じた。

 自然界の魔力の総量は世界の中では常に一定で保たれており、異なる変質を遂げたとしても僅かな時間で元の魔力に戻り拡散する事になる。現象として変化したとしても、変わったのは性質だけで魔力は変わらず存在し元に戻るのだ。その性質変化を利用する事で敵に攻撃を加える事が可能となり、同様に攻撃から身を守る事が出来るのが魔法である。中には精神に干渉する魔法も存在するが、体内魔力が変質し続けるだけで、いずれは解除される。

 物事には変異する物質から元に戻ろうとする現象が存在するように、魔力もまた元に戻ろうとする特性が備わっているのだ。ただ、体内魔力は外部に放出されると元に戻るのに時間が掛かるため、実際に肉体に変調を来す事が多い。故に外部魔力を利用するための呼び水として体内魔力の消費量を抑え、その効率を手助けするのが術式であった。しかし、この世界でも術式を研究している魔導士がいる筈なのに、このような不完全なものを他者に教える事自体おかしい事になる。

「まぁ、偶然にしろ意図的にしろ、この術式が欠陥を抱えている事に間違いないのは確かですよ」

「魔法式でそこまで分かるなんて……凄いです」

「そこまで優秀なのに、何故国に仕えようとせぬ。……才能が勿体ないではないか」

「面倒な事もありますけど、一番の理由が権力争いに利用されるのが嫌だからですかねぇ。何かの理由で命を狙われるような事態は避けたいですし、厄介な事に巻き込まれるのは遠慮したいので」

 国に仕える魔導士には、国王よりも師に絶対服従の面が強い。

 幾ら有効的な魔法を開発しても、師でもある人物が否定すればそれまでであり、中には研究成果を奪う痴れ者まで存在する。そんな連中の仲間入りをするのは死んでも御免だが、ゼロスはこの世界で生きねばならない以上、余計な争い事からは無縁でいたかった。

 特にラノベなどの娯楽作品を読むと、そうした権力者は必ず描かれており、実際に歴史上の観点から見ても野心的な権力者は必ず存在している。

 現実に置き換えても決してあり得ない話ではない。

「確かに……そういう側面はあるのぉ。最近の魔導士は人の研究成果を派閥に所属しているからという理由で自分のものにして、その成果が誤りだと分かると途端に当人に責任を擦り付けよる」

「だから後継者だけに魔法の術式を伝える習わしがあるのですね。ですが、後継者がいなければ、研究した魔法そのものが途絶えてしまうのではないでしょうか? ゼロス様はそれで宜しいのですか?」

「僕の研究成果は危険なものが多いからね、迂闊に教えられるようなものではないんだよ。多分、理解すら出来ないでしょう……。別に歴史に消えても構いませんよ。寧ろ人に伝えるのは危ないものばかりですから問題はないかな。魔法研究は趣味の範囲ですしね」

 オンラインゲーム時に製作した魔法は危険度が高く、実際に使用してその威力を目にしたので人に伝える事は出来ない。それ以前にこちらの学問のレベルは著しく低いようである。

 何故ならこの世界において、炎の魔法の最極点に位置するのは蒼い炎と言われているが、これはただの燃焼する空気量が変わり高温に変質したというだけの話だ。極めて単純な物理現象であり、さほど驚くべき事ではない。

 例えばゼロスの魔法である【黒雷弾】。これは魔力を圧縮したために光すら歪める重力場が発生し、貫通した瞬間に体内で重力力場をエネルギー変換させる事により、敵を内側から焼き尽くす。

 ほんの僅かな攻撃と瞬間的な変換により、その性質や効果が極端に変わる事で威力と攻撃力を高める。魔力変質を利用した悪質で凶悪な攻撃なのだ。術式だけでも相当の量に上り、理解するどころか解読する事すら不可能に思えるほど精緻であった。

