3-7


 ニャットシー親子が帰る頃には日もとっぷりと暮れており、園内は昼間の喧騒が嘘のように静まりかえっていた。しとしとと降る小雨の音だけが耳に届いている。子ども達は全員帰ったようで、保育室を覗くと、掃除をしているえみるさんが一人残っているだけだった。


「……ガルベル君の方は、どうだった?」


 気掛かりなのは加害者であるガルベル君と、その保護者の反応だった。クロードン家はシングルマザーの家庭で、普段から子育てに不安を抱えている様子であり、他の子に危害を加えたと聞いてどう思ったのだろうか。


「すごく、怒ってました。……ガルベル君のこと」

「……そうか」


 マオさんのように逆上しなかったのは幸いだった。酷い家庭になると、加害者側なのに責任転嫁してくる。オレは遭遇した経験はないが、最悪な事例としてよく聞かされていた。うちの園にいなくて、本当に良かったと思う。

 しかし、怒りの矛先が全て息子に向いているというのも心配だ。過剰に叱責するとストレス過多になり、噛みつきが余計悪化しかねない。オレが噛まれる分にはまだマシだが、再びキャルトちゃんに噛みつかれたらまた大事だ。ほどほどにしてもらいたいところだ。

 今回の噛みつきはこの国特有のものである季節の変化、そして種族の特性が絡んだ相乗効果が引き起こした失態。相手を傷つけてしまったのは悪いことだが、頭ごなしに否定するのは悪手だ。両者の保護者にどう説明したら納得してもらえるのか、さっぱり思いつかないし、すぐに解決するような問題ではないのだが。やはり段階を追って、少しずつ理解してもらうしかないだろう。


「鈴振さん……ごめんなさい!」

「えっ」


 突然、えみるさんが深々と頭を下げた。腰をほぼ九十度に曲げて、許しを請うように。


「私……いつも任せっぱなしで、マオさんの対応も、鈴振さんに押し付けちゃって……!」

「いや、あれはオレのミスなんだから当然だよ」

「それだけじゃないです……毎日の仕事だって、異種族の大変なところを全部やってもらってばかりで……私はただ、子どもを見てるだけ……全然仕事出来ていなくて……!私、ホントに役立たずで……」


 顔を上げたえみるさんの瞳には、今にも溢れそうな涙の輝きがあった。オレに迷惑をかけているんじゃないかと、自分を責めてしまったらしい。

 この三ヶ月弱を振り返ってみると、確かに問題児の相手をしていることが多かった。日頃からよく噛まれており、火炎放射やイカスミのぶっかけに、馬の足でド派手なキックも食らった。何より求愛行動をしてくる蛇娘に絡まれっぱなしだ。人間の子ども相手なら、絶対になかったトンデモな触れ合いばかりだった。

 しかし、それはえみるさんのせいじゃない。ただオレが標的になる機会が多かっただけで、責任を感じる必要なんてないんだ。


「私、この仕事……向いてないのかな」

「そんなことない!」


 だから否定する。

 えみるさんが保育士に向いていないのなら、オレみたいな勢いだけで――しかも下心で仕事に就いたヤツなんて、もっとダメな部類なんだから。誰もが怖じ気づいていた異種族のこども園に名乗りを上げた、えみるさんがダメなはずなんてない。


「えみるさんがいるから、オレだって頑張れる。危なっかしい子ども達相手に体を張れるのは、君が支えていてくれるからなんだから!」


 確かに矢面に立っているのはオレかもしれない。問題児と真正面がぶつかる役目になっている気がするのも本当だ。しかし、その後ろでえみるさんがサポートしてくれるからこそ、一癖も二癖もある異種族の子ども相手に仕事が出来るんだ。たとえ仕事ぶりが目立たないとしても、「向いていない」なんて自己評価が低過ぎる。ましてや役立たずなんてはずがない。


「でも、でも……」

「失敗は誰にだってあるさ。オレだって毎日失敗だらけなんだ。それに、今まで誰もやったことのない前代未聞の難題を、オレ達はやろうとしている。だから『向いていない』なんて自分を責めて、諦めないでくれよ!」


 異種族との共存も、子ども達との日々も、まだ始まったばかりなんだ。二度や三度の失敗にめげてなんていられない。

 もしオレ一人でこの仕事に臨んでいたら、きっと一ヶ月も持たなかっただろう。今頃心が折れて、引きこもりまっしぐらだったと思う。だけどえみるさんがいるから頑張れた。オレの心を支えてくれていたからこそ、今こうして保育士としていられるんだ。彼女がいない職場なんて考えられない。それこそ本当の地獄だ。


「う、ひっく……。こんな私のこと、慰めてくれて、ありがとうございます……」

「ほら、そういうところだよ。もっと自信を持っていいんだから」


 結局その後も、自信喪失したえみるさんを慰めながら帰路についた。

 精一杯のフォローをしたつもりだが、何せオレも経験年数がほとんどない、初心者マークピッカピカの新人だ。園長の蛍さんの方が、もっと良い言葉をかけられたかもしれない。上層部への報告……という別件の仕事でいなかったのは、バッドタイミングだったとしか言いようがない。もし不在じゃなかったら、保護者対応だってオレよりうまくやっていたかもしれないのだから。

 こんなシチュエーションだと、行動力のある男なら自宅に連れ込んでいるのだろうか。しかし不甲斐ないオレは、弱みにつけ込んで距離を縮めようなんて卑怯な手には出られないし、思いつきもしなかった。何より、そんな気力がなかったのだ。


「はぁ……」


 自宅のベッドに寝転び、溜息を一つ。

 勢いに任せて偉そうにえみるさんを説得したのはいいが、オレ自身も自信が瓦解しそうな状態なのだ。

 この仕事に就いたのは、きっかけだけ取り出してみれば不純もいいところ。好きな女性を追いかけた、ただそれだけ。それでも漠然と、子どものためになる教育をしたいとか、異種族との共存の架け橋になりたいとか、それなりの目標はあったのだ。

 しかし仕事に打ち込むほどに力不足を痛感し、種族間の溝に愕然とする。自分一人の力がちっぽけで、無意味なんじゃないかと思えてしまうんだ。

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