2-10


 昨日の騒動もあり、戸外に出かけるのはしばらくやめることにした。

 なので本日の活動は、園庭で思いっきり遊ぶ、といういつものと変わらぬ内容だ。ただし、普段より長めに時間をとって、ぐっすりお昼寝出来るくらいに疲れてもらう予定。底なしの体力をたっぷり消費してもらおう。

 子ども達は各々好きな遊びを堪能たんのう中だ。アスレチック遊具に登ったり、砂場で山を作ったり。自然観察をしている子もいる。


「ふぅ。今日は一日、平和に過ごせそうだな」


 園の外に出なければ、不測の事態に陥る確率はぐっと減る。昨日の親子との出会いみたいな、目も当てられない展開にはならないはずだ。

 気を付けないといけないのは、子ども達がケガしないように見守ることだけ……とならないのが、うちの園児だ。


「ガブゥッ!」

「痛いわっ!?」


 尻にとがった物が突き刺さるような、鋭い衝撃と激痛が走った。噛みつかれたのだ。ということは、考えられる犯人は唯一人。


「コラ、ガルベル君!噛んじゃダメって言っているだろう!?」

「ガゥゥ……」


 もはや恒例行事と化した、ガルベル君の噛みつき行動だ。ガーゴイル族の習性なので仕方ないのだが、人の体を練習台に使用しないでもらいたい。もっとも、相手がオレなだけマシではある。他の子に噛みついたりしたら一大事なので、絶対にやってほしくない。

 あと、怒られて泣きそうになるんだったら、最初からしないでほしい。こっちも歯型だらけで辛いんだから。


「まぁ、せんせーかわいそう!いたいところ、わたしがペロペロしてあげるね!」


 余計なのが来た。

 ハーブちゃんは噛まれたオレを気遣って、傷口を舐めるという古典的治療を施そうとしてくる。むしろ雑菌が入るかもしれないのでやらない方がいいのだが。そして、尻を舐めるなんて行為、特殊なプレイにしか見えないぞ。これ以上オレに業を背負わせようとしないでくれ。


「舐めなくていいからね、気持ちだけで十分よ!?」

「えんりょしないでよー。わたしたち、こいびとなんだからー」

「だからちがうって……――あ、コラ!ズボンを脱がそうとするな!」

「いいじゃん、いいじゃん~♪」


 細長い舌をシュルシュルとしならせて、力尽くでズボンをずり下げようとしてくる。

 まさか尻を直接舐める気なのか、この子は。汚いからやめて方がいいのに。……いや、そこまで不潔じゃないけどさ。絵面が最悪過ぎて困る。


「じゃあ、いたみどめにキスする?」

「どんな理屈だよ!?」

「わたしのあま~いキ・ス❤このまえみたいなの♪」


 この前のキスとは、初めてハーブちゃんが素直になった時のことだ。遊具から転落したのを助けたら、舌ベロ突っ込まれたディープな口づけをされて、あっさりファーストキスを奪われた。あの淫靡いんびな時間の話だ。

 ダメに決まっている。あれは突然無理矢理されたから仕方ないとしても、二度目は避けないといけない。幼女に身を委ねるなんて、保育士として確実にアウトでゲームセットだ。

 と、年齢が逆だったら完全に犯罪な構図で大騒ぎしているオレ達だったが、そこに激しく足音を立てて近づく影が一つ。


「ダ、ダメだよ、ハーブちゃん!」


 軽快なギャロップを奏でて、シュヴァリナちゃんが間に割って入ってきた。土煙を上げて駆け込んでくる姿は、まるで映画のワンシーン。正義の騎士が登場して、悪漢を退治するかのようなヒロイックさに溢れていた。


「えー、どうしてなの?せんせーとこいびとなんだから、ペロペロしたっていいじゃん」

「ぜったいダメなんだよ!だってせんせいとハーブちゃんは、しゅぞくがちがうんだよ!?」

「種族が同じでもダメだけどな」

「なんでー?ちがってもいいじゃん」

「にんげんとちかづきすぎちゃいけないんだよ!」

「別に近寄っても気にしないけどな」

「「せんせーはだまってて!」」

「……はい」


 これは喧嘩、なのだろうか。先生を取り合って二人の園児が火花を散らす。これが大人の女性同士だったら、恋愛ドラマの三角関係だったのだろう。幼児相手にモテ期が来ても、あまり嬉しくない。

 だが、シュヴァリナちゃんの様子がどうもおかしい。昨日までは、オレとハーブちゃんの距離感についてとやかく言うことなんてなかったし、どちらかというと応援寄りな中立派だったはずだ。それがどうして急に神経質な物言いになったのか……。

 そうか、昨日か。

 あの母親に、異種族との共存を否定する言葉を浴びせられて、異常なくらいに距離感を気にするようになってしまったんだ。


「シュヴァリナちゃんのいうこと、ぜんぜんわかんないよーっ!」

「だーかーらー、せんせいとベタベタするのはきんしなの!」


 オレを蚊帳かやの外に、二人はもみくちゃになりながら言い合っている。今にも殴り合いに発展しそうなくらいヒートアップしていた。

 子どもの喧嘩とはいえ、異種族同士がぶつかり合えば危険だ。どんな化学反応が起きるか分からない。ヴェイク君とセピアちゃんが良い例だ。同じことが、ハーブちゃんとシュヴァリナちゃんの間に起きかねない。


「そ、その辺にしよう。一旦落ち着こうか」

「じゃましないでってば!」


 これ以上のヒートアップは避けないと。そう思って二人を引き離そうと、熱戦の場に踏み込んだ、その時だった。

 ――ガツン!

 目の中に星が飛んだ。

 シュヴァリナちゃんの後ろ足が持ち上がり、オレのひたいを蹴り飛ばしたのだ。



☆六多部沙羅の異種族ワンポイント講座・その七☆

蹄鉄ていてつ

 第七回は種族特有の物についてだ。

 ケンタウロス族は大人になると、四足の足先にあるひづめに、蹄鉄と呼ばれる器具を装着する。これは元々蹄の保護のために付ける物なのだが、古くより成人の儀式という文化的側面も持ち合わせているんだ。

 名前の通り多くは金属製で、びょうで打ち付けて固定される。職業や生活スタイルによって装着する種類も変わり、滑り止めのスパイク付きがポピュラーだろう。また、模様が刻まれたオシャレ蹄鉄も流通しており、女性ケンタウロス族に人気を博しているそうだ。

 当然だが非常に強固な器具のため、蹴られたら大ケガは免れない。防御力の低い種族なら即死だってあり得る。間違ってもケンタウロス族を怒らせないことだな。

 因みにケンタウロス族の成人とは人間年齢で十三歳くらいらしく、その根拠は繁殖可能な年齢になったから、だそうだ。良かったな、全国のロリコンども。



 薄れゆく意識の中、シュヴァリナちゃんがまだ幼く、蹄鉄を付けていなかったことに安堵する。蹴り込んできたのが、ただの硬い蹄だけで良かった。

 しかし、貧弱な人間の体で耐えられるかと問われたら、「無理でした」と答えるしかない。

 人の恋路を邪魔するヤツは、馬に蹴られて死んでしまえ。そんな慣用句がこの国にはあるが、まさかそれを実践するハメになるとは。まさに事実は小説よりも奇なり。どんなとんでも展開も起き放題だ。

 オレの視界はぷつりと途切れて、一面真っ黒に染まっていった。

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