第18話 花咲くとき
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
部屋の中に西日が入り込み、梅雨のムシ暑さが肌にまとわりつく。
沈んでいく太陽の光が、テレビの横の一哉を柔らかく浮かび上がらせて行く。
目の前に置かれたコップを、まるで木の枝のような手でつかみカラカラに干からびて、ひび割れた口へと持っていく一哉。
しかし、体の中へ流れ込むはずの水は、すべて自分の体をつたって、足元へと落ちて行った。
それでも一哉は満足そうな表情を浮かべ、天井を見上げる。
そして……。
メキメキメキメキ……!
と、まるで人間の体がゆっくりとへし折られていくような音が、聞こえてきた。
「あぁ……あああああああ!!」
苦痛でもなく、快楽でもなく、高くもなく、低くもない、一定の声がその音と共に発せられる。
「ああああああ!!!」
声を上げながら、一哉の体に、干からびていた口元に潤いが生まれ、枝のような手に柔らかさと温もりが宿っていく。
まるで、ミイラが生きていた頃の姿に戻っていっているようだ。
一哉は、温もりのある手を高く高く伸ばし、両手を広げる。
その一本一本の指が、まるで何かを掴むようにゆらゆらと揺らめき始めた。
先ほどよりも五センチほど背の高くなった一哉は、その状態で動きを止めた。
それと同時に、嫌な音も消えていく。
「ふふふ」
一哉が、軽く笑い声を上げた。
その姿形は……浅井一哉、そのものだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
栞がアパートへ帰ってくると同時に、「おかえり」という声が部屋の奥から聞こえてくる。
二人目の一哉と会話ができるようになって、三日目。
「ただいま」
一哉に背を向けて服を着替えながら、そう返事をする。
会社にいる一哉より、こっちの一哉と会話する時間の方がはるかに長くなっていた。
その差が生まれたのは当然だと思う。
本物の一哉は、自分をからかって遊んでいるだけで、まるで女として見てくれない。
けれど、二人目の一哉は違う。
最初から、栞を女としてみてくれているし、心の隙間をいつも満たしてくれている。
「栞、愛してるよ」
微妙なイントネーションに、声色。
その声に、栞の動きが一瞬止まる。
ブラウスを脱ごうとしてしていた手がボタンに触れたまま、首だけ振り返る。
……一哉だ。
会社で会っている一哉が、目の前にいる。
「栞、愛してるよ」
同じ言葉を繰り返し、両足をズルズルと引きずりながら、両手を床に這わせて栞へ近づいてくる。
「ヒッ!」
まさか、動き出すなんて思っていなかったため、その気味の悪い動きに後ずさりしてしまう。
その瞬間、ゴトンッという鈍い音と共に、バランスを崩した一哉が前のめりに倒れた。
「一哉!!」
慌てて駆け寄り、抱き起こす。
一哉はちょっとハニカンだような笑顔を見せて、「愛してるよ」と呟き、栞に口付けをした。
一哉の顔をした一哉の口付け。
干からびていない唇は柔らかくて、ちゃんと温もりがあって。
抱き締めてくれる手もそれと同様、優しい男のものだった。
ずっとずっとほしかった。
求めていたものが、今目の前にある。
栞の中から、自分とその人を隔てていたものが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちて行った。
「私も、愛してるわ」
偽物の一哉に抱き締められながら、うっとりと目を閉じる。
栞の糸は、完全に切れてしまった。
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