第19話 花咲くとき

☆   ☆   ☆   ☆    ☆


浅井一哉は捨てられている《取り扱い説明書》と書かれた薄い本を手に取り



「おかしいなぁ、ここに捨てたはずなのに」



と呟く。



一哉のアパートから近いゴミ捨て場。



今は夕方だというのに、翌日収集に来る燃えるゴミをすでに捨てている人がいる。



それが原因で、ゴミ捨て場に染み付いた異臭と、強烈な生ゴミの匂いが充満していた。



夏なので中のものが腐るのも早く、ハエもたかっている。



「なんなんだ。ったく」



自分の探していたものが見つからないし、異臭が喉の奥まで流れ込んでむせ返るし、最低な気分になる。



いくらあたりを探しても、一哉の捨てたソレは見当たらない。



説明書だけが、そこに取り残されていたのだ。



粗大ゴミを捨てるには、規定の業者に頼まなければならない。



それをすっかり忘れていた一哉は、数日前ここにゴミを捨ててしまったのだ。



ゴミ収集車が来ても持って行ってくれるハズがないと、今日になって大家に言われたので、慌てて探しに来たのだ。



「仕方ないか、今アレ流行ってるもんな……。女子高生がおまじないのために持って帰ったんだろ」



そうやって軽く考えた一哉は、いらなくなった物をそれ以上無理に探そうとはしなかった……。



☆   ☆   ☆   ☆    ☆


いくら抱きしめ合っても、いくらキスをしても、二人目の一哉が栞を抱くことはなかった。



その行為が不可能なことくらい、最初からわかっていたことだった。



自由にならない体、動く事のない足。



それが、二人目の一哉なのだから。



しかし、栞は二人目の一哉の生命力の強さも知っていた。



傷ついても傷ついても、時間をかけて必ず立ち直る。



足が動かない分、両手の力だって強い。



その力で、まるでぬいぐるみのように簡単に栞を持ち上げて、自分の腕を栞の体にグルグルと、何十にも巻きつけた。



「ダメよ、私は棒じゃないの」



栞が笑いながらたしなめると、一哉は申し訳なさそうな顔をして、絡めた腕を解いていった。



そして、毎日毎日身長が伸びる一哉の上半身は、不安定にゆれ始めていた。



少しの風で、ユラユラユラユラ



何度かテレビに頭をぶつけたこともある。



「大丈夫、大丈夫」



と、手を振ってみせる一哉だったが、見ているこっちがハラハラしてしまう。



ある日、そんな一哉を見かねた栞が、一本の木の枝を持って帰ってきた。



木の枝と言ってもプラスチック製で、安っぽい偽物の桜がチョコチョコとつけられているもの。



インテリアとしてどこにでも置くことができるので、これは便利だった。



さっそく一哉の足元にそれを置くと、一哉はのびすぎた体を上手に絡みつけて行った。



けれど、問題はそれだけではなかった。



伸びたのは一哉の体だけではない、両腕と首も、今や何メートルもの長さに成長している。



右手は真横のテレビを支えとして使っているため、画面の半分が一哉の腕で隠れてしまっていたし、



支えのない左手は、床にダラリと垂れていて、栞が気付かずに踏みつけてしまう。



そして、ろくろ首のように長く長く伸びた首は頭を支えきれなくなり、左手と同じように垂れ下がって行っている。



「栞、頼みがあるんだ」



「どうしたの?」



「俺の頭を、壁に固定してくれないか?」



重い頭を何とか起こし、そう言った。



栞は一哉の言葉の意味を掴みかねて、首を傾げる。



「頭を、後ろの壁に固定してほしいんだ。そうすれば、真っ直ぐ前を向いていられるだろ」



「でも、固定ってどうやって?」



「そうだな……例えば、大きなクギとか」



「クギですって!?」



一哉の言葉に、栞は悲鳴に似た声を上げる。



「大丈夫だよ。俺の生命力は知ってるだろう? 俺の頭と壁を、五寸釘で打ち付けてくれればいい」



そうやって簡単に言ってのける一哉に、栞はイヤイヤと、まるで子供のように首をふった。



好きな人の頭にクギを打ちつける?



そんなこと、できるわけがない。



「お願いだよ栞。このままじゃ首がだるくて仕方がない」



そう言いながらも、長い首をもてあますようにグルグルとひねり、途中で結び目が出来ていることに気付かない。



「だけど……そんなことできるかしら」



栞は、結び目を解いてやりながら、小さく呟く。



確かに、このまま首が伸び続けてしまったら、一哉は頭を起こすこともできなくなってしまう。



体と同じように棒に巻きつけてみたらどうかと提案したが、首を巻きつけても頭が重たいので結局は負担はなくならない。



ガムテープで固定しようと試みても、到底無理だった。

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