3-8


 気付けばオレは、かつての恩師に電話を掛けていた。今の仕事を薦めてくれた、六多部教授だ。完全に無意識で、助けを求めていたのかもしれない。


『あぁ、鈴振か。どーした?』

「いえ、ちょっと相談事というか、なんというか……」


 受話器越しで久しぶりに声を聞いて、少し気分が楽になる。学生時代に時が戻ったようだ。この酒焼けした声を毎日のように聞いていた日々が懐かしい。


『はっ。どうせ仕事が行き詰まったとか、そんな話なんだろ?』

「うっ……ご名答です」

『よーし、分かった。あたしが行くから、お前は家で待ってな』

「……は?」


 何が分かったのか、六多部教授は一方的に通話を切ってしまった。

 どうも嫌な予感がする。学生の頃も、思いつきでやらかした、みんなで大迷惑した事件があったはずだ。

 確か、ゼミのメンバー全員が初めての実習が終わり、満身創痍で帰ってきた時のこと。肉体もメンタルもボロボロになった生徒に、「反省会」という名目で研究室に呼んだのだが、ただの酒盛りと化して大学、そして法人上層部から大目玉を食らったんだ。しかし首謀者且つ酔いつぶれた教授は、一切悪びれないで笑い飛ばすという始末。あの時は疲れとアルコールのせいで気分最悪だった。他にも酒関係でやらかした話はあったはずだが、詳しく思い出すのも面倒臭い。というか掘り起こしたくない話題だ。

 六多部教授は「心の傷はアルコールで治る」が信条のようで、お悩み相談の時は大抵酒を持ち出す。相手を思う気持ちは本物だろうが、半分くらいは酒の肴にするつもりなんじゃないだろうか、と疑いたくなる。

 となると、今の電話で同様の行動をする可能性は大いにあり得るのだ。否、ほぼ確実だろう。


「おらーっ!ここを開けろ鈴振ーっ!」


 そして三十分後、その予想は的中。教授は借金取りの如く、自宅の扉をガンガンけたたましく叩くのだった。マンションなので近所迷惑だからやめてほしい。せめてインターホンを使ってくれ。


「あ、開けますから、ちょっとは待っていて下さいよ!」

「うおらーっ!」


 鍵を開けた瞬間、扉を蹴破って派手に乗り込んでくる。とてもじゃないが、優秀な学者とは思えない野蛮極まる行動だ。着崩した白衣と大量に買い込んだ缶ビールだらけの袋からも、アルコール中毒者にしか見えない。これで業界では引く手あまたというのだから、世の中、変人だらけで回っているのだろう。天才は一癖あるどころか、癖まみれでまともな方を挙げる方が早いのだ。


「……ンだよ、殺風景な部屋だな」

「男の一人暮らしなんて、どこも同じじゃないですか?」


 入って早々、六多部教授は室内を物色する。しかし大した物がないのですぐに興味を失ってしまう。言われた通り殺風景なので、面白味など欠片もない。

 自宅はほとんど寝るために帰る場所だ。弁当作り用のキッチンとベッドさえあれば事足りる。仕事が忙しくて趣味の物なんてほとんど置いていないのだ。おかげでいじられずに済んだので、結果的には良かったのだが。


「とりあえず、まずは一本な」


 床にどっかりと胡座あぐらをかくと、間髪入れずに缶ビールを開封する。かしゅっと小気味良い音が鳴り、きめ細やかな泡が噴き出していた。


「自慢の車で来たんじゃないんですか?」

「あ?今日はここに泊まるからいいんだよ」

「明日は平日なんですけど」

「あたしは一日、講義がないから自由なんだよ。文句あるか?」


 一切の躊躇なく、ぐびっと缶ビールを呷る六多部教授。もしお泊まりを拒否したらどうするつもりだったのか。いや、脅迫してでも居座るのだろう。そういう人だ。こちらの事情なんてお構いなしの、まさに自由人である。もっとも、呼んだのはオレなのでとやかくは言えない。……いやいや、呼んではいないぞ。勝手に来ただけだ。オレは電話をかけたらだけだから、言い訳とかではなく。


「で、相談ってのは何だ?太陽寺が可愛くて仕事に手がつかないってか?」

「ちっ、違いますから!……まぁ、えみるさんにも関係ある話ですけど」


 オレも缶ビールを一本頂き、ちびちび飲みながら本日の失態について話した。六多部教授は豪快に喉を鳴らしてはいるものの、話自体は黙って聞いてくれていた。


「ま、ガーゴイル族じゃあ、湿気は大の苦手だろうな。あいつらの故郷は乾燥地帯で、水と岩じゃあ相性は最悪だよ」

「おかげで大荒れですよ……」


 顎の鍛錬、言語の未発達、湿度の高い環境。

 これだけ不安要素が揃っていれば、いつ誰に噛みついてもおかしくない状況だそうだ。教授曰く、未然に防ぐのは至難の業らしい。新人のオレ達では、遅かれ早かれ起こるべくして起きた事件だった。


「でも、いいんです、ガルベル君のことは。それよりも――」

「異種族相手にやっていける気がしない、ってとこだな?」

「……はい」


 種族間の問題は、大人同士ですら様々な軋轢を生んでいる。多くの企業や地域社会、どこも苦労しているだろう。オレ達の場合、そこに子どもの幼さが加わっており、問題が複雑に絡み合っているのだ。ろくに経験を積んでいない若手がどうにか出来る話じゃない。異種族相手の保育士なんて大役、やり遂げられるとは到底思えないのだ。


「お前はさ、クソ真面目に小難しく考え過ぎなんだよ」


 空になったビール缶をくしゃりと握り潰し、六多部教授は次の一本に移る。言葉に勢いをつけるかのように、アルコールを燃料代わりに胃の中へ流し込んでいく。ぐびぐびと、あっという間に半分近くを飲み干していた。


「いいか?『異種族文化』が専門のあたしが言うのもどうかと思うが、一旦種族の枠組みを取っ払って考えるんだよ」

「でも、うちの園児は十一人十一色っていうか……」

「そんなの、生き物なんだから当たり前だろうが。あたしが言いたいのは、お前の頭ン中の話だよ」


 教授は人差し指を立てると、オレの額にぐりぐりと押し付けてくる。丁度、以前シュヴァリナちゃんに蹴られた場所だ。ゴテゴテに盛られたネイルが食い込んで痛い。

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