3-5


「ちょっと染みるぞ」

「うニャッ……!」


 噛まれた時にまず大切なのは、傷口を流水で洗い流すことだ。雑菌が入らないよう清潔にする。応急処置の基本だ。

 桃色の体毛に絡みついた血と唾液を落とすと、出来たてほやほや生々しい傷口が露わになる。皮膚が裂けて朱色の肉が見えており、見事にガーゴイル族の歯型が取れていた。だが傷は表面だけで、出血は既に止まっているらしく、再び血塗れにならずに済んだ。


「次は傷口を冷やさないとな……」


 出血があった以上、噛み跡はしばらく残ってしまうが、冷やすと幾分か抑えられる。傷痕を目立たなくすると同時に、早期に回復させる効果がある。うまくやれば目視で確認出来ないくらい、綺麗に消えてしまうのだ。人間で喩えると、火傷の処置と似ているかもしれない。


「あの、せんせい。よかったらボクが……」


 手当てで大慌てなところに、おずおずとレイカちゃんが現れた。普段は口数の少ないおとなしい子だが、困っている先生を助けたい一心で、珍しく自分から話しかけてきたようだ。応急処置を手伝ってくれるらしい。


「そうか、魔法か!」

「うん……ボクが、ひやす……!」


 フェアリー族は魔法を使える種族で、レイカちゃんの一族は氷属性の魔法を得意としている。弁当の中身が冷凍した果実ばかりで、自分で「追い冷凍」するくらいなのだ。傷口を冷やすにはもってこいの力だろう。



☆六多部沙羅の異種族ワンポイント講座・その十一☆

『魔法』

 この講座も遂に十一回目。題材はまさにファンタジーな単語、魔法だ。

 フェアリー族は古来より体内に魔力を秘めている。その魔力を炎、水、風、土などといった属性に変換して行使出来る。その属性は家系や出身地の環境などで違い、派生もあって多種多様だ。寒冷地帯に住むフェアリー族の場合、自然に抗うのではなく調和する道を選び、環境に合わせて氷属性を身につけた、という興味深い歴史もある。進化の過程における適応が、魔力にも作用したと考えるのが一般的だ。

 魔力とは生命力とほぼイコールの関係で、多くの場合食物の摂取によって蓄えられる。つまり魔法を使い過ぎると生命の危機に繋がるという訳で、濫用はダメ絶対。適度な運用が求められている。魔法文化のない人間からしたら意外かもしれないが、万能な力なんてこの世界にないということだな。



「……どう?」

「ひんやりするニャ~♪」


 腕が凍り付かない程度の出力で、レイカちゃんが傷口を冷やしてくれる。原理は分からないが、かざした掌から冷気が出ているのだ。人間社会という科学世界で生きてきたので馴染みがなく、魔法を使う姿は毎度ながら不可思議だ。魔法学について授業を受けていれば、ある程度は理解出来たのだろうか。オレの頭では難しい講義についていけなかったかもしれないが。


「うちのキャルトが噛まれたって、どういうことニャッ!?」


 その時、保育室の入り口から怒号が聞こえた。口調からしてキャルトちゃんの母親、マオさんが迎えに来たのが分かる。保護者対応をしているのはえみるさんらしい。応急処置にかかりきりなオレに代わり、先程の事情――噛まれた経緯について説明したようだが、その結果責め立てられているようだ。烈火の如き剣幕は、勢い余って爪と牙が出てしまうのでは、とすくみ上がってしまいそうになるほどだ。


「私はこの園を信用して預けたのニャ。それニャのにどうしてケガなんてするのニャ!?」

「も、申し訳あり――」

「女の子ニャのに、ケガが残ったらどう責任とるニャ!?私に似て、と~っても可愛いのに!」


 しかも、我を失うほどにご立腹の様子だ。娘を溺愛するばかり、傷つけられたのが許せないのだろう。親として当然の反応だろうが、えみるさんに非はない。責める相手を間違えている。


「すみません。キャルトちゃんが噛まれたのは、オレの責任です」


 怒り狂うマオさんの前に、オレは立ちふさがる。これ以上無実のえみるさんが責められるのは見ていられない。

 相対すると嫌というほど感じる、マオさんから吹き出る威圧が凄まじい。身体的には人間よりも圧倒的に強者の、ワーキャット族特有の戦闘態勢を表す逆立った毛並みが、荒々しく揺らめいていた。

 鋭く研がれた爪が、キラリと妖しく光っている。


「す、鈴振先生……」

「ここはオレが引き受けますんで、子ども達のこと、よろしくお願いします」


 元はと言えば、二人の喧嘩を止められなかったオレが悪いのだ。事の顛末を説明する責任は自分にある。


「ママ……」

「ああ、こんニャに噛まれて……全く、どうしてくれるのニャ!?」


 噛み跡を見て青ざめるマオさん。まるで自分の体に傷を付けられたくらいに憤慨している。が、ケガとしてはそれ程深くない、至って軽傷の部類だ。もしもっと大ケガをしていたら、怒りのボルテージはどこまで上がってしまうのだろうか。考えるだけで恐ろしい。


「詳しい話はこちらでします」


 オレは別室――来客向けに作られた応接室へ案内する。異種族こども園の計画を進行する政府要人向けに作った、それなりに豪勢な部屋だ。保育士のオレ達が使う機会など数える程度の、無駄に金のかけられた場所。

 移動して話し合うのは、子ども達の前で怒号飛び出す場を見せないための措置だ。多感な時期の子どもに、クレーム対応の現場を見学、なんて教育に悪過ぎる。それに自分の格好悪い姿を見せたくない、という思いがあるのも否めない。

 だが、まさか初めて応接室を使用するのがクレーム対応になってしまうとは、勤め始めの頃は思いもしなかった。きっとお偉いさんに褒められる時に入るのだろう、と淡い期待もあったのだが、見事に打ち破られてしまった訳だ。

 応接室の中には座り心地の良いソファーが、テーブルを挟んで二つ、向かい合う形で備え付けられている。周りにはカップや急須、お茶菓子などが入った棚が並んでいる。が、現状それらに用はない。出したところで手をつける、とは思えなかった。


「ニャんでキャルトが噛まれたのか、ちゃんと説明してニャ!」


 マオさんはどっかりとソファーに腰掛けると、再び威嚇のようにヒステリックな金切り声で叫ぶ。その横に、キャルトちゃんがちょこんと座る。並べて見ると目元やモフモフの癖のある毛並みがそっくりだ。マオさんの方が濃いめの色合いな毛で、両目がオッドアイではないという違いはあるが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る