第四話「師匠」 (1)

 三歳になった。

 最近になって、ようやく両親の名前を知った。

 父親はパウロ・グレイラット。

 母親はゼニス・グレイラット。

 俺の名前はルーデウス・グレイラット。

 グレイラット家の長男というわけだ。

 ルーデウスと名付けられたわけだが、父親も母親も互いに名前を呼び合わないし、俺のことはルディと略すので、正式名称を覚えるのに時間が掛かったのだ。


    ★ ★ ★


「あらあら、ルディは本が好きなのね」

 本を常に持って歩いていると、ゼニスはそういって笑った。

 彼らは俺が本を持っていることをとがめなかった。

 食事中も脇に置いているし。だが、魔術教本は家族の前では読まないようにしていた。

 能あるたかつめを隠す、というわけではないが、この世界における魔術の立ち位置がわからない。

 生前の世界では、中世に魔女狩りというものがあった。

 魔法を使う者は異端で火あぶりというアレだ。

 さすがにこんな本が実用書として存在しているこの世界で、魔術が異端ということはないだろうが、あまりいい顔はされないかもしれない。

 魔術は大人になってから、とかいう常識があるのかもしれない。

 なにせ、使いすぎると気絶するような危ないものなのだ。

 成長を阻害させるとか思われているかもしれない。

 そう思ったので、家族の前では魔術のことは隠している。

 もっとも、窓の外に向かって魔術をぶっ放したこともあるので、もうバレてるかもしれない。

 しょうがないじゃないか、射出速度がどれだけ出るのか試したかったんだから。


 メイド(リーリャさんというらしい)は、たまに険しい顔で俺を見てくるが、両親は相変わらずのほほんとしているので、大丈夫だと思いたい。

 止められるのならそれでもいいが、成長期があるとして、それを逃したくはない。

 才能は伸びる時に伸ばしておかないとび付いてしまう。

 今のうちに使えるだけ使っておかなければ。


    ★ ★ ★


 そんな魔術の秘密特訓に終止符が打たれた。


 ある日の午後だった。

 そろそろ魔力量も増えてきたし、中級の魔法を試そうと、軽い気持ちで水砲の術を詠唱した。

 サイズ:一 速度:〇。

 いつもどおり、おけに水がまるだけだと思っていた。

 ちょっとあふれるかもね、ぐらいには考えていた。

 そうしたら、すさまじい量の水が放出されて、壁に大穴が開いた。

 穴の縁から、ポタポタと水滴が地面に落ちるのを、俺はぼうぜんと見ていた。

 呆然としながらも、どうにかしようとは思わなかった。

 壁には穴が開き、間違いなく魔術を使ったとバレる。

 それはもうしょうがないことだった。

 俺はあきらめが早いのだ。

「何事だ!! うおあっ……」

 最初にパウロが飛び込んできた。

 そして、壁に開いた大穴を見てあんぐりと口を開けた。

「ちょ、おい、なんだこりゃ……ルディ、大丈夫なのか……?」

 パウロはいい奴だ。

 どう見ても俺がやったようにしか見えないのに、俺の身を案じているのだから。

 今も「魔物……か? いやこのへんには……」などとつぶやいて、注意深く周囲を警戒している。

「あらあら……」

 続いてゼニスが部屋に入ってくる。

 彼女は父親より冷静だった。

 壊れた壁と、床の水たまりなどを順番に見ていき、

「あら……?」

 目ざとく、俺の開いていた魔術教本のページに目を留めた。

 そして俺と魔術教本を見比べると、俺の目の前でしゃがみこんで、優しげな顔で目線を合わせる。

 怖い。

 目の奥が笑ってない。

 泳ぎそうになる目線を、必死にゼニスに向ける。

 俺はニート時代に学んだのだ、悪いことをして開き直ってくされても、事態は悪化する一方だと。

 だから、決して目をらしてはいけない。

 こういう時に必要なのは、しんな態度だ。

 目を合わせて逸らさない、というのはそれだけで真摯に見える。

 内心でどう思っていても、少なくとも見た目は。

「ルディ、もしかして、この本に書いてあるのを声に出して読んじゃった?」

「ごめんなさい」

 俺はこくりとうなずき、謝罪を口にする。

 悪いことをした時は、潔く謝ったほうがいい。

 俺以外にやれる奴はいない。

 すぐバレるうそは信用を落とす。

 生前はそうやって軽い嘘を重ねて信用を落としていったものだ。

 同じ失敗はすまい。

「いや、だっておまえ、これは中級の……」

「きゃー! あなた聞いた!! やっぱりウチの子は天才だったんだわ!!」

 パウロの言葉を、ゼニスが悲鳴で遮った。

 両手を握って、うれしそうにぴょんぴょんと跳んだ。

 元気だね。

 俺の謝罪はスルーですかい?

