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「な、何よ、私が悪者みたいに!こんなに子どものことを思っているのに、私を責めるつもりなの!?」


 母親の方は、まだ自分がしている悪行を理解していないらしい。子どもを盾に自己の正当化に終始している。自分が絶対に間違っていないと思い込み、周囲に悪意を垂れ流す、この世で一番厄介なタイプのようだ。


「その子どもというのは、自分の子どもだけなのか?」

「当然よ、どうして他人の子なんかを大切にしないといけないのよ!?しかもその子は移民で、化け物みたいな種族じゃない!」

「相手の気持ちも考えられず、暴言を喚き散らすだけのあなたの方が、よっぽど化け物だとオレは思うが?」

「う、うるさいわね!そんな子達なんかと関わったら、ケガとか変な遊び覚えたりして……と、とにかく悪影響なのよ!」


 先程から飛び出してくる罵詈雑言ばりぞうごんのほとんどが、具体性のない憶測と偏見の塊だ。噂程度に聞きかじった話を根拠にしている。ケガという懸念なら体格差の問題であり得ない話ではないが、それだって同じ人間同士でも普通に起こりうることだ。異種族だけの事例じゃないし、排除していい理由にもならない。

 だが何より問題なのは――


「あなたにそんな教育をされて、息子に悪影響があるかも不幸にするかもって、今まで考えようとしなかったのか?」


 ――母親の息子の方だ。

 まだ二歳程度で物事の善悪や社会常識を身につけていく段階。その大切な時期に、異種族に対する偏見を煮詰めたような意見を聞かされたら、歪んだ異種族情報が正しいと思い込むようになってしまう。その結果生まれるのは、異種族を嫌う差別意識の塊となったモンスターだ。今後の人生で出会う他の異種族を不幸にするのはもちろんのこと、自分自身すらも傷つけるみちを征くことになるのだ。

 今後この国は、よほどのことがない限り移民頼りになるだろう。今以上に街を闊歩するようになり、社会インフラにも多くの異種族が関わるようになる。そんな中で異種族に憎悪を抱いて生活することが、この子にとってどれだけの苦痛を与えるのか。母親はその可能性を考えた上で発言しているとは思えない。


「そ、それは……!私の教育に間違いなんか……!」


 やはり、自分の発言について深く考えていなかったらしい。オレに指摘されると目が泳ぎ始め、見るからに狼狽うろたえていた。

 過保護な教育ママに多々ある、自分の考えが絶対正義で一切省みず、理念に空いた致命的な穴に気付かない現象だ。大学の講義でモンスターペアレントを学んだ時には「そんなヤツいないだろ」と思っていたが、まさかここまで典型的な例が存在するとは。世の中不思議がいっぱいだ。


「もし本当に息子が大切なら、自分の発言をもう一度見直した方がいい」

「よ、余計なお世話よ!か、かか帰りますっ!」


 オレの言葉が響いたかどうか分からないが、母親は我が子の手を引いて足早に去って行った。唯一の救いは、息子の方は小さく「ごめんなさい」と言い残したくらいか。彼には真っ当に育ってほしい。


 移民――異種族に対する差別や偏見は根強い。

 この件に関しては国が主体で動いており、差別撤廃に向けて力を入れているようだが、急な方針転換に国民の一部はついてこれずにいる。特に人間だけの社会が普通だった高齢者世代や、人間至上主義を掲げる組織などは未だに毛嫌いしているのだ。

 もちろん表だった行動はしていないが、先程の母親のような口撃や嫌がらせなど、小さな事件は枚挙に暇がない。度々ニュースとして報じられており、社会問題にもなっている。

 というのも、最近まで日向間国ひゅうまこくは鎖国状態で、国内に異種族は(ごく一部を除いて)いなかったからだ。異種族との共生は不可能と断じた時代がかつてあり、その名残でずっと国交断絶していた。

 しかし、急速な少子化により労働力が足りなくなり、ようやく尻に火が付いた国の上層部は、ずっと放置していた鎖国を解除する気になった。しかしろくな説明をせずに強行した結果、国民の一部には反発感情が残ったままで、理解を得られないまま開国したため、昨今の問題である差別や偏見に繋がってしまったのだ。まったく、身勝手な話である。

 開国したのは人間の大人、移住を決めたのは異種族の大人。子どもは大人の判断に巻き込まれただけなのに、そのしわ寄せを一手に引き受けるハメになる。実に理不尽極まりない。


「あ、あの鈴振先生。ありがとう……ございます」

「いや、いいんだ。今のは個人的に腹が立っただけだから」


 えみる先生に感謝されて、照れ隠しに頭を掻いてしまう。ちょっとにやけてしまったかもしれない。折角格好付けて飛び出したのに、オレって全然締まらないな。もっと映画のハードボイルドみたいな、渋いイメージにしたいのに。


「っと。それより、シュヴァリナちゃんは大丈夫!?」


 彼女はあの母親に突き飛ばされ、面と向かって罵倒されたのだ。物理的な暴力はもちろんだが、言葉の暴力が与える影響は計り知れない。確実にショックを受けているはずだ。心のケアをしないといけない。

 オレはシュヴァリナちゃんの方へ向き直ろうとして――


「たすけるのがおそいニャッ!」

「にぐぎゅっ!?」


 ――股間に猫パンチがめり込んだ。胡桃くるみが二つ割れたかと思うほど、ガッツリ直撃していた。


「かっこつけてもダメニャ」

「な、殴ることはないだろ……」


 股間から響く激痛にうずくまり身を悶えさせながら、不満をぶつけてくるキャルトちゃんを睨みつける。視線がぶつかる先、彼女のオッドアイの瞳には炎の色が映っており、まゆは鋭くつり上がっていた。

 キャルトちゃんの言い分も理解出来る。ご近所さんらしき母親相手で、手をこまねいてしまったのは否めない。だが子孫断絶しかねない鉄拳制裁を食らうほど酷い失態だっただろうか。


「……ひっく…………えぐっ」


 いや、確実にダメな失態だったな。

 シュヴァリナちゃんはしゃくり声を上げている。泣かないように我慢しようとしても、目尻から溢れる涙を止められない。こぼれたしずくが芝生の中に吸い込まれていく。

 列車の音が、遠くで反響していた。

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