「そんな訳で、迂闊に教えたら何に使われるか分かったものではありません。自分で使う分には自己責任ですから構わないのですが、国となると戦争に使用される可能性が……」

「なるほど、確かに危険過ぎる話じゃろうて。どれほどのものかは分からぬが、戦ともなれば地獄絵図しか見えぬ」

「下手をしたら、多くの人達が犠牲になってしまいますね。……考えただけでも怖いです」

「多少の道筋くらいなら、分かる範疇で教えても構わないんですが、完成した魔法は悪質で危険過ぎますから、伝えたくはないんですよ」

「賢明な判断じゃな。ウチの馬鹿共に見習わせてやりたいところじゃ」

「よし、二つほど最適化が完了。じゃあ、さっそく使ってみましょうか?」

「えっ!? 早過ぎませんか?」

 教本とは言え、魔導書は外部から書き換える事が可能である。

 使われているのは魔紙で特殊なインクを用いて魔法式が描かれており、魔力を流す事でそこに書かれた魔法式が浮かび上がる。【魔力操作】で魔法文字を操作する事で書き換えが可能で、同時に魔導士は潜在意識イデア領域内に魔法陣を刻む事が出来る。

 ゼロスが書き換えた魔法術式をイデアに刻み込めば、セレスティーナもその魔法が使えるようになるのだが、使ってみるにしても馬車の中は狭過ぎる。

 車内で使用出来る魔法は限定されるので、おっさんは簡単な魔法をチョイスする事にした。

「無論、【灯火トーチ】の魔法ですよ。流石に馬車の中で【ファイアー】は危険だからね。これを長時間掛けて一定のまま火を燈し続ける事で、魔力操作を覚えられます」

「魔力操作ですか? それはどのようなものなのでしょう。スキルですか?」

「簡単に言えば……そうですねぇ~。火球を魔法で生み出したままで一定時間その状態を維持し続ける事が可能になるかな。慣れれば発動した魔法を自分の意思で消す事も出来る便利さ、魔導士には必須スキルだよ。ある程度極めれば無詠唱で魔法が使えるようになるし、魔法式の書き換えも出来るようになるでしょうね」

「うむ、基本じゃな。ティーナは、今までそれが出来ない状態じゃったからのぅ」

「間違った場所に撃ち込んだとしても、魔法を操れれば威力を保ったまま敵に再び向ける事が可能。範囲攻撃は無理ですがね」

「それは……放った魔法を自分の意思で自在に操れるようになる、という認識で良いのですか?」

「概ね正解。まぁ、魔法は長時間存在出来ないから、顕現している時間帯だけの話ですがね」

「それは凄いです!」

 もの凄く目をキラキラさせて、セレスティーナはゼロスに迫る。

 それを見ている祖父は実に微笑ましそうに、且つゼロスに嫉妬の籠った視線を向けていた。

 何とも忙しそうな祖父であった。

「では、試しに【灯火トーチ】を使ってみましょうか。魔力操作のレベルを上げて、無詠唱で魔法を発動出来るようになるのが理想かな」

「はい! 頑張ります」

 セレスティーナは力強く頷くと、さっそく修正した魔法術式を潜在意識イデアの中に刻み込む作業に入る。魔導書に手を当て魔力を流す事により術式を顕現させ、その術式を用いて体内魔力を媒介にし、イデアへと刻み込む作業だ。外部魔力では直ぐに拡散してしまうが、生きている限り体内魔力は常に存在し、たとえ魔力枯渇で倒れたとしても消滅する事はない。

 生物は常に魔力を生成し続け、活動する事によって細胞内に魔力を巡らせ消費する。魔力が枯渇したとしてもあくまで魔術を使う分が減っただけで、生きるのに必要な魔力は僅かに残される。

 ある意味、体内魔力は生命力と言い換えても良いだろう。

 魔導士の中には無茶な魔法を行使して命を落とす者もいるが、これは魔法術式が不完全な事と、肉体を破損させるほどの無謀な行為の結果起こる現象であった。

 ゲーム内で経験したり、設定で知っている情報が合っていなければ、下手をすれば自身が吹き飛んだり、運が良くて廃人になる可能性が高い。まだ、ゼロスは知らない事だが、こうした実験には犯罪者が被検体にされ、歴史の裏で消えて行くのである。

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