2-9
園に戻ってくる頃には、シュヴァリナちゃんは泣き止んで元気を取り戻しており、いつもと変わらないようだった。
昼食も、お昼寝も、ごく普通に過ごしていた。
とはいえ、手放しに「問題なし」だと判断してはいけない。子どもは平気そうにしている時が一番危ないのだから。
周囲の大人を心配させたくない、気を遣わせたくない。そんな理由で我慢していたせいで、病気やケガが悪化していたという事例は数多くある。メンタル面ならそれこそ数え切れない、見えていない事例でいっぱいだろう。明らかになっているのは氷山の一角なのだ。
「あ、パパだー」
日が沈み始めた頃、保育室にやって来る大きな影。シュヴァリナちゃんの父親、カバジェロさんだ。
焦げ茶色の髪の毛をポニーテールにした、大柄のケンタウロス族。人間に近い上半身も馬のような下半身も、オレとは大違いで
「はっはっはーっ!遅くなっちまったなーっ!」
「だいじょうぶだよー」
シュヴァリナちゃんと同じで、見ての通りの陽気な性格だ。彼から明るさが遺伝したのがよく分かる。普段からテンションも高く、一般的に良い父親と言えるだろう。連絡帳を読む限り、休日は家族サービス三昧らしいし。
「あの、カバジェロさん」
「おーっと、先生。どうしたんですか、そんなにかしこまって?今更緊張することないじゃないですかー!はっはっはーっ!」
「シュヴァリナちゃんのことで、ちょっとお話が……」
朗らかに笑っているところ申し訳ないが、オレは散歩先であった出来事について詳細に伝えた。異種族に差別意識を持つ人に遭遇したこと。突き飛ばされた挙げ句、罵声を浴びせられたこと。その後の様子なども織り交ぜて、こと細かに話した。
大切な娘を預かる立場である以上、オレ達には報告する義務がある。しかし、理不尽な仕打ちを伝えないといけないのが心苦しい。シュヴァリナちゃんの表情を横目に見ていたが、表だった反応はないみたいだ。気にしている素振りはない。
「そうか……ま、そういうヤツもいるわな」
「こちらで対処しきれず、申し訳ないです」
「いいっていいって。そりゃあ娘に手を上げられたのはムカつきますけど、先生のせいじゃないですから!」
カバジェロさんは裏表のない性格のようで、思ったことをはっきりと口にしてくれる。
自分の子どもに危害を加えられたとあれば、怒り狂ってもおかしくない。相手に対してはもちろんのこと、未然に防げなかった人にもだ。もしオレの息子か娘が同じ目に遭ったとしたら、冷静に対処出来ただろうか。絶対にない、とは言い切れない。
だが、カバジェロさんはオレのことを許してくれるようだ。むしろ元気づけるように、気落ちした肩をバンバン叩いてくる。肉体労働をする大人特有の、ゴツゴツした
「シュヴァリナ、お前はどうなんだ?」
「べ、べつに。そんなの、ぜんぜんきにしてないよー」
父親の問いでも、答えは変わらずだ。シュヴァリナちゃんは勢いよく飛び跳ねてみせて、自分は平気だと全身で表現している。
「もし家に帰ってから何かありましたら、いつでも相談して下さい」
「はっはっは。心配性だな、先生」
悲しい出来事に対する反応は、遅れて出てくることがある。特に家という落ち着いて過ごせる場所ではその傾向が強い。そのため念のために、帰宅後の様子を見るよう伝えておいた。
「ばいばい、せんせい!」
「ああ、また明日な」
手をぶんぶんと振りながら挨拶して、シュヴァリナちゃんは夕暮れの街並みに帰っていった。
だが、どうも引っ掛かる。本人は気にしていないと言っているものの、あれ程の目に遭って本当に平気なのだろうか。異種族の存在を根本から否定するような罵声を、大人の相手に言われたというのに。一抹の疑問が残ってしまう。
「もしかして、せんせい。しんぱいしているニャ?」
真後ろから腰当たりの骨を
「心配に決まっているだろ。どうも辛いのを我慢しているように見えるんだよ」
「そう……くさってもせんせいだもんニャ」
まだ腐ってないわ。
新米炊きたてほやほやの、フレッシュさ弾けるビギナーだ。
「ホントに口が悪いな。ちょっと前のハーブちゃんみたいだ」
「え、なになに?わたしのはなし?わたしがだいすきって?んも~、わたしにちょくせついいてよ~っ!」
「ンなこと言ってないし、言う予定もないから」
関係ない話なのに絡んできては、聞き間違えという名の妄想発言をしていく。ハーブちゃんは相変わらずだ。母親のお迎えが来るまで、オレへのラブラブアピールを欠かさない。毎日似たような愛の言葉を言って、そろそろ飽きないのだろうか。……街ゆくカップルを見る限り、なさそうに感じるが。
「ハーブちゃんは、友達のことが心配じゃないのか?」
「しんぱいにきまってるじゃん」
ためしにこちらから質問してみたら、食い気味に答えが返ってきた。
「でもね、シュヴァリナちゃんってわたしたちのまえでも、ずっとあんなかんじだったんだもん」
「ってことは……やっぱり」
「うん。かなしいのがまんして、わらってるみたいだったんだ」
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