3-2


 雨の日のお昼寝タイムは真っ暗だ。ぶ厚い雨雲に覆われて日は差し込まず、電気を消したらまるで夜みたいになる。ばらばらと打ち付ける雨が耳障りなこと以外、睡眠には快適な環境だ。

 それならみんなぐっすり眠れるか思うだろうが、そう簡単な話でもないのが保育の世界。

 午前中に運動をしなかったせいで体力が有り余っており、布団に入っても早々眠れない子どもが多い。寄り添って寝かしつけをしても、もぞもぞ起き上がってしまうのだ。まだ遊びたい、湧き上がるエネルギーを発散したい。そんな気持ちで動き回ってしまう。

 その中でも特に問題児なのがララちゃんだ。


「ねむれませんわ……」

「だろうな」


 朝起きるのが遅く、遅刻するのが日課な彼女なので、生活リズムが崩れまくりだ。成人で言い表すと、昼夜逆転あたりがしっくりくる。

 アシダカ家はアラクネ族の中でもかつて夜行性だったタイプらしく、暗いと目が冴えてしまう体質だ。そのため夜更かしをしがちで明け方近くに入眠、その結果遅刻するという始末。人間社会で生きていくために生活習慣を改善しないといけないそうだが、三ヶ月たとうとするのに全然治っていない。送迎に来てくれるララちゃんの祖父には早めの改善を求めているのだが、親に伝わっているのか疑問が残る。


「あそんでいても、よろしくて?」

「ダメに決まっているだろ」

「だってねむくないんですもの」

「じゃあ、先生が横でずっと寝かしつけてやろうか?」

「それはかんべんねがいますわ」

「じゃあせめて、静かにゴロゴロしていてくれ」


 眠くないのなら、無理して寝なくてもいい。だが他の子はぐっすり体を休ませている最中なので、その邪魔だけはやめてほしい。特に起きると喧しいウィンちゃんや噛みつき魔のガルベル君あたりが起きてしまえば、あっという間にフィーバータイム突入だ。

 誰かが大きな声を出したせいで、みんな起きてしまい滅茶苦茶に。という悲劇は保育の現場ではよくあることだ。オレも実習中に何度も味わった。同じ失敗は繰り返したくない。異種族の団体というのも加味すると、何としても回避したい状況だ。


「きゃっ!?」


 と思ったところに、短い悲鳴が聞こえた。

 それは子どもの声ではなく、同僚のえみるさんのものだった。両手を胸元に当てて怯えている。何か恐ろしい存在を目撃してしまったように、瞳を激しく揺れ動かしていた。


「ど、どうしたんですか」

「あ、あの……そ、そこに虫が……!」

「なんだ虫か。そのくらい……――うげっ」


 絵本が積まれた本棚の後ろから、ひょこひょこと現れる物体。黒光りする油っぽい体に、周囲を探るようにうごめく触角。小判程度の大きさだが、それがもたらす恐怖は絶大。名前も言いたくない、不快感の権化たる昆虫――通称、G。

 見た目も衛生的にも満場一致で一線越えたアウトなヤツが、寄りにも寄って静寂を必要とする安眠の空間に姿を表したのだ。


「私……む、無理ですぅ……っ!」


 ひしっとしがみつき、助けを求めてくるえみるさん。目尻からは怯えによって生まれたしずくがこぼれ落ちようとしている。アレを見るだけでも、精神的なダメージを食らっているようだ。早急に撃退しなければ、えみるさんの身が危ない。あと、二の腕に押し付けられた胸が心地良い……――って、豊満さを堪能している場合じゃない。

 ここは男気を見せて株を上げるべきだろう。えみるさんをGの恐怖から救ったとなれば、かっこよさポイントも鰻登うなぎのぼり。今後の関係進展のためにも、害虫討伐に乗り出さなければ。

 ただ、一つ問題がある。

 オレもGは大の苦手だということだ。

 正直、退治どころか見るのも嫌。目の前にいるというだけで、テンパってまともに思考出来ないくらいに大嫌いだ。そんな情けない弱点、絶対に顔や態度に出すつもりはないが、深層心理の恐れはどうしようもない。内心ビクビクだ。

 しかし、ここでGも倒せないようなへなちょこ男だと思われてしまったら、交際の道は遠く離れてしまう。勇気を出して立ち向かわなければ、明るい未来なんて夢のまた夢だ。


「ひっ!また動いた!」

「あ、安心してえみるさん!オ、オレが何とかしてみせますから!」


 映画のワンシーンの如くビシッと決めようとするが、残念ながら声が上擦ってしまう。Gは刻一刻とこちらに向かっているのに、手をこまねいているばかりだ。やられる前にやらないといけないのに、全く動き出せずにいる。

 そんな時――


「ん」


 ――ドスリ。

 黒光りする体が、細長い鋭角に一撃で貫かれる。Gはしばし藻掻もがいていたが、力尽きて完全に沈黙。

 ララちゃんがクモの足で仕留めたのだ。

 さすが益虫えきちゅう種族の代表、アラクネ族。鮮やかな狩りの瞬間だった。



☆六多部沙羅の異種族ワンポイント講座・その十☆

『益虫種族』

 十回目の講座は、虫タイプの種族に関する話だ。

 アラクネ族の中でも糸を出さない家系は、古の時代、害虫タイプの種族を狩って暮らしていた。夜間のハンティングを得意としており、静かに忍び寄り一撃で捕らえてしまう。そのテクニックはもはや芸術、美学の結晶とも言える。そんな習性が現代の末裔まつえいにも引き継がれており、夜の方が活動的な傾向にあるのはそのためだ。因みにハンティングをする部族は一部残っているものの、多くのアラクネ族は文化的生活をするようになり、昆虫食を他国から輸入するようになっている。街を歩くアラクネ族が急に襲いかかってくる、という根も葉もない噂はあるが心配しなくていいぞ。

 下半身がクモという特異な外見なので、人間の中には生理的嫌悪を抱く者もいるだろうが、むしろ害虫を倒してくれる心強い種族だ。見た目で判断してしまうのが、人間の悪い癖だな。



「まさかソレ、食べないよな?」

「わたくし、そこまでやばんじゃありませんわ」

「だ、だよな」


 ララちゃんは倒したGをさっさと片付けて、体液が付着した足先を入念に洗っている。綺麗好きな性格がよく出ている行動だ。

 害虫駆除してくれたのはありがたい。しかし、オレの活躍の場が奪われたという面もあり、複雑な気分だ。折角株を上げるチャンスだったのだが。もっとも、オレにGが倒せたかどうかと問われると、五分五分だっただろうけど。いや、もっと確率低かったかも。あまり自分の評価を盛っちゃダメだな。


 で、その後のことなのだが。

 案の定、ララちゃんはお昼寝終了直前に眠くなり、無理矢理起こさないといけないハメに。当然眠気から不機嫌さマックスで、大泣き地獄に発展したのだった。


「ねむい~っ!もっとねたいですわ~っ!」


 じゃあ、普通に早く寝てくれ。頼むから。

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