3-4


 午前、昼食、お昼寝と、どうにか乗り切れた。あとはお迎えの時間を無事に終えるだけ。それで今日一日の業務はコンプリート、もう一踏ん張りだ。

 ろくに外遊びの時間が取れなかったので、子ども達はストレスが溜まっているだろう。それに長時間の保育で疲労もピークに差し掛かっている頃合いだ。喧嘩や事故が多発する、まさに魔の時間と呼べるだろう。気を抜くにはまだ早い。集中しなければ。

 比較的早めのお迎えなネイチル君、セルリラちゃん、シュヴァリナちゃんが帰って、残りあと九人。どうか、何事もなく済んでほしい。


「せんせーは、おっぱいおっきいほうがすきなのー?」

「大きいとか小さいとか、別に気にしてないからね?」

「えー、うそばっかりー」


 もっとも、ハーブちゃんのせいで日々綱渡りなのだが……社会的に。今まで問題にならず済んでいるのが凄い。

 午前中のまな板を寄せた色仕掛け以来、巨乳好きについて根掘り葉掘り聞いてくる。えみるさんばかり見ていて、自分の胸に興味なしだったのが相当気に入らなかったのだろう。ちびっ子の方が好き、という方がよっぽど異常事態の変態なのだが、ハーブちゃんは納得してくれない。

 子どもが好きでこの仕事に就いたが、当然ながら恋愛対象としては見ていない。そもそも異種族相手の職場に飛び込んだのは、意中の相手が就職予定だったからだ。間違っても、異種族の子どもに興奮するなんて、業の深い趣味なんかじゃない。勘違いする輩は後を絶たないが。


「じゃあさー、なんでつきあってくれないの?わたしがラミアだから?」

「先生は大人、君は子どもだからだ」

「こいするのに、ねんれいはかんけーないんだよ?」

「何事にも限度があるの」

「ロリコンじゃなかったの?」

「違うわ!というか、誰からの情報だよ!?」

「キャルトちゃんだけど」

「やっぱりか」


 ずっとオレのことを目の敵にしているキャルトちゃん。男性の保育士というだけで人のことをロリコン呼ばわりして、度々馬鹿にしてくる問題児だ。彼女からロリコンの意味を聞いたのだろうが、勘違いもはなはだしい。まったく、オレを困らせて楽しいのか、二人とも。

 確かに子どもを相手にする職業に就いている男性は、かなりの確率で小児性愛を疑われてしまう。だがそんなの一部の変態だけだ、大多数は真面目に仕事をしている。オレだって……いや、えみるさんを追いかけて就職した時点で、真面目とは言い切れないかもしれない。別に犯罪行為ではないが、下心がなかったと言えば嘘になるだろう。実際、今でもお近づきになるため、日々葛藤しているのだから。

 とにかく、子どもとは誠心誠意向き合っているつもりだ。ちびっ子と恋人同士になる気なんて、もちろんない。天地がひっくり返ってもあり得ないのだ。


「キャルのこと、よんだニャ?」

「呼んではいないが、大体お前のせいだな」

「しつれいしちゃうニャ、このロリコンせんせい」

「お前の方がよっぽど失礼だから」


 気怠けだるそうにのっそりと、キャルトちゃんの登場だ。ハーブちゃんに余計な知識を教えた張本人、オレの悪評を振りまく問題児。頭の中だけは小学校高学年くらいかもしれない。具合が悪いくせに、毒舌っぷりは健在である。


「何度も言うが、先生はロリコンじゃありません」

「じゃあ、どうしてせんせいニャんてしてるニャ?」

「この世の先生がみんなロリコンって考えを、まずは改めてくれないか?」

「へー、ちがうのニャ」

「酷い偏見だな、オイ」


 どこで考え方が歪んだのか分からないが、職業で人を決めつけるのは良くない。特に様々な種族が入り乱れるようになったこの国では、その思考や発言は命取りになりかねないからだ。キャルトちゃんはまだ幼いから多少の発言は許されているが、小学生に上がれば反感を買うこと間違いなしだろう。多様な種の子どもが入り混じるのだから、言葉一つで地雷を踏み抜いてしまう。今のうちに偏見を取り除いておかないと、後々大問題に発展するかもしれないのだから。


「いいか。先生は君達に色んなことを教えてあげ――ぎゃあっ!?」

「ガゥッ!」


 説教しようとしたところに、ガルベル君の鋭い一噛みが突き刺さる。太ももにガッツリ食らいついていた。ジャージを貫通しそうなほど、思いっきり食い込んでいる。かなり痛い。間違いなく痣になりそうだ。

 いきなり噛みついてきたのは、日中十分に遊べず、ずっと部屋に閉じこもりっきりだったせいだろう。不満が限界以上に達したのか、いつもより機嫌が悪そうだ。ルビーのような瞳がギラギラと凶暴に輝いていた。


「ちょっと!ガルベルくん、じゃまニャ!せんせいのあいてはキャルニャ!」

「相手って何だよ。戦ってるんじゃないんだぞ」

「ガゥゥッ!」

「ガルベル君も対抗しないでいいから!」


 ワーキャットとガーゴイルの睨み合い。お互いにオレをストレスのぶつけ先として、溜まったもやもやを発散するつもりだ。イライラしてしまう気持ちは分かる。だが、オレをていの良いサンドバッグにしないでほしい。噛まれたり引っかかれたり、毎度生傷が絶えないのだから。

 このままじゃまずい。そう思った次の瞬間――


「ガゥガッ!」

「どいてニャッ!」

「ふ、二人とも、喧嘩はやめるんだ!」


 ――両者は激しくぶつかり合う!

 オレの制止も振り切って、モフモフっ子と岩石っ子が衝突した。

 それは一瞬、そして勝敗は明白だった。


「ガブゥッ!」

「ニャアアッ!?」


 キャルトちゃんの細い腕に食い込む牙。桃色の体毛を押しのけて皮膚に突き刺さり、じっとりと血が滲んでいた。

 ついにガルベル君がオレ以外を、子どもを噛んでしまったのだ。


「やめろっ!」


 オレは食らいついている顎をこじ開けて、力尽くで引き剥がす。幼いとはいえ、ガーゴイルの咬合力こうごうりょくは人間の成人以上。全力でどうにか開口出来たが、そのせいで両手が血まみれになってしまう。だが、自分のケガを気にしている場合ではない。


「えみるさんっ!」

「は、はいっ!」


 これ以上の被害を防ぐために、ガルベル君をえみるさんに預ける。一度噛みつきをした子どもを放置したら、第二、第三の被害者が出てしまう。一旦周囲から遠ざけるのが一番の対策になる。


「いっ、いたいニャッ!ち、ちがでてるっ……!」

「心配するな、傷は浅い!」


 続けてキャルトちゃんに応急処置だ。

 体毛に血が付着しているが、幸いケガとしては軽度。数日で塞がる程度の浅い傷で済んでいた。

 しかし問題なのは度合いではない。ケガをさせてしまったという出来事そのものがアウトなのだ。

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