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「めぐめぐせんせーは、あんせーにしてなきゃダメ!おしごとはぜんぶ、えみるせんせーがするんだからね!」

「そ、そんなの理不尽ですよぉ……」


 突然のキスからハーブちゃんの態度は一転。ピンチを救った英雄、そして愛情を注ぐ相手として、オレのことを気遣いあれこれ言い出すようになっていた。今までの悪ぶった態度は何だったのか、と首を三百六十度一回転させて頭をひねるくらいに意味不明だ。

 日々の生活が寂しくて、わざと跳ねっ返り女子を演じていたとしても、方向転換の仕方がアクロバティックを極めている。ちょっと助けられただけですぐ相手を大好きになるなんて、惚れっぽいというか、恋心のスイッチが緩いんじゃないか。

 しかし残念なことに、オレには乙女心という繊細な仕組みについては、生まれてこの方皆目見当がつかない。どこか琴線きんせんに触れる部分があったのかもしれないが、解き明かすのは困難を極める。少女漫画でも読んで勉強した方が良いのかもしれない。


「遅くなってごめんなさい。お迎えに来ました」

「あ、お帰りなさい」


 アナンダさんだ。いつも通り、閉園時間直前のご到着だ。くたくたのスーツと疲労困憊ひろうこんぱいな表情で、大急ぎで来たのが分かる。オレ達保育士を待たせてはいけないと焦って走ったのだろう。肩で息をしていて、熱気もむんむんだ。会社はもう少し早めに退社させてあげてほしい。異種族にも働き方改革が必要だな。


「おかえり、ママー」

「ふふ。今日も楽しかったかしら?」


 愛娘まなむすめを抱きしめるアナンダさん。子どもの笑顔を見たら疲れも吹き飛ぶのだろう。青かった顔にもぱっと花が咲いていた。

 オレには自分の子どもがいないので分からないが、娘や息子というのは特別なのだろう。血を分けた間柄というのは、どの種族にとってもかけがえのない存在なのだ。

 そんな大切な宝を預かっているのだから、これからも気を引き締めないといけない。間違っても今日のような、転落事故なんて二度とないように。

 と、改めて決意をして、真面目に良いことを考えている最中だった。


「ママ、えっとね……わたし、すきなひとできたの!」

「ブゥーッ!?」


 盛大に噴き出してしまった。


「あら?それってもしかして……」

「うんっ!めぐめぐせんせーなんだよ!」


 何故、本人の目の前でそれを報告するんだこの子は。

 こんな時、どんな顔して保護者対応していいか分からない。笑って誤魔化すのがいいのか、それとも「よく言われるんです。いい男でしょ?」とジョークを飛ばすのがいいか。経験値の低いオレには判断しかねる。

 しかもどうしてなのか、アナンダさんもじーっと見つめてくる状況。その瞳は、一体どういう感情なんですか……。


「そう……先生のことが……」

「あ、あの……オレは別に……」


 あくまでも子どもが言うこと、特に早熟でマセた女子ならノリで飛び出す言葉だ。告白されても何とも思わない。

 大体、子どもに恋愛感情を抱くなんて犯罪だ。人間相手ではもちろんだが、異種族相手となれば余計に性質たちが悪い。異文化交流に亀裂きれつが入りかねないのだ。国の一大事業を背負う身として絶対にあり得ない不祥事だ。天地がひっくり返ってもあってはいけない大事件。

 しかし、あちらから無理矢理とはいえ、子どもと濃厚なディープキスをしたのは本当のことだ。訴えられたら負ける気しかしない。絶望的だ。


「そっか。うんうん、いいんじゃない?」


 しかし、アナンダさんは納得したように頷くだけだった。娘の否定も、相手への叱責もない。ただ認めるだけだ。


「えへへ。でしょ~?」

「ハーブももうお姉さんの仲間入りね」


 オレのことはそっちのけで、何やら盛り上がっている様子。

 一体何だったんだ、今のは。親子のやり取りが謎でついていけない。ラミア族特有の文化なのだろうか。種族の差を痛感する。


「では先生。今後もうちのハーブをよろしくお願いします」

「は、はぁ」


 結局よく分からないまま、二人は帰っていってしまった。

 ハーブちゃんの突然の心変わりも謎だが、親子のやり取りは更に意味不明だ。事態が全く飲み込めず、もやもやして仕方ない。


「あの、えみるさん」

「は、はい!」

「いや、そんなに緊張しなくていいから……」


 ここは同僚のえみるさんに相談してみよう。幸い彼女は『異種族文化』を学んでおり、実はオレよりも成績が良い。今のやり取りについても、詳細を理解しているかもしれないのだ。


「さっきのドーサ家が話していたのって、どんな意味だと思う?」

「あの、鈴振先生が告白された件についてですか?」

「うん、それ」


 ちょっと考え込んでから、えみるさんは言った。


「多分なんですけど、……親公認の恋人ってことですね」


 いや、どうしてそうなる。

 たったあれだけのやり取りで、話が進み過ぎじゃないか。ホップ・ステップ・ジャンプで成層圏まで突き抜けている。


「ごめん。順を追って説明してほしいんだけど」

「えっと、あのですね。ラミア族の女性は恋愛感情が早熟で、子どもの頃から将来の相手を探すそうです……。だからハーブちゃんの気持ちは本当で、お母さんの方も了承している……ってことかと」

「……は?」


 ということはつまり、なんだ。

 キスも恋人宣言も、種族の本能としてオレを選んだってことだ。

 オレは子どもから告白され、その親からは相手として認められた。自分が担任の園児で、しかも異種族の相手から。

 前代未聞じゃないか、こんなこと。


「お、おかしいだろ。だってハーブちゃんはずっとオレのこと、邪険に扱ってきたのに……どうして急にこんなことを」

「それは多分……鈴振先生を試していたんじゃないですか?」

「試すって……?」

「悪いことをする自分にどう反応するか、付き合う相手に相応しいか確かめたいって、人間の女の子でもよくありますから」


 何その悪女みたいなムーブ。

 さすがラミア族。蛇の種族なだけあって、幼いながらも恐ろしい策略家だ。ただの女子と舐めてかかったら、ガブリと一撃、毒の一噛みをお見舞いされるってことか。


「……ハーブちゃんは乙女さんですね」

「そんな生易しいレベルじゃないってコレ」


 こうしてオレは就職一年目にして、園児に恋愛対象として目を付けられてしまったのである。

 全国のロリコン共、うらやましいと思ったら大間違いだからな。誰かポジション代わってくれ。

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