部活内容:『姫』と『長』との邂逅


「よ、読めない……」


 いつも通り、返却された本を手にしながら、ついつい瀬尾祐司せのおゆうじは呟いた。


 いま、書架に戻している本たちは、背表紙にも表紙にもタイトル――文字が記載されていない。本文も真っ白、あるいはまったく意味の取れない単語が並んでいるばかり。

 返却の手がかりは日本十進分類法で書かれた背表紙のシールのみだ。


 これら魔力によって編まれた書物は、総じて魔法書と呼ばれる。

 ある程度の魔力行使をしたり、魔法具を使ったりすれば読むこともできる。


 祐司が魔力行使を意識的にはじめて、そろそろ三ヶ月。

 それでもまだ判読できるものが少ないのは、祐司が『青の瞳』の能力を大雑把にしか制御できていないからだ。

 まったく使えなかった頃からすると大きな進歩だが、それでも図書室を管理し、攻勢を是とする「不明存在対策部」としては、もうちょっと頑張りたいところである。



 今日は雨。読書日和だ。

 教室や廊下はわりあいムシムシとするが、この部屋の湿度は魔法で最適に保たれている。

 とはいえ、相変わらずこの図書室は人気が無い。これはもしかすると、専門書を読みに来る上級生が、授業の間は来ないからではないか、ということかもしれない。

 さて、では本の整理に戻ろう――。


「ゆーうーじーくん!」

「うわ、わわわわ!!!」


 声と共にいきなり右隣の空間に薄桃色の魔法陣が展開し、半袖と両手が、そしてセーラー襟が現れた。

 急に現れた人体に、祐司はのけぞり、そしてこけた。ばっちりその人にのしかかられ、祐司は非常に混乱した。

 だが、相手はそんなことをまったく気にしていないらしい。

 輝くばかりの笑顔で、


「やったー! 大成功! ねえ、どうどう!? すごくない!?」

「先輩、せんぱいっ! ちょっと説明を求めますし、いろいろとても近いです!!」

「うーん、ゆーじくんは冷静だなぁ」


 言って、彼女はスカートを整えながら立ち上がった。

 いつものように片手には箒、金髪がさらさらとなびく。

 なんだかとってもきらきらしている新緑の瞳。

 美少女な先輩である神羽森かんばもりひなたは、心底うれしそうに、


「いやあ、説明もなにもね、教室からここまで来るのって大変じゃん。はじっこにあるし。だからさ、この本を運ぶやつに、魔法陣をちょっと仕込んでおいてね、近くに出られるようにしたんだよ~」

「ふつうに階段上ってきましょうよ、危ないですって!」

「そうだね、移動魔法は失敗すると変なところに出ちゃうかもだよ」

「っ! せ、先生も無言で出てこないで下さい!」

「いやだな、ちゃんとドアから入って来たとも」


 にこやかに腕を組んでいるのは、いつもの神出鬼没、顧問のクロト先生である。

 クロトはいつも通り、なんでもなさそうに重要事項を告げる。


「さて、今日はお客さんが来ているよ」

「え、そんな予定ありましたっけ……?」

「予定とはやってくるものさ。ということで紹介しよう」


 三人はてくてくと書架の林を抜け、いつもの貸出カウンター前に出た。

 するとクロトは、なぜか虚空に向かって呼びかける。

 

