3-10


「お、遅れてすいません……――おえっぷ」


 汗だらだらの格好悪い姿で保育室に駆け込むと、そこにはえみるさんそしてジャージ姿の蛍さんがいた。園長の仕事を放り出して、オレの代わりに子ども達を見てくれていたようだ。申し訳ない。


「だ、大丈夫なの、鈴振君?昨日のこと、大変だったって聞いたけど……」

「いえ、心配しないで下さい。もう吹っ切れたんで」


 えみるさんから噛みつき事件の概要は聞いたのだろう。政府直々のお呼び出しだったとはいえ、一大事に責任者の自分がいなかったことを悔いているようだ。


「でも、目の下にくまが……」

「ああ、これは……飲み過ぎて寝不足なだけです」


 誤魔化しじゃなくて本当なのが、実に締まらない。仄かに酒臭さも放っているので、ダメ人間感がすごいだろう。普段は大して飲まないタイプなんで許して下さい。


「じゃあバトンタッチするけど、困ったらいつでも言ってね?」


 と言い残して、蛍さんは園長室に戻っていった。やはりオレが思いつめているのでは、と気掛かりなようで、後ろ髪引かれるように何度も振り返っていた。ストレス故のアルコールじゃないんで、大丈夫ですから、ホント。むしろ気にしないでもらいたい。恥ずかしいので。


「鈴振さん……」


 続いてえみるさんが、伏せ目がちにやってくる。自信なさげなのは相変わらずだが、一晩たって落ち着いたようだ。エプロンの端を強く握るその手は震えていない。


「私、諦めません!鈴振さんと一緒に、もっともっとお仕事を頑張りたいです!」


 決意を新たに、その瞳は真っ直ぐオレを見据えていた。

 昨日の熱い説得が効いたのか、それとも自力で立ち直ったのか。どちらか分からないが、行き着く先が同じなら問題ない。

 一緒に働けるのなら、それだけで最高だ。


「ああ、オレもそう思ってる」


 保育士同士、これからも子どものこと異種族のことで悩み続けるだろう。でも志を共にする仲間がいれば安心だ。どんな険しい獣道や悪路でも、きっと突き進んでいける。

 それにいつか、二人の距離も縮まって、この関係も進展するはず……。


「ちょっと、せんせー。うわきはダメっていったよねー?」

「すねいぐっ!?」


 しかし案の定、そこにハーブちゃんの尻尾が一閃。すねに叩きつけられて、しびれるような激痛が走った。

 やっぱり、この子がいる限り、えみるさんとの距離は変わらないのかもしれない。逆にハーブちゃんとの関係があらぬ方へ変化しかねないかも――


「何度も言うが、君とは恋人じゃないからね。浮気でも何でもないから」

「ひどいーっ!わたしとはあそびだったんだーっ!」

「あ、コラ!誤解される言い方はやめろって!」


 ――いや、それはないな。

 彼女とは先生と子どもの関係、それ以上でも以下でもない。


「あさからニャにやってるニャ、ふたりとも……」


 呆れたような声の主はキャルトちゃん、丁度登園してきたところのようだ。噛まれた右腕は包帯がぐるぐる巻きで、花柄のキラキラ光るシールが幾つも貼ってある。そこまで厳重にするケガではないしデコる必要もないのだが、母親の過保護っぷりが窺える。


「おはようキャルトちゃん……と、マオさん」


 娘の後ろには年齢に合わない、シール同様の花柄たっぷりな服を着たマオさんがいた。事情を知らなければ年齢を感じさせない可愛さに目を奪われるだろうが、オレは責め立てる怒号と剣幕を思い出してしまい、思わず固唾を呑んでしまう。


「き、昨日は……ごめんなさいニャン……」


 が、マオさんは打って変わってしおらしくなっていた。どうやらこちらも、一晩たって冷静になったらしい。ぺこりと頭を下げている。


「いいんですよ。大事な娘のことですもんね」

「ですよね!うちのキャルトの可愛さは世界一!さすが、ママの血を引いているだけあるニャ!」


 少し過激なところはあるが、それも娘が大好きが故の行動なのだろう。若干、というか相当自己愛も強いようで、自身の可愛さも追求している傾向が、玉にキズかもしれないが。

 今後もマオさんとは意見が衝突するかもしれない。が、それでもめげずに付き合っていこう。オレだってマオさんだって、何が正しいのか分からない。ああでもない、こうでもない、と模索している最中なのだから。


「うちのママのこと、ごめんニャ」


 マオさんが去った後、キャルトちゃんは珍しく謝罪の言葉を口にした。母親と同じ仕草で、ぺこり。本当にそっくりだ。


「ママったらしんぱいしょうで、おもいこみはげしいんだニャ」

「だろうな」

「でも、ロリコンってよんでるのは、キャルのきもちニャ」

「だろうな……――って、オイ」


 意味も知らずに真似して言っていたんじゃなかったのか。それなら余計に性質たちが悪いわ、コラ。


「ママが言っていたからって訳じゃなかったら、何でオレがロリコンだって思っているんだよ?」

「だって……イチャイチャしてるから」

「は?」

「キャルだって、ハーブちゃんとイチャイチャしたいニャ!」


 ああ、そういうことか。 

 キャルトちゃんがオレを目の敵にするのは、友達を横取りしているように見えるから。それだけなんだ。親の意見なんて関係ない、ただ子どもらしい嫉妬心が原因だったらしい。

 まったく、いい迷惑だ。絡んでくるのはいつもハーブちゃんからだし、道行くカップルみたいに相思相愛でもない。だから安心してほしい……が、そう言って分かる子でもなさそうだ。


「いいか?ロリコンってのは、子どもとお付き合いしたがるようなヤツなんだよ。つまり、オレは違うってことだ」

「ハーブちゃんとこいびとごっこしてるニャ」

「それ、一方的だから」

「でも、キスしたって聞いたニャ」


 うん、それは事実だけれども。同意なく無理矢理奪われただけだから。大人が言うのもアレだが、オレに非はないはずだ。

 というか、何余計なことを言っているんだ、あのラミアっ子は。オレの罪状が勝手に増えていくからやめてくれ。


「そーだよーっ。したんだよね、せんせーとじょーねつてきなキ・ス❤」

「やっぱりじゃニャい!」

「あれはハーブちゃんが勝手に――ギャアアアアアッ!?」


 鋭い爪で顔面を網目状に引っかかれたのは言うまでもない。

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