「いや、おまえ、あのな、だって、まだ文字を教えてな……」

「今すぐ家庭教師を雇いましょう!! 将来はきっとすごい魔術師になるわよ!!」

 パウロは戸惑い、ゼニスは歓喜している。

 どうやら、ゼニスは俺が魔術が使えたのが嬉しくてしょうがないらしい。

 子供が魔術を使っちゃいけないとかは、俺のゆうに過ぎなかったらしい。

 リーリャは平然と無言で片付けを始めている。

 恐らく、このメイドは俺が魔術を使えることを知っていたか、薄々感づいていたのだろう。

 別に悪いことじゃないから特に気にも留めなかっただけで。

 あるいは、この両親が歓喜するところを見たかったのかもしれない。

「ねえあなた、明日にもロアの街で募集を出しましょう!! 才能は伸ばしてあげなくっちゃ!!」


 ゼニスは一人で興奮し、天才だの才能だのと騒いでいる。

 いきなり魔術をぶっぱなしたぐらいで天才ときた。

 親馬鹿ってやつなのか、中級魔術を使えるのがすごいことなのか、判別がつかない。

 いや、やはり親馬鹿だろう。

 俺はゼニスの前では魔術を使う素振りは一切見せなかった。

 なのに「やっぱり」なんて言葉が出てくるということは、以前から俺が天才かもしれないと思っていたのだ。

 根拠も無く……。


 ああ、いや。

 心当たりがあった。

 俺はひとりごとが多い。

 本を読んでいる時でも、気に入った単語やフレーズをボソボソと呟いてしまうことがある。

 この世界に来てからも、本を読みながらボソボソとひとりごとを口にしていた。

 最初は日本語だったが、言葉を覚えてからは無意識にこの世界の言葉を使うようになった。

 そして、ひとりごとを聞いたゼニスは「ルディ、それはね──」と、単語の意味を教えてくれるのだ。

 おかげで、この世界の固有名詞も結構憶えることができたのだが、ま、それはおいておこう。

 誰も何も言わなかったが、俺はこの世界の文字を独学で覚えた。

 言葉も教えてもらっていない。

 両親からしてみれば、我が子は教えてもいないのに文字を読み、本の内容を口に出してしゃべれる、という認識をされていたのだろう。

 天才だろう。

 俺だって自分の子供がそんなんだったら天才と思う。


 生前、弟が生まれた時もそうだった。

 弟は成長が早く、何をするのも俺や兄より早かった。

 言葉を喋るのも、二本の足で歩くのも。

 親というのはのんきなもので、何かを子供がする度に、「あの子は天才じゃないかしら」とのたまうのだ。それが大したことではなくとも。


 まぁ、高校中退のクズニートだったとはいえ、精神年齢は三十歳以上だ。

 それぐらいには思われないとやるせない。

 十倍だぞ十倍!!

「あなた、家庭教師よ!! ロアの街ならきっといい魔術の先生が見つかるわ!!」

 そして、才能がありそうと見るや英才教育を施そうとするのは、どこの親も一緒らしい。

 生前の俺の親も弟を天才だと持てはやして、習い事をたくさんさせていた。

 というわけでゼニスは魔術師の家庭教師を付けることを提案したのだが。

 これをパウロが反対した。

「いやまて、男の子だったら剣士にするという約束だったろう」

 男だったら剣を持たせ、女だったら魔術を教える。

 生まれる前にそういう取り決めをしていたらしい。

「けれど、この歳で中級の魔術を発動できるのよ!! 鍛えればすごい魔術師になれるわ!!」

「約束は約束だろうが!!」

「なによ約束って!! あなたいつも約束破るじゃない!!」

「俺のことは今は関係ないだろうが!!」

 その場で夫婦げんを始める二人。

 平然と掃除するリーリャ。

「午前中は魔術を学んで、午後から剣を学べばいいのでは?」

 口論はしばらく続いたが、掃除を終えたリーリャがため息混じりにそう提案することで、口論はやんだ。

 そして、馬鹿親は子供の気持ちを考えず、習い事を押し付ける。

 ま、本気で生きるって決めたし、いいんだけどね。

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