「おーい。出てきてくれないかー」


『しょうがないわね、ニンゲンに見えるようにするのは、相変わらずちょっと面倒だわ』

『こんにちは! 『青の瞳』の少年と、『闇喰い』のお嬢さん!』


 ボウ、と炎が灯るような音と、ザァッ、と水が巻き上がるような音がした。

 祐司とひなたが「?」と瞬くと、


『――これでいいの? フクって相変わらずわからないわ』

 深紅のノースリーブワンピースを着た華奢な美少女と、

『いつもこれだから、大丈夫じゃない?』

 海色のセーラースタイルの中性的な少年がいた。


「うおおお男子セーラー服!!!」

「はしゃがない!」


 祐司は後頭部をどつかれた。 


「――あのですね先輩、少年がセーラー服を着ているというのはセーラー服が女子にまで広がりやがては制服として定着する最も重要な最初の一因と言えるわけなんですよ」

「よーし、ちょっとうるさいぞ」

「詳しくは井上晃先生の『セーラー服の社会史』p12から――」


 もう一発はたかれ、仕方なく祐司は尊さの伝導をやめた。

 ひなたが半目で「ゆーじくん」と言う。


「『奏者』がいらしてるから、制服論は後にしようね」

「『そうしゃ』……?」

『そうよ、私たちふたりのこと!』


 炎のような深紅の長い髪を払いながら、少女の姿をしたそのひとは椅子に座って足を組む。


『もーあんたたち、さっきからいちゃこらしてんじゃないわよ』

「いちゃこらじゃありませんよー」とひなたは否定するが、

『どーだか』


 相手は肘掛けに腕を伸ばして、にやにやと笑った。どうも、赤い少女と青い少年たちは、いつものように、こちらのふたりと知り合いらしい。

 少女が椅子に座り直すと、赤系の色をグラデーションにした豪奢なドレスのスカート部分が広がる。

 しゃんとした身のこなしといい、どうやら身分の高い人らしい。

 だが性格の方は、親しみやすく、庶民的であるようだ。


『ほら、さくっと話を進めて頂戴。クロトも喋る!』

「はいはい、説明するね」


 軽く応じる二人は、ずいぶん気心の知れた仲のようだ。

 いつものように、クロトがにこやかに(幾分怪しく)話しだした。


「彼女はミア。妖精ようせい族の「ひめ」様だ」

『ミアさん、と呼んでもいいわよ』

 ちょっと顎をあげてそんなことを言うミア。

「そして彼はクラフ。精霊せいれい族の「おさ」様をやってる」

 呼ばれた少年は、ちょっと首を傾け、セミロングの湖水色の髪を揺らして微笑む。祐司には二本白線の入った水色のセーラー襟が眩しい。


 ――というか、妖精に、精霊?


 ぽんとかるーく紹介されたけれど、その種族の頂点が来るって、けっこうすごいことなんじゃないだろうか?


 そこで、片手を上げてミアが話に入ってくる。

『私たちは、貴方が顔に出しているとおり、なかなか顕れないものよ。

 だけど、じゃあなんで世界飛び越えてまでここで用事を済ませるかっていうのは、説明がとーっても長くなるから、想像で補ってもらえる?』


 そーぞー、と気楽に赤の妖精は言う。


「想像って……」ちょっと乱暴すぎやしないか? 


 祐司の困った気持ちが充分顔に出ていたのであろう、クロトが苦笑して付け足す。


「彼らはいま、ふたりでお役目を果たしている、と言えば少しは大丈夫かな?」

『つまり、私とクラフは、「ペア」であるというところをわかってくれればいいのよ』


 また軽く、ミアが補うように言う。

 確かに外見だけなら、深紅しんく蒼碧そうへき、火焔と水氷のように、彼らはとても対照的だ。それなのに、「ふたりでひとつ」のような特別な存在感がある。


 はー、と感心しながら、祐司は尋ねた。

「それで、今回はどのようなご用で……?」

『うん。あのね』

 クラフはまた首を傾けて微笑み、

『僕たちは、ここの"定期点検"に来たんだ』


 そう言うと、書棚の方に手をのばすと、一冊の本が呼ばれるように飛び出し、その手にそっとおさまった。本を呼んだのではない、本が好んでクラフの手におさまったのだ。それは祐司でもわかった。

 本は綴じた部分が少し綻びていて、紙の先も丸くなっている。表紙も何かの革だが、ぼろぼろだ。


 クラフは続ける。


『「奏者」とは、「かなでるもの」。

 たとえば、魔法書には記述された言葉にも意味があるけれど、響く「音」にはもっと重要な意味がある』

『そ。で、私たちはそれがズレたり消えたりしてないか、確認に来てるってわけ』

「そうなんですね……」


 魔法書がそんな風になっているとは、祐司にとっては初耳である。

 もうちょっと知識を増やしたい。勉強しよう。なにごとも知識の集積をし、疑問を覚え、それを解くためさらに知識を積むことが肝要である。そうだ、セーラー服だって詳しくなれてるじゃないか。

