4月編~ラミア族の話~

1-1


 大学生生活最後の秋が終わろうとしている。段々と肌寒くなり季節の変わり目をひしひしと感じる中、オレ――鈴振すずふり恩夢めぐむにも冬の時代が到来しようとしていた。

 冷え切って凍り付いた表情筋。震える指先。

 吹きすさぶ寒さのせいではない。自分の行く末に望みがなく、怯えているだけだ。


「ああ、マジでどうしよう……」


 ゼミの担当教授に呼び出されてしまった。理由は十中八九、就職先が決まっていないことだろう。おしかりを受けること必至だ。

 これまで何度も不合格通知を受け取ってきた。ただでさえこの国は少子化で、保育士の需要が落ち込む中、男性なんて雇ってくれる奇特な場所なんて早々ない。

 このままでは子ども関係の仕事に就けず、四年間の学びを全てどぶに捨てるハメになる。それどころか真っ当に就職出来るかどうかも怪しい。普通の企業がこんな保育知識しか持ち合わせていない、素人同然の新人を拾ってくれる訳がないんだから。


「入りたくないな……」


 教授の研究室を前にして、足が止まってしまう。

 金属製のただの扉だ。しかし、オレには死刑執行の入り口のように思えて、開ける勇気がさっぱり湧いてこない。

 オレの担当教授は、大学の中でも変わり者で有名だ。少しでも関われば面倒な事に巻き込まれるともっぱら評判で、実際に度々酷い目に遭ってきた。そして説教になると、その面倒さに拍車がかかって手が付けられなくなる。知っている限り、対抗出来る人はこの学校にいないのだ。

 嫌な予感しかしない。オレの危機察知能力がビンビンに働いている。


「やっぱ、帰ろう」


 命の危険を察してオレはきびすを返す。

 こんな場所に長居するなんて自殺行為だ。早急に離れるのが吉だろう。オレの全神経が告げている。


「オイ」


 ガチャッ。

 鉄の扉がぽっかりと口を開け、中から白い手が伸びてきた。


「うわぁああああ!?」


 ラメ入りのネイルがきらめき、オレの右腕を絡め取る。白くて細い華奢きゃしゃな指先の、一体どこにそんな力があるのか。振り解く余裕は一切なく、そのまま研究室の中へと引きずり込まれてしまう。

 バタン、ガチャリ。

 そして、鍵を閉められてしまった。


「鈴振、どうして逃げようとしたんだ?」

「す、すみません」


 雑に書籍やレポート用紙が山積みになった、お世辞にも綺麗とは言えない研究室。その中でオレは教授と二人っきりだ。生きた心地がしない。逃げようとしたことをよく思っていないようだ。

 丈に合わずぶかぶかな白衣に、長くストレートな髪が垂れ下がる。黒縁眼鏡から覗くのは、狩人のように鋭い目つき。そして酒やけしてしゃがれた声。

 若くして奇人変人の名をほしいままにする、六多部ろくたべ沙羅さら教授の視線がオレを射貫いていた。


「まぁいい。そんなことより就職活動のことなんだが……」

「うぐっ」


 やっぱりその話題か。

 予想通りの展開に固唾を呑む。

 ここからは得意の、説教という名の異様に長い語りが始まるのだろう。最初はありがちな小言から始まって、段々と経験談にシフトしていき、気付けば自分の研究の話ばかりになる。

 そうやって多くの生徒や教授を巻き込んできた前科があるのだ。今回もおおよそ、オレの状況にかこつけて自慢話タイムになるのだろう。ただでさえ受けた就職先が全滅して後がないというのに、余計なことをしている時間はないのに。だけど断ると後が恐ろしいので動けない。仕方がないので甘んじて受け入れようか……。

 と、半ば諦めモードに入っていたら――


「いいかんじの職場があるんだが、どうだ?」

「へ?」


 ――思わぬ一言が飛び出して、間抜けな返事をしてしまった。


「うちの学校法人でね、新しいこども園を開く予定……なんだが職員が中々集まらなくてね、困っているところなんだ」


 こども園。

 教育重視だった幼稚園と、保育重視だった保育園を合体させた施設のことだ。しかし少子化により採算が合わなくなり、新しい施設が建たなくなって久しい。それなのにどうして。うちの学校だって生徒が年々減っており、資金面で苦労しているはずだった気がするのだが……。


「あ。お前、信じてないな?」

「だって、今更こども園作ったところで、入園児の数なんてたかが知れているじゃないですか」

「だと思うだろ?でも、いるところにはいるんだよ」


 口角を上げて不敵に笑う六多部教授。一応教育関係の学者なのだが、人相の悪さのせいでマッドサイエンティストに見えてしまう。もっとも、性格面が教育者らしくないので、当たらなくとも遠からずだが。


「これを見なよ」


 書類の山の中から一枚のチラシを取り出すと、それをオレの鼻先に近づける。

 そこに映っているのはこぢんまりとした、木の温もりを重視しただろう木製園舎。このご時世に合っている、小規模の施設だ。大きさからして定員は、多くても二十人が限度だろう。しかし、それ以上に気になるのは――


「異種族……こども園?」

「そ。異種族専用の全く新しい取り組みという訳だ」


 ――ポップな書体で書かれた『にじいろ異種族こども園』という施設名。

 それは文字通り、異種族の子どもを受け入れる場所ということだ。


「多種多様な種族を受け入れるようになってからというもの、我が国では異種族の待機児童が社会問題になっているのは、もちろん知っているね?」

「当たり前ですよ。これでも一応勉強してきたんですから」

「このこども園は、その待機児童解消のための第一歩。今後の政策、そのための試金石なんだよ」

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