2-9


 園に戻ってくる頃には、シュヴァリナちゃんは泣き止んで元気を取り戻しており、いつもと変わらないようだった。

 昼食も、お昼寝も、ごく普通に過ごしていた。

 とはいえ、手放しに「問題なし」だと判断してはいけない。子どもは平気そうにしている時が一番危ないのだから。

 周囲の大人を心配させたくない、気を遣わせたくない。そんな理由で我慢していたせいで、病気やケガが悪化していたという事例は数多くある。メンタル面ならそれこそ数え切れない、見えていない事例でいっぱいだろう。明らかになっているのは氷山の一角なのだ。


「あ、パパだー」


 日が沈み始めた頃、保育室にやって来る大きな影。シュヴァリナちゃんの父親、カバジェロさんだ。

 焦げ茶色の髪の毛をポニーテールにした、大柄のケンタウロス族。人間に近い上半身も馬のような下半身も、オレとは大違いで筋骨隆々きんこつりゅうりゅうのムキムキマッチョ。背丈は二メートル半はありそうで、人間と比べると圧倒的な体格差だ。郵便配達を生業なりわいとしているのだが、盛り上がった筋肉のせいで制服はぱつぱつだ。盛大にはち切れてもおかしくない。これまで無事に着ていられるあたり、相当丈夫な生地で作った服なのだろう。もし破れる瞬間を目の前で見てしまったら、オレの腹筋が激しく崩壊してしまいそうだ。


「はっはっはーっ!遅くなっちまったなーっ!」

「だいじょうぶだよー」


 シュヴァリナちゃんと同じで、見ての通りの陽気な性格だ。彼から明るさが遺伝したのがよく分かる。普段からテンションも高く、一般的に良い父親と言えるだろう。連絡帳を読む限り、休日は家族サービス三昧らしいし。


「あの、カバジェロさん」

「おーっと、先生。どうしたんですか、そんなにかしこまって?今更緊張することないじゃないですかー!はっはっはーっ!」

「シュヴァリナちゃんのことで、ちょっとお話が……」


 朗らかに笑っているところ申し訳ないが、オレは散歩先であった出来事について詳細に伝えた。異種族に差別意識を持つ人に遭遇したこと。突き飛ばされた挙げ句、罵声を浴びせられたこと。その後の様子なども織り交ぜて、こと細かに話した。

 大切な娘を預かる立場である以上、オレ達には報告する義務がある。しかし、理不尽な仕打ちを伝えないといけないのが心苦しい。シュヴァリナちゃんの表情を横目に見ていたが、表だった反応はないみたいだ。気にしている素振りはない。


「そうか……ま、そういうヤツもいるわな」

「こちらで対処しきれず、申し訳ないです」

「いいっていいって。そりゃあ娘に手を上げられたのはムカつきますけど、先生のせいじゃないですから!」


 カバジェロさんは裏表のない性格のようで、思ったことをはっきりと口にしてくれる。

 自分の子どもに危害を加えられたとあれば、怒り狂ってもおかしくない。相手に対してはもちろんのこと、未然に防げなかった人にもだ。もしオレの息子か娘が同じ目に遭ったとしたら、冷静に対処出来ただろうか。絶対にない、とは言い切れない。

 だが、カバジェロさんはオレのことを許してくれるようだ。むしろ元気づけるように、気落ちした肩をバンバン叩いてくる。肉体労働をする大人特有の、ゴツゴツしたてのひらの感触がジャージ越しに伝わった。


「シュヴァリナ、お前はどうなんだ?」

「べ、べつに。そんなの、ぜんぜんきにしてないよー」


 父親の問いでも、答えは変わらずだ。シュヴァリナちゃんは勢いよく飛び跳ねてみせて、自分は平気だと全身で表現している。


「もし家に帰ってから何かありましたら、いつでも相談して下さい」

「はっはっは。心配性だな、先生」


 悲しい出来事に対する反応は、遅れて出てくることがある。特に家という落ち着いて過ごせる場所ではその傾向が強い。そのため念のために、帰宅後の様子を見るよう伝えておいた。


「ばいばい、せんせい!」

「ああ、また明日な」


 手をぶんぶんと振りながら挨拶して、シュヴァリナちゃんは夕暮れの街並みに帰っていった。

 だが、どうも引っ掛かる。本人は気にしていないと言っているものの、あれ程の目に遭って本当に平気なのだろうか。異種族の存在を根本から否定するような罵声を、大人の相手に言われたというのに。一抹の疑問が残ってしまう。


「もしかして、せんせい。しんぱいしているニャ?」


 真後ろから腰当たりの骨をひじで突かれる。毎度オレの批判をしてくるキャルトちゃんだ。しかし、その声色は猫の舌のように柔らかだ。散歩先の一件では、オレの股間に猫パンチするくらいにご立腹だったはずだが、珍しいこともあるんだな。


「心配に決まっているだろ。どうも辛いのを我慢しているように見えるんだよ」

「そう……くさってもせんせいだもんニャ」


 まだ腐ってないわ。

 新米炊きたてほやほやの、フレッシュさ弾けるビギナーだ。


「ホントに口が悪いな。ちょっと前のハーブちゃんみたいだ」

「え、なになに?わたしのはなし?わたしがだいすきって?んも~、わたしにちょくせついいてよ~っ!」

「ンなこと言ってないし、言う予定もないから」


 関係ない話なのに絡んできては、聞き間違えという名の妄想発言をしていく。ハーブちゃんは相変わらずだ。母親のお迎えが来るまで、オレへのラブラブアピールを欠かさない。毎日似たような愛の言葉を言って、そろそろ飽きないのだろうか。……街ゆくカップルを見る限り、なさそうに感じるが。


「ハーブちゃんは、友達のことが心配じゃないのか?」

「しんぱいにきまってるじゃん」


 ためしにこちらから質問してみたら、食い気味に答えが返ってきた。


「でもね、シュヴァリナちゃんってわたしたちのまえでも、ずっとあんなかんじだったんだもん」

「ってことは……やっぱり」

「うん。かなしいのがまんして、わらってるみたいだったんだ」

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