 段々思考がずれてきたが、そこでクロトが、ぽん、と軽く手を叩いた。


「じゃ、「お手伝い」に入ろうか。

 その前に、初心者に説明するから、悪いけどちょっと適当に待っててくれるかい?」    

 クラフとミアはうなずいて、各々興味のある場所に向かう。ミアは窓ガラスを叩いてみたり、クラフは書棚から名もわからぬ本を取っていたり。


 クロトは祐司に向き直り、


「さてと、初心者くん」

「あの、初心者も何も、話にちょっと追いついてないんですが」

「だったらなお丁度いい。いいかい、今回は魔法書の読み方についてだ。

 君は既に、ちゃんと『青の瞳』を使おうという気になっているね?」

「それは、もちろんです」


 頷く祐司。ひなたと保健室で約束したとおりだ。

 クロトはいつも通り微笑むと、


「となると、その『視る』ことのできる『青』は、事実上ありとあらゆる魔法書を何だって読むことができるわけだ」

「えっ??」いまは読める本の方が少ないのに?


 クロトは答えるように続ける。


「この世のものではないものも、姿を隠しているものも、君には見えるだろう?  狐を退治した時といっしょさ、君はまず、ちゃんと『視る』ことができている」


 そう頷いた。祐司に自信を持たせるような頷きだ。

 そうはいっても、すっかり錆び付かせてしまった『瞳』である。祐司にはどうしたらいいのか、ヒントも取り掛かり方もなにもない。


「とりあえず、魔法書をもっておいで。簡単そうなものをね」

「はぁ……」


 首を傾げつつ、祐司は返却処理の終わった魔法書を三冊、机に置いた。

 ひとつは題字も読めないもの、もうふたつは中身が真っ白なもの。

 だが、大きさや厚さは一般図書とよく似ている。大きさや厚さから言って、絵本やそのあたりだ。


「うん、これらはよく借りられる本だね。図版が多くて、初学者が興味を持ちやすい」


 クロトの言葉に、ふと祐司は思い当たる。

 よく考えなくても、上級生になればこれらの本を読めるように訓練されるのだ。読めないと勉強が進まないわけでもある。早めに読めるようになろう。意気高揚だ。


「あ、この本はうちにもありますよ。なつかしいなあ」


 ひなたが一冊、ハードカバーの本を手に取って言う。


「? 魔法書って、同じのが何冊もあるんですか?」

「そりゃあそうだよ、そうじゃなかったら出版社や印刷会社はどうするの?」

「出版社……!?」


 祐司が驚くと、ひなたは軽く頷き、


「進学後の就職先としてよくあるよ。なんていうかな、ヒトが使う魔法関係の存在は少なくなっているけど、『不明存在』自体はそこまで減ってはいないんだ。だから、それに対するための知識を残すことも、重要なお仕事なんだよ」

「はー……」

 感嘆するだけの祐司である。

 

