2-3


「はぁ、疲れた……」


 よいの口。空は漆黒が幅をきかせ、街灯りがぽつぽつときらめく時間だ。五月になったとはいえ夜はまだ肌寒い。夜風が吹く度に体を震わせてしまう。

 本日の業務が一段落したオレは、くたびれた足でふらふらと帰路についていた。

 全身に疲労が蓄積していて、ずっしりと鉛のように重い。体力が底を突きかけている上、体中傷だらけの満身創痍まんしんそういだ。異種族で規格外な子ども達に振り回されっぱなしで、精も根も尽き果てている。こんな状態でも、明日は元気に登園しないといけないのが辛いところだ。

 職場が家から近くて本当に良かった。もし離れていたら帰宅途中で力尽き、道端に転がっていただろう。行き倒れに間違えられそうだ。でも徒歩なので、道中きついという事実は変わりないんだけど。

 家に着いてもやることが山積みだ。保育計画や本日の反省などの、主に書類関係の持ち帰りの仕事があるし、自分の汗と子どもの体液でべとべとな、エプロンやジャージなども早めに洗濯しないといけない。その前に夕飯も作らないと、エネルギー切れで機能停止しそうだ。


「今日は何にしようかな……――あ」


 献立を考えていて、ふと思い出した。冷蔵庫の中の食材がそろそろなくなりそうだったんだ、と。


「……スーパーに行くか」


 少々億劫おっくうではあるが、日々の食事がじり貧になるのも嫌だ。面倒だが買い出しをしておこう。冷蔵庫が空になるイコール、死を意味しているので。

 オレは道中にある、地域密着の大型スーパーに立ち寄ることにした。

 ここは毎度お世話になっている店で、激安つ品揃え豊富な庶民の味方だ。異種族向けの輸入食品も取り扱っており、周辺に住む移民の方々もよく利用している。地域のニーズに合わせた経営戦略は実に鮮やかで、リサーチを怠らない優秀な店と言えるだろう。

 しかし問題もある。優秀が故に、細心の注意を払わないといけない場所でもあるのだ。


「午後七時半……これは確実に、誰かいそうだな」


 園近くで異種族がよく訪れるという条件から察する通り、このスーパーでは園児との遭遇率が高い。お買い物中にばったり、なんてことがしょっちゅう起きる。気を抜いている時に限って、ハイテンションな園児と鉢合はちあわせしてしまう。

 そんな悲劇を、どうしても回避したいのだ。

 というのも、プライベートな時間に各家庭と会うのが苦手だからだ。オフの時に出会っても何を話して良いかさっぱりだし、単純に普段の姿を見られるのが恥ずかしい。園でも格好付けた姿がただのメッキだとバレて、折角積み上げたオレのイメージが崩れてしまう。

 そして最も危惧しているのが、ラミア族のドーサ家に発見されてしまうことだ。園ならまだしも、公共の場でラブラブアピールされたら社会的に死ぬ。ただでさえ男の保育士というだけで白い目一歩手前なのに、疑惑の瞬間を見られてしまったら、この街で生きていけなくなるだろう。異種族の幼女に手を出す不届き者、として後ろ指を指される可能性大だ。


「はぁ。ヒット・アンド・アウェイ作戦で行くしかないか」


 仰々しい作戦名だが、要するに買う物決めてさっさと去ろうというだけの、至って単純な話だ。周囲の人影には十分注意して、素早く目当ての品物を確保アンド即レジへゴー。時間をかけずに済ませれば、発見されるリスクも軽減されるのだから。

 オレは意を決して、店内に滑り込む。


「あ、せんせーだ」

「ぐはぁっ!?」


 入り口付近で早速ドーサ家に遭遇した。

 作戦失敗、試合終了。気合いを入れて店内での動きもシミュレートしたのに、一瞬で水の泡だ。運がないにも程があるだろ。


「あら、先生。お仕事お疲れ様です」

「い、いえいえ。そちらこそ……」


 アナンダさんとはつい先程、お迎えの時間に園で会ったばかりだ。スーツ姿のままなので、園から直でスーパーに来たのだろう。仕事にお迎えに買い物と、立て続けに大変だ。アナンダさんの頑張りを褒めたい。


「せんせーも、ばんごはんかいにきたの?」

「まぁ、そんなところかな。実は冷蔵庫が空っぽなんだ」

「そーなんだ。たいへんだねー」

「一人暮らしだからね。色々いい加減になっちゃうんだよね、ははは」

「じゃあ、わたしがおせわしてあげよっか?」


 さすがに幼児に世話されるほど荒んでいないぞ。

 これでも最低限の料理は身につけているし、掃除や洗濯だってきちんとやっている。いや、そこまでしっかりしていないか。自慢出来るような自宅じゃないもんな。


「大丈夫だよ、ご飯はどうにかこなしているから」

「えんりょしないでよ!せんせーのかのじょだもん、てりょうりふるまっちゃうんだもん!」

「だぁっ!?ちょ、ちょっと待って、ストップ!?」


 いつか言うだろうと思っていたけど、やっぱりきたか。

 他の客の前で、彼女面発言は勘弁してほしい。本当に洒落にならないんだ、そのセリフ。オレの人生を終わらせかねないというのに、軽々と言うのはやめてくれ。


「こら、ハーブ。そのお話はしーっ、だよ」

「あ、そうだったー」


 しかし、アナンダさんが唇に人差し指を当てるジェスチャーをして、余計なことを言わないようたしなめている。ラミア族らしく娘の恋心にも乗り気な母親だが、公衆の面前でイチャイチャするのはダメらしい。それがドーサ家の方針か、ラミア族の常識なのかは測りかねるが。

 ともかく事なきを得た。社会的死を免れて一安心だ。


「そういえば、先生。園では散歩とか遠足ってあるんですか?」


 アナンダさんが話を切り替えてくる。


「ああ、すみません。まだやってないんですよ」


 異種族こども園は史上初の試みで、毎日おっかなびっくり運営している。違う種族同士仲良く過ごせるか、人間相手とは違う予想外の問題が発生しないか。一歩一歩慎重なのだ。

 そのため、園外での保育は視野に入っていなかった。周辺地域に迷惑がかかるのでは、事故が起きたら計画が頓挫とんざするのでは、と考えていたせいだ。保育の予定を立てる時も、無意識に外してしまっていた。


「でも、散歩なら行ってもいいかなって、思いますけどね」


 しかし、当初想定していたよりもずっと早く、子ども達は園生活に慣れた。喧嘩や発達段階などの問題はあるが、それは人間の場合でも同様だ。異種族に限った話じゃない。

 そろそろ戸外活動にチャレンジする頃合いなのだろう。明日あたり、園長の蛍さんに相談してみよう。


「わーい!さんぽいくの!?おそとだおそとだーっ!」

「ははは、そんなに嬉しいかい?」

「うんっ!すっごくうれしーっ!」


 下半身が蛇で早熟恋愛脳とはいえ、年相応に無邪気な笑みも見せてくれるハーブちゃんなのであった。

 日頃からその姿でいてくれたら、もっと楽なんだけどね。

 

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