 さて、この持ってきた本をどうするのか。

 クロトは、はい、と適当に本を指さし、

「じゃ、読んでみて」

「えっ!? あの、装丁は見えてますけど、読めないんですが……」

「ふむ、そうだなあ」

 クロトは一冊を手に取って、軽くめくりながら言う。

「祐司くん。いままで眠らせていた『青の瞳』を使うようになって、しばらく経つね。「影渡り」のときも、まあ及第点かな」

「は、はい」

「でも、どう使えばいいかある程度わかっていても、相手に触れなければ魔力供給もできない」

「そ、そうです……」

 クロトはぱたん、と本を閉じ、少し真剣に告げた。

「つまり、君に圧倒的に足りないのは、"技術"、つまり経験と使い方だ」

「技術……?」

「そう。その莫大で膨大な量の魔力を持つ目を、どう使えばいいか学ばなければならない。人並み以上の力を持っていると、そういうことも付随してくるものさ。

 以前百本ノックをやったろう? あれも魔力を使うための技術の一例だね。

 今日は『青の瞳』の本道、『視る』ことをやってみようか」


 言うと、クロトの手のひらの上に、本がふわりと浮かんだ。

 真っ白なページがパラパラとめくれる。


「『視る』のは文字ではないよ、もちろん本自体でもない。

 書かれているのは、魔力を使われたもの。それを読むには?」


 隠されたものを視るには、どうしたらいいか。祐司は考える。

 大狐のときは、本体が姿を現したがっていた。

 では本の場合は?

 そこに詰まっているのは知識だ。

 そして、


「――書いた人も、読んで欲しいと思ってる……ということですか?」

「うん、そこに気付いたのであれば、もう君はこの本を読める」


 クロトの手にあった本が、気付けば自分の手の中にあった。

 ”読んで欲しい”、"知識を君にあげよう"。

 そう言われているような気がする。そうであるならば。


 "教えて欲しい、あなたのことを"。


 ページを開く前、すっと撫でた表紙に、既に言葉はあった。


「……「超入門・アクマ招喚」……?」

「正解!」


 ぱちぱちぱち、といつの間にか隣にいたひなたが手を叩き、こちらをのぞき込む。


「ねえねえ、どんな風に視えてるの?」

「どんな……ううんと……なんというか……」


 説明が難しい。非常に不思議な感覚だ。

 読めると言っても、目には相変わらず見たことのない文字が見えている。

 だが、直接その「意味」が脳裏に現れる。手で触れると特にわかるし、声に出せばはっきりと伝わってくる。

 それを聞いてひなたは感心したように頷き、

「なるほどー、何かを唱えなくても、触れたものを『視る』ことができるんだね、さすがゆーじくん」

「そういうもんなのでしょうか……?」

「そうだよ。ふつうは自分の魔力を使って読まないといけないから、割と疲れるもんなんだ。もっと練習すれば、ゆーじくんは体力の限り読み続けられるよ!」

「それは遠慮したい……」


『ちょっとぉ! まだかな! 話は一段落したっぽいけど!?』

『ミア、お話をさえぎるのは失礼だよ?』

「おお、すまないすまない、素人に超基礎を教えるのを忘れていたんだ。なんとか読めるようになって、よかったよかった」


 クロトになんだか失礼なことを言われた気がするが、そこはスルーすることとする。

 本を読んでいたらしいミアは、書籍を机に置いて腕を組んだ。


『さ、これで数が増えるわね。"重奏"できるかしら』

『五人もいれば大丈夫だよ。『青の瞳』に期待しよう』

「えっと、俺……も、何かするんですか?」

『当たり前よ! なんなら、この図書室にバラバラにしまってある魔法書、全部あなたが読んで確認する?』

「遠慮します」


 そのやりとりにクラフはゆったりと頷き、


『そのための「奏者」だからね。

 よし、それじゃ君にはこれを持ってもらうよ』


 と、宙を掴むと、なにやら細い棒のようなものがその手に現れた。


『君は、拍子を取るのは得意かな?』

「え? ええと、まあ音楽ゲームは好きですが……」

『じゃあ大丈夫。はい』


 コルクの持ち手に、すっと伸びた白いプラスチック。

 手渡されたのは指揮棒だった。

 隣では、腰のあたりに手を当て、ひなたが呼吸を整えている。

 クロトもめずらしくカーディガンを脱いで、身体をひねったりして何かに備えているようだ。


 も、もしかして……。


「あの、クラフさん?」

『なに?』

「「奏者」って、今からやることって、もしかして」

『うん、わかってくれたみたいだね。

 すべての本に触れるのは無駄だからね、魔力を乗せて、「」で確かめるんだ』


 そう言うと、多分珍しく、にっこりと青の少年は微笑んだ。



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